目覚めのチャンスのとき
このごろ用事で遠出するようになり、日常とは違う景色を見るようになった。そして、さまざまな人に出会う。
楽しく素敵な時には刺激的で学びのある出会いが多い。日本再発見のような気持ちだ。けれど時々、考えさせられることもある。
先日、電車の時間まで30分くらいあったので、駅ビルのカフェに入って、サンドイッチを食べていた。そうしたら、二つ向こうのテーブルに座った家族の小さな女の子がいきなり吐き始めた。
なんとなく何かが起こりそうな気配を感じたのでそちらを見ていたら、ドバッと吐いたのだ。見ていたわたしが思わず「Oh…!」と声を出してしまったくらい、つぶらな瞳の可愛い女の子の小さな口から、大量の吐瀉物が飛び出した。
慌てているお母さんのそばに行って、ウエットティッシュを提供したり、女の子の顔を拭いてあげたりしていたら、お店の女性スタッフも大きなティッシュボックスや丈夫で大きめのプラ袋を持って来てくれ、女の子はそのプラ袋に思う存分吐き続け、しばらくしたら落ち着いた。揺れの激しい急行列車に乗ってきて酔ったという。
そこまではいい・・そこまではいいのだけれど、お母さんが一生懸命テーブルの上を拭いたり片付けたり、床の上を拭いたりしている間に、女の子の隣に座っていたお爺さん(お母さんの父親)は、まるで何事も起こっていないかのように、スマホをいじっていた。
そして、お爺さんの向かいに座っていたその女の子のお兄ちゃんは、テーブルに背中を向けてプリンを食べていた。気持ち悪かったからだろう。
それを見ていたわたしは、シュールなものを見ているような、目を疑うような、そんな感じだった。
どういうこと?
なぜ、お爺さんもお兄ちゃんも手伝わないのだろう?なぜ、何も起こっていないかのような振る舞いなのだろう?お母さんが飛び散った吐瀉物を片付けている間、なぜ、女の子はお尻を椅子に少しだけもたせかけたまま、呆然と立ったままなのだろう?
わたしの口は、きっとポカンと開いたままだったと思う。
かと言って、見ず知らずの年配のお爺さんをわたしが諌めるわけにもゆかず、かと言って、わたしがいきなり女の子の背中をさすってあげて、お座りなさい・・と、おせっかいをして驚かせるわけにもゆかない。
わたしにできたのは、女の子に「かわいいね。元気でね」とそっと頭を撫でて、ホームに向かうことだけだった。
たまたま、奇妙な家族だったのだろうと思いたい。けれど、日本に暮らしてみて、男たちの態度には驚かざるを得ない。もちろん、日本の男たちが全員こんなではないことも知っている。それにこのお爺さんは、お爺さんだし、年齢が高いから、昔の人だから、男尊女卑の傾向が強いのだろう。そして、自分の態度が女卑であることにさえ気づいていないのだろうと思う。そして、まだ就学年齢にも届かないような男の子は、ただ家族の真似をしているだけなのだろう。
しかしわたしは年齢層にかかわらず、これまで日本の男たちを見てきた。そして、頑張る日本の女たちを見てきた。大企業の契約社員や派遣社員の女たちは、扱いが不当にも関わらず、真面目にしっかり仕事をして、社内の重要な任務を全うしていた。文句も不平も言わずに。
あるとき、働いていた大企業の二つの課内の女たちが集められて、何か要求や意見はないか?と、珍しい女の幹部社員に聞かれたことがある。けれど、女社員たちは、誰一人として何も言わなかった。しんと静かにしていた。言っても何も変わらない、下手なことを言ったら逆に立場が悪くなるかも、と思ったのかもしれない。
結局、意見を言ったのはわたし一人だった。しかし、わたしはすでにそのとき他社に移ることが決まっているということで、意見はスルーされた。その女幹部社員は冷たかった。そして、威圧的な態度だった。
わたしの考えだと、退社して他社にゆく社員の話しは重要だと思う。自社を高めるために、参考に意見は聞いておいた方が良いと思う。けれど、そういう考え方は彼女にはなかったようだ。それより、自分の地位と力の上に腕を組んで立ちはだかり、契約や平社員たちを見下ろしている様子が窺えた。
逆に、平素から幹部社員も含めた男の社員たちの方が話しをしてくれ、聞いてもくれた。そして、わたしの退社が決まったときは「あなたは、もっともっと羽ばたける!応援してますよ」「さっかさんは、会社に真の働き方改革をもたらしてくれた」「もっと力になってあげられなくて、申し訳なかった」などと言ってくれた。
彼らの言葉に泣けてきたと同時に、女社員たちの冷ややかさと距離感に、胸のどこかに寂しい風が吹くようだった。
女たちは、ずっと頑張ってきて、男たちにどんな扱いを受けても「仕方ない」と、下を向いて歯を食いしばってきたから、周りが見えないのかもしれない。スイスイと好条件の他社に移ってゆくように見えたわたしが、憎らしかったのかもしれない。また、ほとんど手に入らない成功と言う名の小さなパイの一切れを女同士で奪い合うのが常になっていて、互いに助け合うとか、耳を傾けるとか、みんなで手を繋ぐとか、あるいは一緒に戦う、とか、そういうことには慣れていない、または思いつかないのかもしれない。
弱い立場の人間たちが互いに協力し合わないのは、日本の女たちだけでない。だから、黒人奴隷制度だって長い間続いた。上ばかりを見て恐れ、横とそこに内在する力を見なかったのだ。大戦中、多くのユダヤ人たちがナチスのゲシュタボに捕まえられ惨殺されたが、ユダヤ人の中に仲間のユダヤ人の居場所を密告して売った人たちがいた、というのもよく知られた話しだ。
最大の敵が内側にいることは、よくある。
この日、胃の中のものを出し切ってぼんやり遠くを見つめて立っていた女の子を残してカフェを去り新幹線に乗っていたら、女性客が次の駅で乗ってきて隣の席に座った。彼女は、背中にリュックを背負い前に赤ちゃんを抱え、大きなスーツケースを持ち込んでいた。大変そうだなぁ、と、わたしは思った。たった一人で乳飲子を抱えての旅行は容易ではない。ところが、発車してしばらくしたら車体が揺れ、座席の後ろの空間に置いていたスーツケースが、通路に転がり始めた。彼女が「あ、わたしのだ!」と、言った。
通路側にいたわたしが立ち上がってそのツースケースを止めようとすると、彼女は慌てて「すみません、すみません」を連発しながら、立ち上がった。眠っていた赤ん坊は目を覚まし、彼女が持っていた携帯は床に落ち・・大変な様相になった。だから「大丈夫ですよ。座っていてください。わたしがやりますから」と、言いながらわたしは携帯を拾ったり、暴れながら床の上を滑るスーツケースを止めたりした。
けれど彼女は恐縮して落ち着いて座っていることはできなかった。そして、ありがとうではなく、すみませんを連呼した。
わたしは思う。
日本の女たちは、一日中気を使い続け働き続けないほうが良い。「女の仕事に終わりはない」と言うアメリカの言葉があるが、男たちのように毎日この時間になったら仕事はおしまい、の退社時間だとか、ある年齢になったら仕事はおしまい、の退職も退職金ないのだから。朝から晩まで、そして死ぬまでお金ももらわず立ち働いているのだから。
もっと堂々とするといい。
もっと悠々とするといい。
愛される女なんか目指さないほうがいい。
愛すべく女であればいい。
みんな、十分過ぎるほどやっている。
自分の父親や息子が孫娘や姉の背中もさすらず、掃除の手伝いもしなかったら
「ちょっとそこのあなた方、ケータイもプリンも取り上げるわよ。目の前で何が起こってるか気づかないの?あなたの孫と妹が吐いてるのよ。さっさとその重い腰を上げてテーブルを拭くなり、苦しんでる子のハグをするなりなさい。」
そう、言ってやればいい。
そして、女同士でもっと仲良くするといい。そして、新しいシステムを、女たちに優しい、社会全体に優しいシステムを作るといい。なんなら、女同士で使う女通貨を作るのもいい。大好きなお洋服や、メイクや、体に良い美味しい食べ物や、素敵な家や、感動する映画や、旅や、本や、勉強や、出かける間に子守りをしてくれる人や、色々に女通貨を使えばいい。さまざまなものを生み出してゆけばいい。全てを男基準に付き合うことはない。
その上で、誰かとお付き合いすればいい。ともに人生を歩むに値する人がいたら。
そう、みずがめ座のわたしは思う。
ちなみに、NYの10代の頃からの韓国系アメリカ人の友人は、弁護士になり韓ドラに出てくるような韓国の財閥の息子と結婚して韓国に住んでいるが、そのおぼっちゃまがやたら口だけうるさいので、彼女はこう言い放った。
「ちょっとそこのあなた。その口を閉じなさい。仕事の邪魔よ。あなたはルックス磨いておとなしく座っていればいいの。目の保養くらいにはなるから。」
それを聞いて大笑いしたが、彼女もわたしと同様、かなり強いみずがめ座の影響の持ち主だ。世界の女たちは日本女性のように明治帝国時代を生きてはいない。21世紀初頭の風の時代、そしてみずがめ座のときを、髪を風になびかせながら愉快に痛快に生きている。
男尊女卑の激しいと言われているメキシコでも初めての女性大統領が今年は生まれ、アメリカでも大統領選挙に初めての有色女性候補が民主党から選出されている。
おかげで世界の男たちが「男らしさ、そして男の役割とは何か?」と疑問を持ち始め、クライシス(危機)に陥っていると言う説もある。
しかし男たちは、この動乱の時代に、もっと女や子供や老人も含めた人類全体が、動物植物も含めた生き物全体が、生き生きと暮らせる社会を作ることに貢献すると良いのではないかと思う。今のところ、社会的にまだ男が権限を握っているのだから。法や決まりを作る場所である議会も、男の数の方が圧倒的に多いのだから。
みんなの税金を大量に費やして防衛費を上げ、武器商人とそれに蟻のように群がる企業だけに政府お墨付きの通貨で金儲けをさせ、みんなを貧困と酷い破滅に追い込んでいる場合ではない。ガザから目を逸らしている場合ではない。男たちよ、知性と勇気は一体全体どこにあるのか。もし、ないというのなら、ルックス磨いて大人しく座っていればいい。
そして女たちよ、目覚めよう。そして日々の生活の小さなことから、これは違う、と思うことはやめ、これがいい、と思うことを行動にしよう。そして自分の声に耳を澄ませ、それを信じよう。そして互いに手を取り合い、勇気を培おう。
新しい創造の未来へ向けて。
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