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愛を信じて ゆけ!立て!! ~ライスボール「愛のグレーゾーン」

はじめに

ライスボールの新曲「記憶 / 愛のグレーゾーン」(2022.8.10リリース)

タイトルを見たときは、二つとも恋愛ソングで、「記憶」は過去の思い出の曲、「愛のグレーゾーン」は二人の男性の間で揺れる女ごころの曲かなと想像していましたが、全然違いました😅

「記憶」は昔からつながる家族の絆を歌う、しっとりと心にしみる曲、
「愛のグレーゾーン」は無秩序な現代社会に対する批判的なメッセージソングで、激しくて心に刺さる曲でした。

真逆の歌を作る多田さんも、それを歌いこなすライスボールもすごいです。

「愛のグレーゾーン」は、社会を風刺的に切り取った歌詞がイメージしやすくて、そうだよね、こんな状況おかしいよねと思いながら聴いていました。

なんとなく歌詞を理解しているつもりでいたのですが、ふと
「どうして『愛の』なのだろう?」
「そもそも愛はグレーじゃなくね?」
と考え始めたら、とたんに歌詞が難しく感じられるようになりました。

それなりに考えがまとまってきたので書いてみようと思います。

※ 文中の ♪ ♪ で囲まれた部分は、歌詞の引用です。
「愛のグレーゾーン」作詞・作曲:多田慎也 編曲:島田尚

1 善と悪の間

愛のグレーゾーンは、♪ 善と悪の間 ♪ ♪ 白と黒の間 ♪ にあります。

善(白)と悪(黒)が対立していて、その争いを終わらせる仲介者が「愛」で、どっちつかずだからグレーということなのでしょうか?

しかし、
イメージ的には「愛」は善(白)の仲間で、色は白もしくは光がふさわしい気がします。
♪ 愛するって光だ ♪ (ライスボール 「景-ひかり-」)

というか、
そもそも悪(黒)は滅ぼされるべきであって、仲裁する必要があるのかという疑問も起こります。

2 ウソもホントも自分次第

さて、現代社会は、
♪ よく見てごらん ここは テレビの中だけじゃない 戦場 ♪
という状況です。

どうしてこうなるかというと、♪ ウソもホントも自分次第 ♪ で、絶対的な善(白)も絶対的な悪(黒)もないからです。
(さらに言うと、正義も自由も自分次第です。)

つまり、誰かの善(白)は誰かの悪(黒)です。
お互いに相手を悪と思い、悪を倒すために「戦場」で ♪ 尖った言葉(を)指で放つ ♪ のです。

こう考えると、「愛」は善(白)の仲間ではなく、中立でなければならないことになります。
(Aさんの善に味方すると、Bさんから見ると悪に加担していることになる。)

しかも、イソップ寓話のコウモリのような八方美人ではなく、双方の立場を超越した(あるいは双方を包み込む)仲裁者である必要があります。
善悪を超越するもの、それは「愛」しかない、とこの曲は言っているわけです。

立場によって黒っぽく見えたり、白っぽく見えたりするので、その色はグレーということになのでしょう。

また、とかく白黒つけたがる世の中で、どっちつかずの立場は双方から攻撃されかねません。
その意味では、あえてグレーでいることには覚悟が必要で、だからこそ♪ 愛のグレーゾーン ゆけ ♪  ♪ 愛のグレーゾーン 立て ♪ なのだと思います。

敵味方の立場を超えていこうという考え方は、ライスボールの他の曲にも見ることができます。
♪ たとえば敵にそっとその手を伸ばすとき それは他でもなく僕に差し出されてる ♪ (涙のセンタク)
♪ JAN-KEN-PON!どんな「らしさ」もあいこでしょ それがグーでもパーでもチョキでも ♪ ( JAN-KEN-PON)
♪ 違いこそ らしさこそ 大切だよね Harmony ♪ (未来NIPPON)

3 君が守れるなら 僕は嘘をつく

さて、
「愛」は本当に中立なの?と思わせる歌詞が最後の方に出てきます。

♪ 愛のグレーゾーン 信じるままに ゆけ ♪
♪ 君が守れるなら 大切な人の夢叶うなら ・・ 僕は嘘をつく ♪

「信じるままに」ということは、結局「愛」をどう捉えるかはその人次第ということにつながります。

また、
大切な人のために(つまり愛のために)嘘をつくのは、僕の正義です。
一方で、「(愛のためでも)嘘はついちゃだめよ」というママの正義もあります。
やはり、愛の価値は人によって違っているのです。

このように愛も自分次第ということなら、
それぞれが自分の「愛」を主張して「愛の戦場」になってしまうのではないか?
という疑問が生じます。

しかし、
愛の本質は善悪を超越し、両方を包み込むこと、つまり争わないことです。 ♪ 信じるままに ゆけ ♪ の意味は、「他人の愛を否定してでも、自分の信じる愛を貫け」ということではないと思います。
「愛の力を信じろ。誰かから何かを言われても広い心で包み込め」と解釈すれば、それなりに筋は通るような気はしています。

(自分で言うのもなんですが、)
この章はいまいちしっくりきていません。

聖書に、年老いてからできた息子を生贄にせよという神の命令に従った男の話があります(息子に刃物を振り下ろす瞬間に神の使いが現れて息子は助かり、その後、男の一族は繁栄する)。
これは家族愛を取るか、神への愛を取るかの選択です。
大昔から「愛の選択」は人を悩ませてきました。

この曲が批判している「エセ正義」との比較で「愛」を擁護するなら、

「エセ正義」は ♪ ねえ、いいよね? ♪ と確認を必要とする正義です。
そして、正義からはみ出した(と自分が感じる)ものを「尖った言葉」で排除します。
自分のホントは他人から見ればウソであり、自分が排除される可能性を感じているからこそ、自分の言動が誰かの気に障っていないかと確認せずにはいられないのです。
その意味で「エセ正義」は他人に左右されると言ってもいいでしょう。

一方、
「愛」は ♪ 信じるままに ゆけ ♪ という歌詞のとおり、他人の確認を必要としませんし、他人に左右されることもありません。

とはいえ、
愛も人の感情である以上は絶対的なものではなく、絶対的な愛を突き詰めていくと宗教になっちゃうなぁ…とも思います。
難題です。

4 黒がいつか白に変わる日まで

♪ 黒がいつか白に変わる日まで ♪ も解釈に迷う歌詞です。

言っていたことがたまたま実現したとか、言い続けていればいつか嘘も真実になるということではないと思います。

♪ 愛のグレーゾーン ゆけ ♪  ♪ 愛のグレーゾーン 立て ♪ という歌詞からすると、言うだけではなく、そうなるような行動を伴うものでしょう。

♪ 君が守れるなら 大切な人の夢叶うなら ♪ と合わせて考えると、 ♪ 黒がいつか白に変わる日まで ♪ というのは、君を守り切るまで、大切な人の夢が叶うまでということでしょう。

その時には嘘が本当に変わっているので、僕は嘘をついていなかったことになります。
この歌詞は、愛の力があれば何でもできるというメッセージかもしれません。

たとえば、
日照り続きで困っている農家を励ましながら、雨が降るまで雨乞いの儀式をやり続けるようなことです(いや、なんか違う…)。

たとえば、
りんご娘で地域を元気にすると言い続けて、りんご娘を全国区の人気グループにするようなことです。
(絶対できると思って言い続けてたんだから、これも違うか…)

※ うまい例えが思いつかないので、いいのがあったら教えてください🙇

まとめ

ということで、ライスボール「愛のグレーゾーン」は
「立場の違いがあっても、排除するのではなく、違いを認め合おう。それが『愛』だ!その力を信じよう!!」
というメッセージだと思いました。

このメッセージは、これまでも多田さんがライスボールの曲に込めてきたものですが、今回はちょっと強めに押し出した感じでしょうか?

それにしても深い歌詞です。

♪ 嘘はついちゃだめ ♪ で始まって、 ♪ 嘘をつく ♪ で終わるのも何か意図がありそう。

♪ 綺麗だね ママ 別人みたい ♪ もウソかホントか気になるところです。

おわり

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