祖父の原稿 17

   ラストラン
  ねんりんピック

 平成18年6月16日。ねんりんピック静岡06第19回全国健康福祉静岡大会出場日程説明会出席する。
 1ヶ月前の5月20日、県営草薙陸上で開催した県すこやか長寿祭スポーツ大会(全国ねんりんピック大会出場選手予選兼)に出場して3kmの部を走った。結果は20人中13位と予想外で残念無念悔しさで沈み込んでいた。
 市から電話があってねんりんピック静岡大会の出場選手の指名を受ける。即座に断る。
 83歳の高齢で、予選は13位のタイムのものです。全国都道府県から選りすぐられた精鋭の前に出ることは出来ません。それに個人的になりますが、長年走ってきたことから出場して負け恥をかくのが堪りません。と固辞した。大会県として十分な選手を確保したい。予選に出場した人の辞退が多いので、各大会に多くの経験のある森脇さんに是非ご協力をお願いします。と懇切な要請をOKした。
 会場には既にマラソン部会3、5、10km各クラスの男女16名が集まっていて恐る恐る着席する。静岡走ろう会会長長飯塚さん、牛丸、小野さん達が笑顔で迎えてくれたのに救われた。
 配布された選手名簿に、以前静岡走ろう会で指導者だった酒井さん(東京理科大在学中箱根駅伝を走ったランナーで、卒業後橘高校教員、校長となる)が5kmの部に印刷されているが、会場には酒井さんの顔は見えなかった。劣等感におそわれ重い足を引きずって来たので、酒井さんの名前を見つけて途端に気が晴れた。
 「高齢者(60歳以上)の交流を目的としたねんりんピック、マラソン大会にご参加くださり、有難うございます。大会開催県の代表都市静岡として、また政令指定都市として産声をあげた記念として、全国の皆様を暖かくお迎えし、交流を深めるために、市としてねんりんピックに出場の手を挙げました。代表として出場下さる皆様に厚くお礼を申します。」司会者の挨拶を聞いて、勝負にこだわったプレッシャーにがんじがらめとなっていた緊張から解放された。
 司会の挨拶が終わると、指名されていたのか、6歳年下の清水の影山さんが立って謝辞をのべた。
 「この大会参加に選んで頂いてとても光栄です。足の自信はまったくありません。最後尾にようやく付いて行くことになると思いますが、大会で走れることは人生の最高です。大きな記念になります。」こんな受け取りもあるのだ。良く言ってくれたと感動した。
 大会参加という市の企画が、政令指定都市静岡としてねんりんピックに参加することにあった。5月に行われた予選会で大会出場選手を選出することにあったが、予選会に出た選手からは大会出場断りが多く、結局我々のような高齢者に出場を依頼せざるを余儀無くなったということのようだった。
 翌朝静岡新聞が出場選手名を発表した。早朝から友人、知人から驚き、声援の電話が掛かってきて対話するのが面映い(おもはゆい)。さらに未知の人に声をかけられることになった。
 大洋電機を退社して、農業をする身になり、健康保全のためジョギングも習慣となった。コースはまず中徳橋を渡り田野口へ出て山道同然な県道川根寸又峡線を徳山駅まで走り、中部電力での職友西原君の家の前で国道362号線に出て水川を経て上長尾に帰る1周10kmと格好のコースが出来た。あと1週間でねんりんピック大会開催となる10月21日土曜日、コースを廻って水川の同級生片山さんの前まで来た時「森脇さーん」と呼び止められた。初めて見る人はゆき江さんの弟という。「新聞で森脇さんの名前を知って一度出会いたいと待っていた」という。「この年齢で市代表として大会に出場立派です。三重の四日市に居る私の弟も今度のねんりんピックに県を代表して出ることになって来静します。同村出身の若者として是非会ってやって下さい」自分が知らないところで、何時も私を見ていてサポートしてくれていた人に出会って、ほのぼのと暖かい日だまりに出たような喜びを感じながら残りの3kmを知らぬうちに走り抜けた。
   10月28日(土曜日)
 「奏でようふじの国から健康賛歌」をテーマとして31日まで県内十八市町村で一万余名の選手が23の競技を繰り広げる大会の開会式が、袋井市愛野のエコパスタジアムで行われた。四十七都道府県と十四政令市の選手団が、北から北海道の順で入場行進となる。静岡市選手団は県選手団の最後尾について入場する。スポーツを嗜む者として一度は見ておきたいと思っていたこのスポーツの殿堂エコハルスを、選手として入場出来た幸運に、身を堅くしながら常陸の宮ご夫妻に注目し、感激の入場行進を終った。
 開会式を終わると、マラソン部会は、マラソン会場を受け持つ大井川町主催のレセプション会場、焼津市の魚センターに移動した。
 会場は、精悍なランナーの顔が満ち溢れていた。10km、20kmと長丁場を走るランナーは、人一倍強い信念の持主だ。ゴールまでの長い孤独の中で自分自身の中の戦いを、他のランナーと勝負をする熱気と迫力がいる。途中参ってしまっても這ってでもゴールする辛抱強さがあるから、自然と面構えも変わってくる。その面構えの人たち360名が、会場につめかけはち切れんばかりの熱気が充満した。
 最高齢者86歳、85歳、84歳に続いて83歳森脇一男様と正面の台上に呼び出された。労をねぎらわれトロフィを受ける。全国大会に推薦されて、ただただ光栄と思っていたのに奇想な受益にまであずかった。この席に着けるように努力してくれた市の人達に心から感謝しながら席に着いた。待ちかねていた酒井さんもトロフィを引取って、「森脇さん今また貰った賞の中でこれが一番価値があるのではないか?」と喜んでくれた。が競技のことは一言も無く価値があると強く言ったのには、何か含みがあるように受け止めた。
 過去出場してきたマラソン大会で、何回となく入賞し、また高齢者賞を受けてきた。その時はただ良く頑張った単なる主催者の賞賛ぐらいにしか思っていなかった。が今日のこの高齢者賞は違う。(漆黒の地に金色の富士が旭光に映える)重々しいこのトロフィの光景が酒井さんを代弁して俺に語りかけてきた。
 「走ることはこの大会を最後としてもう終わりにしよう。40年間常に相手を意識して遮二無二暴走して来た。その距離は6万km、地球を一回半良く走って来た。この輝かしい人生を残すために、高齢になって走って惨めな結果を出して傷つくことを避けるのに走りに終止符を打つことだ」という。物には限度がある。燃え尽きる手前まだ余裕のある時が節目だ。あとは意地を張らない健康のためのジョギングにする。明日は提供された全国健康福祉祭静岡大会の大舞台で、精一杯走って競技人生の幕引きとする決心になった。
 10月29日、心配した天候も雲一つない快晴である。静岡市選手団は移動を円滑にするため全員焼津市内に指定宿泊となり今朝送迎バスで会場に入ったが、自分一人足腰が不自由となって車イスの家内を起こし食事をさせタクシーを呼んで会場行きとなる。
 初めて見る会場は大井川土手下の河川敷が立派に整備され川寄りに出来た全国に誇るリバティマラソンコースに連携している大井川陸上競技場である。太陽に映えたトラックには、全国から集まった選手、その家族、応援者があふれ出していた。
 願ってもない好天候、走る舞台は大人気のリバティマラソンコース。スタートに集合して胸はいっぱいにふくらんだ。コース中途には前日足を怪我して5kmマラソンをリタイアした酒井さんが、指導、応援役となって待っている。私の競技走のフィナーレを見届けてくれるには最適の人である。
 いよいよ競技が始まった。10kmの部、10時30分スタートする。今までどこの大会でも10km以上走ってきたので、この10kmの出走が羨ましくなって、元気に走り去っていったランナー達の後ろ姿を見えなくなるまで見つめた。
 10時45分、5kmスタート。5分たった10時50分我が3kmの部が一斉にスタートする。トラックを半周して団子状に競り合いながら競技場を出てリバティマラソンコースに入る。真新しいコースの感触は上々だ。ラストランとなる走りを、一秒でも詰めようと力が入る。直線コースへ出て疲れがきた。そこに酒井さんがいた。記念になる走りを良くみせようと上体を伸ばしピッチを広げた。「無理するな。完走、完走だぞ」と大きな声が飛んで来た。声に励まされて折返し点東名高速大井川橋の下までは簡単に着いた。気を良くして走る復路コースは僅かだが下りとなっていて走り良く最後の力を降りしぼった。競技場に入りスパートしてゴールする。タイム18分2秒。1kmのラップタイム6分で予想をはるかに上まわった。
 70才以上の部男子44名中28位。86、85、84才年上の3人よりも勿論速く、年下のランナーが13名という結果で、マラソン人生の幕を閉じる。
 走りでは多くの人と再会出来た。新しい出会いが生まれた。全国360人のランナーの年齢の頂点に立って完走出来た。思い出をいっぱい作って走る実力の人、走る人生の終焉を迎えることが出来たラストラン。

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