祖父の原稿 5

五 奈良春日大仏マラソン全国大会

  昭和56年12月3日奈良大仏マラソン全国大会開催。出場要請を受けた。
 奈良春日大仏マラソン全国大会の募集要項が静岡走ろう会宛に届いた。全国を代表するような大会からの招請に、勝谷会長は静岡走ろう会の存在感を自慢して、「静岡走ろう会は全員参加するぞ」と気炎を上げた。
 それにしても静岡から遠距離にある、古都奈良市から、わざわざ名乗りをあげたばかりの走ろう会が、招請を受ける程名が知れていたことに驚いた。行くぞと喜びが倍加した。
 奈良は45年前の戦前昭和11年、小学高等科一年の修学旅行が決まって胸躍らせていた。2月26日陸軍の青年将校等の反乱が起こり軍、政府の要人が殺害された2・26事件発生によって急遽旅行が中止となった痛恨の思いのある地である。あの時の夢を実現できることは幸運だ。58歳と高齢になった今、昔の願いを実現させながら奈良公園を走ることは二重の喜びだと、直ちに会長提案に賛同する。俺の出場の一言が引き金になったのに居合わせた45人全員が参加が決まった。
 <奈良県は健康で明るく生き甲斐のある県民生活のため《県民総スポーツ運動》を推進しております。ランニングは手軽で老若男女を問わないスポーツであります。
 その振興のために大仏マラソン全国大会が生まれました。自然と仏教文化のただよう春日大社参道、東大寺境内と歴史の表舞台のコースを、存分に古都奈良の初冬を満喫して走ってください。>大会会長の挨拶があった。
 2・26事件がなければ開けたであろう見学案内のような大会挨拶を耳にして胸を打った。
 春日大社一の鳥居から参道を300mの場所にスタートラインが引いてある。なら仏像会館前広場で開会式を終わり集団はスタート地点に移動を始める。コースになっている参道は全面に石を敷き並べてあって、こんなコースを走るのは初めてだ。走れるのかと驚いた。
 団子になっては足元を見ることは出来ない。確実に石の上に着地することは難しい。競争心は捨て周りの動きに身を任せる。前走の上下動に合わせる足運びにすると奇妙にも石の真上に着地できる走りとなった。これは有難い神の引導かなとくだらないことを考える余裕が出来た。
 大社神苑を過ぎた。団子が解けて自由になったが聖明神社前から胸を突くような急坂となる。息を切らして突き進んだところで若草山に突き当たった。右折するがまたまた登り坂。右側に立ち並ぶ旅館。土産店の店先を埋め尽くした観衆の声援に背中を押されて駆け登った。水谷川でコースは鋭角に折れ、参道目指して山下りとなる。体が前に引かれる程膝へかかるショックがたまらない。登りより大変なことは初めて知った。
 スタート手前で左折。森林を抜けて高畑町に入って直ぐ左折する。道は春日山裾木立に沿って登りになっている。右側は寺が並びそれぞれ異なった屋根の形に気を引かれながら走る。眼前が開けた。能登川の辺に出る。<春日山登り口>の道標の前に10km後半折り返しの標識を回る。一挙に坂下り県道80号に出て右折。ここから東大寺まで一直線1500メートルを走る。
 南大門〜中門前の夢の広場は人と鹿でまともな走りは出来ない。右に左に人を除け鹿を除けて歩き抜ける。鹿が付いてくる。尻に噛みつかないかと前後に振っていた手を後ろにまわして横振りしながら逃げる。鬼ごっこしているようで楽しくなってきた。
 中門前をまわって裏側に出た。想像も出来なかった大仏殿を見上げて驚いた。大仏殿の副物(そえもの)なのか、2、3羽の鴨が浮いているどんより静まり返った大仏池をまわり、正倉院を過ごし、<奈良奥山ドライブウェイ入り口>から右折して再び公園内のコースに入る。
 お堂や寺を引き連れた参道は曲折が続いて渋滞を起こす。着いた二月堂三月堂周辺はお堂の林立の素晴らしさを見て初めて奈良を実感する。
 観音院の角をまわり中門目掛けて直滑降すると気分爽快となる。足元の危険を忘れ、広場の鹿の交じった人波に目をうばわれて、鏡池畔を走り抜けた。ここから最後のコース公会堂に向かって山登り、すっかり競争心は棚上げして楽しかったコースの記憶を胸に無事ゴールする。
 歴史、文化、風景、動物と強烈な刺激を受けた奈良マラソンは初回から病みつきとなって、即座に翌年第二回大会の予約もとる。

 平成2(1990)年10月初回から連続出場している奈良マラソンから第10回全国大会参加要請の通知を手にした。
 かねがね孫たちをこの大会に引き出そうと思っていた。ちょうどその6人の最低年齢の準也とめぐみが小学校一年生となった。連れて行くのは今年だと、健康で走る楽しみを実感させたく、マラソンの立ち合いと京都奈良を見て歩く2泊3日の旅程を提案したら全員OKが出た。
 12月8日(土)9時。集合場所京都駅北口広場。静岡勢(一之、準也、祐子、めぐみ)6時静岡始発新幹線こだま乗車。岡山勢(沙希、元太)6時岡山発こだま乗車。
 旅程。京都タワー〜京都御所〜清水寺〜京都駅〜奈良駅〜奈良公園〜猿沢池畔宿泊。
 第二日。12月9日(日)午前中マラソン立ち合い〜法隆寺〜桜井市〜長谷寺〜榛原宿泊。
 第三日。12月10日(月) 石舞台古墳〜桜井市昼食〜京都駅解散のプランをコピーし、胸弾ませて郵送に出す。

12月8日9時、京都駅に全員集合終わる。
 さて出発と皆を見回したら1人足りない。祐ちゃんが見えない。どこへ行ったのか、手分けして探すことにする。広い通路を京都タワーに向かって、一之、準也は右側を、沙希、元太は左側を、自分はめぐみを連れて両側の2組に注意しながら中央を行く。旅程が始まった途端から思ってもいなかった事が起きて、子供への注意力がなかったことを反省する。200メートルも行ったタワー左側の入口の左側で沙希が祐子を連れて手を振っているのが目に入った。やれやれ一安心。
 「ここは皆はじめて、広い街だから迷子になったらうちへ帰れなくなる。手を繋いでとまでは言わないが、離れないで歩こう。」と自由を拘束するような注意を呼びかけて、「ハイッ」の合声を出し御所へ向った。
 疲れも見せず清水寺までまわって、京都タワーに着き遅い昼食をとる。午後2時には奈良に到着。マラソンコースがどのような所であるか、経験させるためにコースの一部分を歩いてみることにする。
 聖明神社前から坂登りになる。「ジージこんな坂道駆け登れるの」足運びが大変になったのか子供達から質問が飛び出した。
 これこそ一番聞きたかった質問だ。「大変だ。息が止まって倒れそうになるくらい苦しくなるぞ。だが周りを走っているランナーには負けたくない。一歩でも先に出ようと力が湧いてくる。意地を張るのがマラソンだ。そのマラソンは健康の元だ。そう思うと苦しいのが無くなって頑張れる。楽しくなってくる。ジージがマラソン気狂いになったのも、苦しさを乗り越えてゴールした後の気分とても最高だぞ。ヤッタと満足で」今までゆるんでいた皆の顔が締まったようになって俺を見上げていた。
 若草山の麓に2頭の鹿を見つけて「いいなあ、奈良は走っていると色々なものが見えて」と言いながら土産物店の前に並んだ人達に手を振っている。少し行ってコースは急角度に曲がると坂落としの勾配になる。「これは足を使わなくても飛んでいける」と子供らははしゃぎ出し雪だるまのように餅になって走り出した。
 一日中歩きまわって猿沢池畔も宿、よしだ屋に入る。まず入浴。見ていると良くしたものだ、年長の一之が元太、準也を、沙希が祐子、めぐみをそれぞれまとめて風呂に連れて行く。6人の面倒を見切れるかと心配していたが、何もかも出来るようになった孫たちを見て、自分は唯一人明日のための体調を整えるのんびり入浴が出来た。
 6人が初めて揃っての夕食は、一日中の疲れも見せず盛り上がった大騒ぎの楽園となった。
 ”京都タワーは高くて飛行機に乗ったようで凄かった”
 ”お寺があんな高い柱の上に建っているなんてどうして作ったのか?”
 ”東大寺の大仏様の手にお坊さんが乗っかっていたよ。手の長さが2メートル60センチもあり、座った高さが15メートルだった”
 子供達は物をしっかり見るようになり、しっかりした個性が滲み出ていた。年齢に応じた性格もはっきりしてきた。ついこの間までは幼稚だと見ていたが、それぞれ向かい合って話しているのを見ると、しっかりしてきた。成長したと見ることが出来て、この奈良マラソンに誘ったのは大きな収穫だったと手酌が甘くなった。
 翌9日、レースは子供連れのため9部60歳以上男子5キロメートルを走る。タイム45分11秒でゴール。104名中16位となって完走賞を受け取り、ヤンヤの喝采で孫たちに迎えられ新しい感動に胸が鳴った。
 JR奈良駅で乗車。”古拙の微笑”と言われる聖徳太子の肖像、救世観音立像(国宝)のある法隆寺を訪ねる。高さ74m日本最古の五重の塔に酔い、今まで見たことのない八角型の円堂”夢殿”に不思議を覚える。堂をひとまわりする。
 長谷寺。堂々と立ちはだかる仁王門を入る。ここから399段。恐ろしく長い屋根付き石段を登る。数えきれない登り廊に悲鳴を上げながら登った。木造古建物では屈指の大きさを誇る大建物の本堂に入る。頭の周りに飾りのように首から上だけの顔を付けて金色に輝いている十一面観音様が迎えてくれた。
 五重塔に出る。黒一色だった法隆寺の塔と異なり、長谷寺の塔は戦後29年、日本では初めて建てられたという「昭和の名塔」と言われる鮮やかな朱塗りの建物に完全に目を奪われた。
 寺の門前に並ぶように建っている旅館大和屋に最後の一夜を過ごす。明日は最後の見学地となる、日本最大級の横穴式石室をもった石舞台古墳を見て旅の終わりになることを気にしながら、来年の夏休みには富士登山に連れて行ってもらおうと鬼が笑うような相談をしながらのにぎやかな晩餐となった。
 程々子供達の情報をつかみ、自らも多くの文化、歴史を経験できた第10回奈良マラソンだった。


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