見出し画像

考える

年度末の死ぬほど忙しい日々を乗り越え、暇になった。暇になればなったで不安を感じたりするわけで、まったくもってちょうど良い気温の季節は短いなと感じる今日このごろ。

さて、考えるのが好きな自分は今日も考える。最近は、自分の作った法人であるsiroについて考えているが、その話はまた今度にするか。

先日書いた、MONGOOSE STUDIOの話があるが、このことを考えていたときに、自分が25歳だったあたりの気持ちを思い出してみた。

美大生の苦悩

自分はもともと高専に通っていたような根っからの理系なわけだけど、なんだか知らないけど最終学歴は美大だ。多摩美術大学の大学院。情報デザイン科のできたてほやほや(もしくはできる前)のころに居たわけで、情報デザインの院生というよりは、デザイン科の院生と話す機会が多かった。クラフト系の人も一緒にいたりするような不思議な場所で、グラフィックデザイン、テキスタイル、彫金、情報デザインなどなんだかごちゃまぜでとてもいい環境だった。

工学部からきた自分としては「美大生」というのに興味津々でいろいろ質問した記憶がある。「アート」について理路整然と説明できる人はあまり居なくて、当事者というニュアンスの人も多かったが、まぁやってる人ほどそういうもんかもなと思ったりもした。東京藝術大学の人たちともつるんでいたので、いわゆる「美大の人たちはどう考えるか」というリサーチ。

当時の同世代は、なんというか、「就職するのはだめなやつだ」という世代よりは若く、かといって、「就職するのが当たり前」というほど今っぽくもない過渡期っぽい時期なんじゃないかと思う。

就職しない生き様

おい、就職しないって何だよ。それにデザイン科だろ。

というツッコミが聞こえてきそうですが、本当にそういう話をしてたんだからしょうがない。適当に言うならば、「美術を志すならば、就職という道はない」という価値観だと思う。

日本ではアートのマーケットがないので、売れない作家にになる姿がちらつくわけだが、職能の特性上、誰かの下で働くという状況では作家が作家としていられないというのは、たしかにそうかもしれない。

が、それ(売れなくてもいいから就職だけはしないというプラン)が本当にいいかどうかは疑わしいという目線は持っているし、かといって堂々と「広告代理店に就職します」ということも言いにくいような空気だった。

自分の場合

自分は、はっきりと言ってなかったかもしれないが、漠然とアートの道を志しているという顔をしながら過ごしていたが、内心は「試している」という感覚で、別にエンジニアとして普通に働こうと思えばいけるだろうと思っていたので、人生で許されたふわふわしていても「立派ね」と言われる大学院の2年間を活用して試していたというニュアンスだろう。で、色々考えた結果、フリーランスで生きていくのが最も自分の適性として良さそうということは感じつつも、「ここで就職しなければ一生就職しない気がする」と思ったので、就職をしてみることにした。

おそらくこの段階で、多くの自分を知る人からは「あいつはアート離脱か」と思われただろう。どう思われても自分の人生には関係ないと思っていたが、それは実は重要なことだったと今では知っている。後悔は一ミリもしてないが。

結果、就職した会社は試用期間の3ヶ月でやめて、フリーランスになったわけだが、作家になると宣言していたわけでもない。もともと職業としてアーティストを選ぶつもりはあまりなかった。正確に言うならば、「メディアアート」という言葉を知ったのは、NHKの「ようこそ先輩」という番組で岩井俊雄さんが出た回で知った。「え、そんな楽しそうで、かつ自分向きの仕事があるの?」と目をキラキラさせて見た記憶がある。

話は戻る。

どういうわけだか、大学院のときの知り合いとか、色んな人に「松山くん、ちょっとディレクターで開発してほしいのがあるんだけど」と今はないマクロメディアのディレクター(AdobeのFlashの前身のようなやつ)で仕事してほしいというのをよく頼まれた。が、ネイティブ開発志向の自分としては「ディレクターはネイティブが書けない人が使うやつ」というねじれた解釈をしていたので、「ディレクターは逆に使えない」と言うニュアンスで返していたが、要は仕事の問い合わせは色んな所からくるような雰囲気は持っていたぽい。が、それは基本的に「松山くんなら作れるかな」という当時少ないフリーのエンジニアとしての仕事がほとんどだ。結局工学部上がりの変なやつという見え方だったんだろうし、自分もそういう売り方しかしてないんだろう。

シンプルに説明し直す

言いたいことが多くて話がそれがちになってるので、戻す。つまり、美大を卒業しても作家としてまともに食えるような生き方はない。なので、みんな悩みながらフリーランスとかで仕事を選びながら、かつ、「デザイナーとして」働くような人が多い。大学時代に立体作品を作っていた人とかは、基本的にお金に変える方法がすくないジャンルになってしまうので、グラフィックデザインとか「平面」に転向して働くとか、そういう人がとても多い。

気がつけば、仕事に追われて作品など作らないというのがほとんどの人だと思う。シンプルに作家としての生き方を模索する人はもちろんいるが、人数はとても少ないと思う。

美大に入って「これをやり続けて行きたい」と思ってる人は多いが、大学を出た途端、険しい道になるわけだ。

案外やってる自分

そして、自分はなんだかそういうつもりも無いながらも、「作品を作る」という活動をフリーランスで働いた後しばらくしてまたやり始め、仕事と並行していろいろ作っていた。そうやってなにかを作り続けるということには魅力を感じていたので、アートという匂いは薄まりつつも、「作品」と呼べるものを作っていた。振り返ると、高校ぐらいのころから、毎年一つは作品作るというのをずっとやってる気がする。おそらく、30歳ぐらいまでは継続してそういう非営利な制作をやっていた。いや現在43歳だが、今年まで継続して年1ぐらいはやってるかもしれない。(嘘かもしれないけど、便宜上やってることに)

作家活動というのは年々みな離脱していく。継続して作品を積み上げ続けることをやり続けていくとライバルが減るのだ。継続は力というのはこういう意味でもあったかと思ったぐらい、しつこいのは強い。

作品つくりたいけど作れない

今、自分の身の回りを見ていくと、「siroの仕事は素敵なものが多い」と言ってきてくれるような同業の人は、作家的ななにか作るのが本当はやりたいんだ、というようなそういう人が多い気がする。おそらく、やりたいけどそんなにやれてない、という場合じゃないだろうか。

なんていうか、もうちょっと作家であるということに対して生きる道を太くしたりできないもんだろうかと思う。イノベーションを欲する人たちが「アートシンキング」という形でアートに急に興味を持っていると思う。NFTをきっかけにアート市場が盛り上がるみたいなこともあるかもしれない。理由は何でもいいんだけど、もうちょっとこの分野の道を太くしていけないかな。

話をしてみたい

この記事を読んで、「わかります。私も作品を作りたいけど最近できてません!なんとかしたいです」と言う人がいたら、話をしてみたいので連絡してほしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?