言語モデルな私たち
ChatGPTすげーよねの話を人としてると「結局我々人間もGPTと同じく言語モデルで考えてるってことじゃないか」って話になりがち。
そのことについて考えてみる。
一回乗っかってみる
実際自分たちの思考も、想像してた思考とは違って、過去の経験の積み重ねから「こうきたらこう」を捻り出してるだけで、ChatGPTとかと似た感じなんじゃないかと。
確かにそう考えると、「まだ言葉を話す前の子供にも言葉を話しかけるのは重要」とか、「子供の頃にたくさん本読むのがいい」とか、なんとなく「脳を使うから発達に良い」くらいの抽象度で理解してたことが、より明確に「言語の学習は全てに通ずる」的なことになり、ピンとくる感じになる。
飛躍してみる
言語がどうのから少しズレるけど、経験をたくさん積むとか、反復とかの重要性はこの手の「学習」というプロセスと考えると納得感ある。
例えば娘がひたすらピアノを練習して発表会などで演奏するが、その練習の時にどれだけ本粋で弾いてきたのかみたいなことが結果に大きく影響するのも同じこととして理解できる。
自分がコードを書くようなのも、同じようなアルゴリズムだけど、何度もコード化してきたことで、アルゴリズムとか構文とかのことが体に染み込んでいきより抽象的に理解できたりする。みたいなことも訓練からの最適化みたいなのが進むんだと思う。
繰り返すことで解像度が上がるみたいな理解もイメージにあうかも。
分野を跨ぐことも
自分は分野を跨いで様々な作業をこなす。企画の方向性も考えるけど、プログラマーとしてコードを書いたり、回路設計したり、目が設計したりもする。チームを組みたてたり、プレゼンしたり。
このこともこの経験値が高まることで、より抽象的に理解され、多ジャンルを横断した最適解の導き方とかなんか様々なことがより解像度高く理解されていく。
まとめ
この辺でまとめてしまうと、以下のことがわかったと思っておく。
言葉は大事。言語化するプロセスはとても大事。言語を使って考えたり、言語にアウトプットしたり、そういうプロセスをたくさん回すことで、普遍的な思考力みたいなのが身につくと思っておきたい。(条件反射的なことだけじゃなく、思考力もおそらく)
繰り返すことは大事。何度も同じようなことをするのはむだではない。ただ質を高く繰り返さないと意味がない。だから、それは好きなこととか楽しめることだと繰り返しても質が高く保てる。その結果、より洗練された結果を出せるようになる。
非言語に理解するレベルが最も大事っぽい。言葉を介さずともその学びを活用できる感じのレベルは熟練の域。
ということにしてまた続きを考えてみようと思う。
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