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ビジョナリーキャンプの話(前編)

2019年の3月に未来館で実施されたビジョナリーキャンプですが、そこでメンターというポジションで参加させてもらいました。

ビジョナリーキャンプとは

ざっと説明すると、こういう内容です。

2019年3月23日をスタートに3日間のワークショップにて、全国から集った30名ほどの15~25歳のビジョナリーがチームを組み、アイデアを考えそれを発表する。そこで優秀賞をとった3チームが、そのワークショップで導いたビジョンをさらに考え進め、それを2019年10月より未来館で展示としてアウトプットする。

メンターは全部で6名います。研究者3名、クリエイター3名ということで、自分はクリエイター枠のほうで参加しています。

なんで今頃記事に書くのか

2019年10月から展示してますので、結構時間が経ちました。なんとなく自分のなかでも消化しきれないところがあるというか、「ビジョンってなんだ?」「ビジョナリーってなんだ?」ってことを考えてました。そんなこんなをしていたら、あっという間に時間が過ぎ、コロナの流行に突入し今日に至るというわけです。

まだ展示は続いており、節目という感じでもないのですが、ここで一度テキストに書き起こすことで自分も整理されるし、展示に興味を持った人は展示をみられる、間に合うということで、今書いてみようと思ったわけです。

チーム葛藤

担当したのは「チーム葛藤」です。3名のビジョナリーからなるチームです。そこに、研究者として山口 真美先生、都地 裕樹先生のお二人と、クリエイターとして私 松山が加わりました。未来館の宮原さん、遠藤さん、真木さんなどを交え、議論を重ねていきました。

チーム葛藤が優秀賞を受賞したときのプレゼンのタイトルは、以下の通り「テクノロジーを用いた育児の葛藤の行方」です。

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以下、自分なりに発表スライドを要約してみました。

育児に立ち向かうとき、テクノロジーが進化した2030年の未来の世界では、AIによって育児を代行するロボットが存在するかもしれない。そんな未来では、仕事に没頭しながらもロボットなどの助けを得ながら、育児を進めていけるかもしれない。だが、自分よりも子供に詳しくなっていくAIに嫉妬したり罪悪感を感じる姿が予想される。そんな感情に陥らないように、5歳児の姿をした育児ロボがあったらどうでしょうか?完璧な育児はできないけど、助けにはなる。罪悪感を感じずに使える新しいロボット。そんな5歳児ロボ、あなたは使いたいですか?

まるで笑うセールスマンに出てきそうな、揺さぶってくるようなプレゼンテーションでした。

葛藤が何度もある

ビジョナリーたちにこのプランに行き着いた過程を聞きました。すると、まず最初に聞けたのが、そもそも10年後の未来を想像したときに、自分は子供を持つ親になっているのか想像ができないという話がありました。え、育児の手前じゃんって話ですが、本音はそうだったようです。

「仕事をとるのか、母親経験をとるのか」

仕事をバリバリやってみたいという気持ちが強い3人。でも女性だし出産も経験したい。その葛藤がまずはあると。

育児の経験をする方にジャッジしたと仮定して次に進みます。すると次は、育児を楽にする道具を使うかどうかという葛藤があるわけです。というのは、育児を楽にするためにロボットに代行してもらうと、それは結局育児をしてないじゃないかということを想像して葛藤してしまうというわけです。

さらに、目線が変わり、そういう葛藤さえも乗り越えるように、さらなる工夫をし、5歳児ロボットというアイデアを提案するというのが彼女たちのプランだったわけです。

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スライドの最後のページはこれです。

「あなたは本当に5歳児ロボットを使いますか?」(喪黒福造を想像してください)

ニュアンスとしてはこういうことだと想像します。つまり、5歳児ロボットが最高のアイデアだと彼女たちも思ってるわけじゃなく、そうやって「育児をロボに頼るかどうか」という葛藤さえも乗り越えるようなものを「本当にそれを作ってもいいのか?」という葛藤がにじみ出てるわけです。

書いていて当時の感覚を思い出しました。メタ的な話すぎて、何の話してるかわかんなくなりますね。葛藤の葛藤の葛藤。

ビジョンって言うとどういうことを想像するか

難しい話になってきたので、一度違う話をします。

ビジョナリーキャンプのワークショップの3日間も立ち会いました。その期間、他のメンターのみなさんとも話しました。「ビジョナリーって?」みたいな話。

調べると「先見の明のある人」みたいなこととかビジネスにおける話を意味するような解説が出てきます。それも一つですが、人類の進むべき道を示すような文化をリードするようなビジョンを掲げることもビジョナリーの役目と思います。

そんなビジョナリーですが、私の個人的な感覚としては「日本人は苦手」というのがあります。それについて解説してみようと思います。

ビジョンというのは、なんなのかと考えたときに、それは一人の人間からにじみ出るアイデアみたいなものだと思います。いわゆる、マーケティング手法みたいな統計的なアプローチではないものです。統計を駆使して人々の動向から進むべき道を考えた場合、それは今のベクトルの延長になるわけで、それは惰性で進んでいくことと大きく変わらない気がします。ベクトルを調べてそれとは違う向きとしたらいいのでは、とも思いますが、どうベクトルを変えるのかということは、統計的な解析では導くのが難しいと思います。

ひとりの人間の内側を探索していくと見えてくるようなそういうアイデアに可能性があると思えます。でもその個人の思いつきを、人々の進むべき道だとして推し進めるというのは強烈な信頼が必要になります。ビジョナリーと言われるような人たちはそういう声の強さみたいなものを同時に持ち合わせているのだろうと思います。

日本では、歩幅を合わせるようなそんなスタイルが好まれます。人とは違う意見、人とは違う考え方は、どこか風当たりが強く、消されていくような空気があると思います。それが本当だとしたら、ビジョナリーになり得る人が良い種に気がついたとしても、人とは違う意見は消されそうになってしまいなかなか芽がでるところまで到達できない。そういう性質があるように思います。

だからこそビジョナリーキャンプがあるわけですが、難しいことにチャレンジしてるという感覚をもって取り組む必要があるんだなと感じます。

まとめ

チーム葛藤のアイデアは、とても着眼点が面白い。育児というのもなにか気になるポイントになっています。葛藤を扱うというのも意外性があってインパクトがあります。

さて、このチーム葛藤のビジョンはこの先どうやって展示に結びついていくのでしょうか。後編にそこらへんを書いてみようと思います。

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