見出し画像

有名になりたいわけではない

タイトルがすでになにかの言い訳のような、なにか逃げ腰。今日はそういう話題を書いてみる。

何かを論じるようなスタイルで書いてしまう傾向があるんだけど、確信を持っているわけじゃなくて、考えてるだけです。書くことで考える。思考の痕跡と思ってください。

良いものを作れば良い仕事が来る

もともと若い頃作品を作っていたときのマインドはこれだ。「とにかく良いものを作ることに専念しよう。結果はあとからついてくるさ。」という考えかた。

これはそれなりに良い部分もあると思うけど、しばらくそういう態度でやっていたら、「あ、違うやり方の場合のほうが早いんだな」っていうのを見かけるし、なにか運という要素が大きいとか、やる気を削ぐようなことを見かける。

若い頃、自分の周りの人達は、本当に「良いものを作ればいい」というピュアな姿勢でやってる人が多かった。だから、有名になりたいという気持ちがあったとしても、それが臭ってくるような感じではないし、実力以上の見え方を狙うみたいなことは一切しない人たちに囲まれていた。

自分はと言うと、どっちでもないという感じだろうか。ピュアすぎてアピールが下手なのもまずい感じはしてるし、かといって有名になるために近道をしようとするのも自分の生きざまとしては違う感じがしている。そもそも有名になりたいわけではない。

ただ、確実に言えるのは、良いものを作っていても発表しないと誰も見てくれないので、それは意味がない。最低限発表はしないといけない。当たり前だけどここだけは気をつけないとだめだと思った。

有名になりたいわけではないけど、評価は得たい。

多くの人に見てもらいたいかどうか問題

例えば、メディアアートの展示会とかで作品を展示した場合、そこで見てもらえる人の数というのは、来場者数の多い展示会に出したかどうかで決まる。もちろん、作った側としては、たくさんの人に見てもらえると嬉しいので、多くの人が来る場所で展示されるのは嬉しいと思う。

だからといって、これは短絡的に多くの人に見てもらえることが、あまり多くの人に見てもらえないことよりも、偉いとかそういうことではないと思う。

ビジネスにおいても、利益をできるだけ多く得ることが素晴らしいというふうに考えられると思うが、果たしてどうなのかという気もする。売上とか利益率とかそういうことだけで考えると、それは数字が大きいほうがいいとされてしまうわけだけど、そのために何かを失っているとしたら、それが良いとは言えないなと思う。

仕事のアイデアとかで「これはスケールする」とかそういう尺度というのはある。数字を追い求める価値観では、スケールするのが正義であって、スケールするアイデアだからこそ投資も集まるということだ。そこには間違いがないと思うけど、スケールするものがスケールしないものよりも偉いとかそうことではないと思う。単に、スケールするものは経済を大きく動かすということだと思う。

良いものは良い

無名な作家が作ったものでもいい作品はいい作品だし、有名な作家がつくった作品でもいい作品はいい作品。逆もあって、無名な作家が作った駄作は駄作でしかないし、有名な作家が作った駄作もこれは駄作でしかない。

有名であるということが、いい作品であるということの必要条件でも十分条件でもない。統計とかをとると、有名な方がいい作品の確率があがるかもしれないけど、有名になったらいい作品が作れるわけではない

では、なぜ有名になりたいという感覚を多くの人が持つのか。

いい環境を得る

自分の場合の話をする。自分の場合は、エンジニアと名乗っているのにその他のスキルも多く持っていて、何をやりたい人なのかとてもわかりにくいという特性がある。

人の役に立つことをやりたいと思っているし、なにかいいものを作りたいという気持ちはとても強い。自分の欲求を書いてみるとこうかな。

自分が良いと思えるものを作って、それが他の人にとっても良いと思えるもので、それを作ることで生きていけると最高。

年々改善はしてると思うけど、自分の環境がもっと良くなればいいなと思ってる。自分が心底良いと思うものを追求して、それを喜んでくれる人に囲まれて、経済とうまく付き合っていきたい。クライアントワークを念頭に言うとしたら、良いクライアントと巡り会いたいということだろう。

良いクライアントと巡り合う確率を高めるためには、知ってもらう必要がある。仮に自分の特殊性に合致する良いクライアントが世界に一定数いるとして、その人にリーチするためにはどうしたら良いのか。そう考えると確率を上げるために知名度を上げていくしかないと考えてしまう。(そもそもこの考え方に問題があるな)

Twitter

最近ツイッターでよく見るアレに違和感がある。なにかでバズった投稿があったときに、その投稿に追加ツイートして「バズったんで宣伝します」みたいなアレだ。バズった内容と宣伝する内容が絶妙にシンクロしていればいいと思うけど、全く違う文脈でバズってて、それに便乗するかのように違うチャンネルのことを広告するというのはなにか違和感がある。

違和感はあれども、それでも見てもらう頻度があがるのでリーチする確率は上がるのかもしれないが、

自分自身が良いと思えることが良いこと

いろいろ考えた結論としては、自分以外の人に評価されることに軸足をおくとこれは結構難しいことになる。自分の仕事の評価は自分でしたらいい。手を抜いた場所とかも自分はすべて知っているわけで、ある意味一番厳しい目線であるはず。その自分の評価軸で向上していくことが大事なんだと思う。外からの評価で自分の価値がゆらぐというのは弱い状態とも言える。

とは言え

ここまで、なにか有名になりたいわけではないということであの手この手で書いてきたわけだけど、結局フォロワーが増えると嬉しいという感情が湧くし、noteの記事だってスキがつくと嬉しい。なんなのこれ?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?