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売れっ子になった同級生の話

高校の同級生がとあるジャンルでめちゃくちゃ売れっ子になっていたことを知った。

久々に会った地元の友達と飲んでいたところ、「ところで、どうやらあの子がいまめちゃくちゃ売れてるらしいよ」と教えてもらい、ググってみてびっくり仰天。すごく有名なアレを教室の端にいたあの人が作っていたらしい。マジか!やられた!

本人はプロフィールをあまり詳細に明かしていないのですごくボンヤリした説明になってしまうのだが、「その業界のちょっと売れてる人」どころではない、世代を代表するレベルまで行っていたので本当にびっくりした。そう言われてみれば当時から異彩を放っていたとは思うけど、それ一本で本当に成功してしまうとは。

一緒に飲んでいた地元の友達は5杯目くらいのワインを水のように飲みながら言う。

「うちら同じ教室にいたのにどこでこの差がついたんだろうね」


同世代の友人と集まったとき、話題に上がるのは仕事、お金、良い美容皮膚科の情報、そして「売れている同世代の話」である。

別に大谷翔平や藤井聡太にジェラシーを感じるほど愚かではないが、「Twitterでのバズがきっかけで最近本を出した友達」や「地道にやっていたYouTubeがハネて今はそれ一本でやってる先輩」みたいな存在が近くにいるのが私たちの世代。
あの人も私と同じところにいたのに、いつの間にかめちゃくちゃ差が開いてね???という現象がしばしば起こり、売れた知り合いのYouTubeの再生回数をもとに収入を計算してあれこれ言うという世界一しみったれた酒のつまみが爆誕する。


わかっている。ちゃんと世間に見つかる人というのはこのようにルサンチマンを持て余して時間を無駄にせず、何を言われても折れずに自分の信じたジャンルでPDCAを回し続けていたから結果がついてきたのであって、うらやましいならお前も手を動かして何かやってみたらどうだ、というのは百も承知。

「やられた!」なんて言えるほど真っ直ぐ何かで勝負してきたわけではないからおこがましいにもほどがあるのだが、「やられた!」としか言いようがない。ちくしょー、あいつ売れやがって!という悔しさではなくて、自分のやりたいことと才能に全ベットして10年を費やせたことに対する羨望なのである。
私はというと社会通念とか経済的余裕とかを優先して、「まともな社会人」に見えそうな方ばかりを選んで来てしまったから。
普段「社会通念はクソ」などと言いつつも自分が一番安全なレールを踏み外したくなかったのである。そんな10年を過ごし、「なんでも平均以上はできるけど特に突出したところがない偏差値60バカ」が出来上がった。いくつになっても偏差値30の天才に憧れてしまうのをやめられない。

私が小器用なふりをしたバカを10年やっていた間に、あの子は恥とか将来への不安とかをかなぐり捨てて努力したのだろう。かっこよすぎんだろ。


同世代とそんな話をするとき、ああだこうだ言いつつ必ず「うちらも頑張ろうね」という会話で終わる。頑張って成功した人を腐すなんてもっとも惨めだと分かっているし、実際自分もやるしかないというのも分かっている。妬みや僻みがなんの特にもならないのがわかるくらいには大人だから。
でも何を頑張るんだっけ…?という部分が空欄だから、酔いが覚めたら忘れてしまうような「頑張ろうね」の言葉。

 

売れっ子になった友達は地元で凱旋のイベントをやるらしい。速攻でチケットを申し込んだ。
故郷にピカピカの錦を飾るあの子を見たら泣くのかな。もっとグルグルした感情が湧いてくるのかな。怖い物見たさ半分、あの頃のままかっこよくなったあの子を見て打ちのめされたい気持ち半分。自分がどういう気持ちになるのかが一番おそろしい。

チケットの当落は来週にある。

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