「JKブランド」なんてなくなればいい

 3月になり、高校の卒業式の写真をTLで見かけるようになった。卒業証書と笑顔、盛り髪やティアラをする子、しない子、花束、最後の制服。

 そんな中で高校3年の女の子の誰かがSNSで「JKブランド無くなっちゃうのが悲しい」と言っているのを見た。

「JKブランド」という単語に少し立ち止まる。

 高校生の自分たちを尊ぶ風潮は昔からあったと思う。中学の頃は早く高校生になりたかったし、可愛い制服に憧れた。高校生のとき「ウチら最強」「JK最強」とかやたら言いたがっていたし、実際最強だと本気で思った瞬間があった。そういう「今この瞬間が最高で最強で、ずっと続いたらいいのに」と本気で思えるきらめいた一瞬は、きっと時代や性別に関係なく訪れる高校生活の宝物だ。

 だけど「JKブランド」は何かそういうきらめきを大事にする気持ちとは違う価値観から生まれた言葉だと思う。野菜や魚の「初もの」とかと同じで「ある期間が過ぎたら価値が下がる」というニュアンスを含んでいる。

 でも「女子高生」ではなくなったらいったい何が失われるというのだろう。なぜ男子高校生に対して「DKブランド」とは言わないのだろう。(そもそも「男子高校生」はそんなに「DK」という記号で呼ばれない)
「制服を着ている女子学生」という記号に、世界は今までどれほどいろんなものを押し付けたり、搾取したりしてきたのだろう。

 SNSで見かけたあの子はそんなに難しく考えたりせずに「卒業するのは寂しいな」くらいのニュアンスで言ったのだと思う。だけど18歳の女性が自分で「JKブランド」なんて言わなくていい世界の方が、私は生きたいと思う。あの子たちの学生時代がキラキラしていて大切なことも、それが終わってしまうのが寂しいことも、制服も、あの子たちのものであって他人や大人が「JK印」の焼印を押して搾取するためのものじゃない。あなたの高校時代の価値はあなたが決めるもので、終わったからといってあなた自身から失われるものなんて何ひとつないよ。

 高校を卒業してからも、きっといろんな記号や役割に括られる世界が待っている。「OL」とか「ママ」とか「未婚」「既婚」その他いろいろ「●●女子」みたいなやつ。男の子だってそうだ。みんななるべく縛ったり括ったりされないで生きていけたらいいけど、実際はむずかしい。いちいち反抗するのもそれなりに苦しいから、黙って括られたり自虐したりしてやりすごしてしまったりする。
 記号は呪いだ。押し付けられていることに気づかずに、時には気づいていても自分のアイデンティティにしてしまうときすらある。場の空気を読んで「若い女」的な役まわりを自分から買ってしまったとき、私は心底自己嫌悪する。自分から「JKブランド」をうたってしまう高校生の女の子と同じだ。

 だけど、ずっとみんなで笑ってやり過ごして、ずっと変わらない未来は悲しい。悲しいから、せめて言葉にしていきたい。「あなたは高校生じゃなくなっても何歳になってもずっとあなたで生きて欲しい」と名前も知らないあの子に言いたい。「ウチら最強」なのはずっとだよ。何歳になっても死ぬまでずっと最強だよ。

 高校生が「JKブランド」なんて言わなくていい世界はやってくるのだろうか。そもそも、私が難しく考えすぎなんだろうか。どうだろう。でも毎日いろんなニュースを見て、悪意なく投げかけられる言葉で、心が折れそうになるのは確かだ。何歳になってもずっと最強だよって、自分に言い続けられるように生きていきたい。そうありたいという気持ちを諦めたくない。そんな小さな決意をした3月のはじめだった。


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