【011】未知との遭遇
お話を伺った相手:ほしさん
この「現場に居る人に音楽遍歴を聞く」企画、やろうかなとぼんやり考えてた時期が非常に長かったのですが、ほしさんがデイリーポータルZに寄稿した「学生時代のグループ名はダサくてユニークだ」という記事、こちらをまとめて冊子にしたものを読んで、あっ、やっぱり自分もやろう!と決めたのでした。始めるきっかけを作ってくださってありがとうございます。
軽く来歴を聞かせていただければ…と思っていたら、いきなり親御さんの良すぎる話が出てきて完全に笑顔になりました。親子揃って軽やかさがすごい。メンタルがギャル。
「普通、親は『クラブとかやめなさい』て言うじゃないですか。うちの母親は私が20歳ぐらいの時『あんたそろそろクラブとか行かないの?』て」
「ディスコのイメージで、それぐらいパーッと遊んできなさいよっていう意味だと思うんだけど」
「母親、ディスコにめちゃくそ行ってた世代の女で。私は絶対行かないと思ってたけど、気づいたら行くようになってた。『血』だな…」
「小学校の時、発表会とかで『ほしさん選曲係ね』って言われて、何の曲持っていったらいいかわかんなくて、親に相談したら『EW&Fにしなさい』って。教室で流したら、世代のお母さんたちに好評で」
「70-90年代のダンスミュージックは昔から家や車で流れてたから今も大好き。Bee Gees、ABBA、The nolans、Arabesque、Micheal fortunati...」
「中森明菜とか山口百恵とかのアイドルが母親の世代で、『おかあさんがここまで歌うから同じように歌って』って暗記するまで覚えさせられてたんですよ。なので、結構昭和歌謡はカラオケで歌えます。スナックに行っても困らない」
「そういう母親の影響から、ラムー大好き、(菊池)桃子大好き、中山美穂とかゆっこ(岡田有希子)も大好きになって。角松敏生にハマってレコード買ってたら、母親も昔好きだったみたいで、かつて角松敏生のライブに行った話を教えてくれた。角松敏生に手紙を出したら返ってきたって言っていたけど、本当か嘘かはわからない」
「昔から母親世代の曲を聴かされていたので、シティポップを好きになるのも必然だったというか」
「兄がベストヒットUSAを最初から最後まで全部見るぐらい洋楽好きだったので、兄が家で流していたOasis、Van Halen、Journey、EUROPE、BON JOVI、Mr. Bigとかも永遠に聴いてましたね」
「小学生でモー娘。とか嵐とかアイドルにハマって、そのまま特にディグらずに、B’zとか宇多田ヒカルとかYUIとかJ-popを愛して、中学、高校と過ごして」
「もっと妙な音楽はないものか?と小学生なりに思ってたんだけど、当時はディグるっていう発想が全然なくて...検索しても分かんないし、『この世には歌唱が伴う曲しかないんだな!』って思ってた」
「(大学の)学部の先輩に『音楽全然わかんなくて、何かおすすめありますか?』て聞いたら『tofubeatsとかおすすめだよ』、てtofubeatsの『LONELY NIGHTS』と三毛猫ホームレスの『KANEKURE』の2個(だけ)を教えてくれて。先輩はたぶんそのへん詳しかったんですね、ネットレーベルとか。でも私なんにも知らないから、とりあえずこの2つって」
「サンクラのリンクが送られてきて、『soundcloudって何なんや?』てアプリ入れて。シティポップ好きだったからそれ系検索してたらFuture Funkに出会い、関連で出てくる曲も全然聞いて『こんな音楽があるんだなあ…』」
「大学が本当に(課題で)忙しすぎて、すごく充実してたけど大学生らしい遊びみたいなの全くできないまま。就活終わったタイミングで『よし!遊ぼう!』てなって、なんか『Future Funk系のイベントがあるらしい』て一人でGladへ」
「Gladが何なのかも知らない、ほんと何にも知らない、『SMAPのコンサートで東京ドーム』とか、でかいとこしか行ったことなくて。バンドも聴くのは好きだったんですけど『ライブへ行こう!』てなったことなくて。ライブハウスとクラブの違いすら分かってない状態で突然クラブに」
「ほんと未知との遭遇、『どういうシステム?』『何でかみんなここに並んでんな?』、ここでドリンクを頼まなきゃいけないらしいけど『ドリンク』が分からない(ドームコンサートにはドリンク代がない)。とりあえずオレンジジュース頼んだ」
「小さいとこで何が執り行われてるのか分からない状態で、光とかすごいピカピカしてて、こんな世界があるんだ…なんか暗いし…てカルチャーショックで、一気に好きになっちゃって。もっと色々見てみたい、『オールナイトというものがあるんだ、へ~行ってみよ』て感じで」
「意外とフッ軽なんで、勇気だけはある。初めて(オールナイトへ)行ったのはcircusだったんだけど、安全なイベントで良かったな...そこは恵まれてた」
「パソコン音楽クラブとの最初の出会いはっきり覚えてるんですよ。『パソコン音楽クラブ』として知ったんじゃなくて、リミックスで知ったんですよ」
「the oto factryが『Inner Blue』のリミックスを作っていて、それがめっちゃかっこよかった。でも私はその頃リミックスも分かってないから『なんか…いっぱい名前書いてあんな…』」
「(SNSで)アリムラさんとかパ音とかをフォローし始めてその辺の情報をキャッチして『音楽とか作ってみたいな~』」
「大学卒業してだんだんクラブイベントとかも行き始めた頃に『Potluck Lab.』ていうアリムラさんとStones TaroさんがやってたDTM初心者の会、それが京都で開催されるって知って、京都全く行ったことがなかったんですけど、とりあえず京都行こう、と急に行って」
「思い切りだけがよくて。そこで音楽好きな友達がたくさんできたから、クラブに行くのもすごく楽しくなったし、音楽ももっと聴くようになったし、交友関係もガラッと変わった。人生変えられたかも」
「group_inouは大学時代に授業で(AC部作成のMVが)取り上げられててそこから聴いてたけど、imaiさんソロのライブを初めてみた時『会場に居る人、誰も絶対置いていかないぞ!』という気概を感じて。ライブの強烈なパワーをめちゃくちゃ体験して、ファンに」
(勇気の飛距離を一番出したgladのイベントの詳細が思い出せない)
「何も思い出せない。その頃は誰が誰だかわかんないけどとりあえず全部聴くみたいな、パ音とかアリムラさん関連に出てくるやつ全部聴いてて。今まで触れたことがないけど、かっこいー!みたいな。サンクラが私を導いてくれた」
サンクラ、マジで偉大。そして最初のきっかけになった先輩のセレクトが謎すぎて笑ってしまいました。どうしてその2曲に絞っちゃったんだ…
お話を聞いている途中、最初に行ったイベントの詳細を遡ろうとInstagramを見ていたほしさんが「インスタ、高校生からやってます。アーカイブ懐かしいってなりますね、自分と全然違う自分だから」て言っておられたのが印象的でした。自分でも思い出せない自分のアーカイブが外部サービスに蓄積していく世代、めっちゃ未来。
一方的に恩義を感じているほしさんに、今回こうしてお話が聞けて嬉しかったです。ありがとうございました。
(2024年3月某日・すたみな太郎NEXT高田馬場店にて)
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