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スターバックスコーヒーでのアルバイトで考えてきたこと。



様々な理由があるが、スターバックスでのアルバイトを辞めることにした。大きな決め手の一つに「全てが本当のことではなかった」というものがあるが、ここを深く掘り下げてしまうと確実にコンプラに引っかかってしまうので割愛。退職は一ヵ月後に控えているので、残り僅かなスタバ店員ライフをよりクリアなものにするためにも、私がこれまでどういう信念のもとにエプロンを身につけて働いてきたのかを振り返るついでに整理したい。


・スターバックスで働こうと思ったきっかけ

そもそも、スターバックスでアルバイトをしようと思ったきっかけは、私が高校生だった頃に遡る。広くて頑丈な机があって、快適なWi-Fiがあって、ほどよい人気(ひとけ)がある場所を探していた私は、それらを完璧に満たした新宿のとあるスターバックスを見つける。当時、地元のスーパーでレジ打ちをしながら小遣いを稼いでいたが、毎日スタバに通うことが出来るほどの経済力はない。なので、ミネラルウォーター一本とポテトチップス一袋で半日以上居座るような堂々たるクソガキっぷりを見せつけながら週に3~4日お店を利用し続けた。それでも、場所は使うが金は使わないこの最低な顧客に対し、ここの店員は嫌な顔ひとつしないでくれたのである。極めつけには、「お勉強頑張ってください!」「いつも来ていただいてありがとうございます!」などと声をかけてくれたこともあった。どんなに金を落とさなくても、この場所を選んで訪れてくれた人に対するリスペクトを感じた。それは私に大きな安心感を与えるとともに、大学生になったらここで働いて恩を返そうという気にさせてくれたのだ。


結局描いたストーリー通り、大学進学を機にその新宿の店舗でスタバ店員としての一歩を踏み出した。以降、一時的に退職をした時期もあったが4年の勤続年数で3店舗を渡り歩いて今に至る。大学在学中はここで働くことにフルコミットしよう(今思えば当然もっと学業に力を入れるべきだった)と考えていたので、大学ではサークルにもゼミにも所属しなかった。ここで働いていく中で色々なことを考え、色々な失敗をし、色々な挫折があった。その分色々なことに取り組むことが出来たし、色々な人たちに救われ、色々なことを学んだ。スターバックスで働くということが私にとって人生をドラマチックにさせてくれることであり、ただただそれが好きだったんだと思う。


・ずっと意識してきたこと


時期によって役割と責任、それに伴って生まれる悩みは異なれど、入社した日から今日まで変わらずに意識してきたスタイルがある。
それは、

「知らないことは答えない。」

だ。

スタバ店員にどのような印象を持つかは人それぞれだと思うが、世間一般に抱かれている大枠のイメージとして、それなりにオシャレであったりなんとなく愛想がよくてイケてるホスピタリティを持ち合わせている印象が根付いているだろう。中にはそのイメージを活用して自身の承認欲求を満たしたいがために、誠実とは言い難い振る舞いをする者も少なくはない。お客さんが相手の場合も、共に働く仲間が相手の場合も。そういう店員に、そういう人間になりたくなかった。誠実とは言い難い振る舞い、の一例に、自分が飲んだことのないドリンク(あるいはカスタマイズ)の提案がある。豊富なドリンクメニュー、そして幅の効いたカスタマイズの選択肢から自分が望むような味に極力近づけたドリンクをオーダーできるという点が、スターバックスを利用するひとつのメリットだと思うが、その味の理想を顧客からキャッチした店員が「◯◯を入れてみると美味しいですよ!」と、実際に自分が飲んだわけでもないのに完成系をイメージしただけの状態でおすすめをし金を取る光景がしばしば見られる。もちろん、顧客が理想の味を完成させるヒントを欲しがっているのに対して、店員として自分なりの答えを提示することは一切間違っていないし、それもひとつの職務だと思う。そしてまだ明らかな嘘をついている訳では無い。だが、私はそれをしなかった。気に入られる店員になることを捨ててでも、自分が確実に知っている本当の事実だけを顧客には伝えようと思った。スターバックスでの買い物は、決して安いものでは無いと思う。私なら、「思ってたのと違った」と感じる体験はしたくない。想像で物事を受け答えせず、分からないものは分からないと答える。分からない上で、これをやったらこうなるかもしれないという想像はあくまでも想像として伝えることにこだわった。

なので、分からないこと、を潰す努力は自分なりに色々してきたつもりではある。当たり前ながら、メニューに乗っているドリンクは全て最低でも二度プレーンで味わったし、オーダーの傾向(評判があるもの、人気のないもの)、他店舗のオペレーションや強みもたくさん観察し、自店舗のGoogleのクチコミも毎日目を通し、付加価値としてラテアートができるように原理から勉強して練習したり、答え(応え)られないことが内容にスターバックスのオペレーションに関係のあることは多角的にかじるようにしてきたと思う。


・これからのこと


この意識、取り組みが果たしてよかったのかはわからない。正直、カフェの店員は結局どんな顧客の顔を見た時も笑顔でいられるか、その裏で必要な所作を誤りひとつなくできるか、だと思う。素直に来店をよころぶことができない、お客様が楽しんでくださることを自分も楽しむことが出来ないようでは、レジを打つ資格もドリンクを作る資格もカウンターの中に立つ資格もないと思う。同じ空間において、人には様々な楽しみ方があるのを頭で分かっていながら、私は自分の中の勝手な線引きに重きを置きすぎて次第にスターバックスの店員としての楽しさや嬉しさや喜びを見失っていった。もちろん他にも要因はあるが、「顔も知らない人間が作り出した商品に何の責任を持てばよいのだろう」と考え始めたあたりで、徐々にこの仕事から離れる決意が固まっていった。


スタバ店員はキラキラしててかっこいい。そんなイメージは当然高校生の私にもあった。単に、憧れのひとつだったから、チャンスが来た時にそれになることを決めた。


私がどんな事にこだわろうと、私が当時なりたかったものはスタバ店員であり、そして今はそんなことを思っていないのが事実である。

いい事だと思う。

自分なりに貫きたい部分は貫いて、結果それを貫いたことで何かギャップが生まれることに気づいて新しい道を踏み出すきっかけになるのであれば。


ドトールの店員だって、タリーズの店員だって、街の喫茶店のマスターも、イケてるコーヒースタンドのお兄さんも、キラキラしてる人はとことんキラキラしている。

自分の憧れと、自分のポリシーが上手く噛み合うような舞台を見つけ、そこで誇りと責任を持って仕事をすればいい。こういう判断基準で、これからの道を選んでいきたい。


とりあえず残りの出勤をできるだけ楽しみます。

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