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未完成小説:この世界を滅ぼす

小説概要

こちらの小説は、昔にめちゃくちゃ転職したいと思っていた節に、現実逃避の為、後で清書すればいいしテキトーに書こう、と執筆していた物です。
そして、忙しくなって、飽きて、放置していたので、こちらにて公開します。
絵はテキトー。


1.1

 この世界には、魔王って呼ばれる奴がいて。

 そいつのせいで魔物が増えて、狂暴化している。

 それをどうにかする為に、勇者って奴らが選ばれて。

 魔王を倒しにいった。

 大昔っていうと、なんだか語り継がれてきた伝説みたく聞こえるが。残念ながら、ほんの数十年前の話だ。

 魔王と勇者たちの戦いは、本当にあった史実だ。

 今じゃ昔、俺たち若者にとっては「大変なこともあったんだ」くらいにしか感じられなくなった出来事だ。

 今は平和そのもので、魔王よりも国政の方が数十倍怖いし、それよりも母親の方が数億倍恐ろしい現代。

 課せられた兵役を全うする合間に、空を見上げて思うことは。

「やめてー」

 それに尽きた。

 訓練所の傍の、街を見渡せる丘で仰向けになっている奴が俺だが、訓練の休憩中というだけで、決してさぼっているわけではないのだ。

 最近の若者はとか、ヘタレだとか、そういう苦言は聞き飽きた、ごもっともですよ、はいはい。

 違う、こんな平和な時間を筋肉増強に費やす日々が嫌なのだ。

 真面目にやらないと、とても怒られるので、頑張っているが。

「正直、筋肉がついていくのが苦痛」

 毎日、鏡の前で悲しくなる。

 とてつもなく筋肉が似合わない。死ぬほど似合わない、死にたい。

 服を着ればマシだが、それでも薄目の肌着がピチピチになってきて泣きそうなのだ。

 この一見女の子(自分で言うのも何だが、美人と評して差し支えない、ほんとマジで)にしか見えない容姿を、自分なりに気に入っているせいで、何かとオカマ扱いされるが。

 それも違うのだ。自分でも意味不明な理屈だが、聞いてほしい。

 俺は、見た目と自我を乖離して見ているのだ。

 何を言っているかわからないだろうし、正しく伝わっている感は微塵もないが。

 要するに(要することが出来るか不安だが)、俺が美少女と体を共有している的な妄想染みた思考で生きているということだ。

 あー、これは変態だな! しかも、すごく変だ!

 一体これは、どういう類の精神病なのだろうかと、自覚がある分悩ましい。

 だけどもう、しょうがない、そういうことなのです。

 俺は俺という美少女(♂)が、ムキムキになっていくのが耐えられないのだ。

 そうでなくても、ところどころ男っぽさを拭い切れなくなってきたというのに。

 十八歳にもなれば仕方のない成長だ。

 今まで女性ホルモンが多く含まれるとか言われた物を必死に摂取し、男性ホルモンが分泌されるあらゆる行いを可能な限り放棄してきた俺だが。

 お母さん、ヒゲ、生えてきちゃったよ。

「世界の終わりを感じる」

 この歳までヒゲが生えなかったことの方が異常であるのだが、それでもこの健全な成長には親心(?)にも涙が出る。

 女に生まれなおしたいなんて思わない、男に生まれてむしろ良かったと思う。

 だが、ヒゲというか、なんというか、ムダ毛は本当に要らない、滅べ。

 そう叫びたい、というか叫んだ、昨日も叫んだ。

 憂鬱なのだ、俺の硝子の心は。

 ガランガランと、休憩の終わりを告げる雑な鐘の音が響いてくる。

 またムキムキになる訓練が始まるのか。

「ああ、本当に」

 本気で泣きそうな顔で空に呟く。

 どうしてそういう言葉が出るのか、自分のことなのに理解できなかった。

 自分がどうこうなりたくないから、世界が変わってくれという身勝手な自己愛なのか。

 なんでもいいのだが、とにかくどうしてそんなこと言ってしまったのか。

 今でも、ずっと後悔している。

「世界終わらないかな」

 突然だった。

 太陽が白くなり、そこから波紋のように黒色が広がり空を塗り替えた。

 状況が呑み込めなくて、変な声が口から適当にポツポツ落ちた。

 ガランガランという音も、少し離れた市場の賑わいも、聞こえなくなる。

 ようやく、何が起きているんだ、と思えた時には、手遅れだった。

 白い太陽から一筋の光が伸び、世界は白く染められた。

 凄まじい風圧と、恐らくは爆音。

 視界は白く潰れ、体は吹き飛ばされる。

 死ぬ、死んだ。

 そんなことも考えるのがやっとなくらい。

 訳が分からなかった。

 ちなみに、魔王と勇者の話なのだが。

 勇者は魔王を、倒せなかったらしい。

 なんだそれ、そんなもん堂々と広めんな、全然平和じゃねえだろこの世界!

1.2

 声で目が覚める。

 多分、自分の声で。

 戻ることのないと思われた意識がジワジワと帰ってきて、体の痛みで呻きを漏らしたのだ。

 思い切り地面に叩きつけられたのと、飛んで来たのであろう何らかにぶつかったせいだろう。全身が痺れるように痛む。

 ゆっくりと目を開いていく、空はモノクロなんかではなく、いつもの青と白で、実に落ち着いている。

 夢だったのだろうか、なんて思いつつも寝転がった状態のまま顔を動かし辺りを見渡す。

 丘の原っぱに、なぜかレンガなどの瓦礫や様々な生活用品が転がっていた。

 残念ながら、夢じゃない。

 となると、どういうことだ。

 あの光と爆発みたいなのは、街をどうしたんだ。

「待てよ」

 血の気が引いていくのを感じながら、体を起こす。

 この丘は街を見渡せるのだ、だから街があれば見える。

 街があれば。

「まってよ」

 目の前には、大きな穴があった。

 街から俺の倒れている場所から二、三歩離れた部分まで丸く切り取られていた。

 こんな大穴あったはずない。

 俺の寝ていた丘は、崖だったはずがない。

 そこに、俺の住んでいた街があったはずなんだ。

「なんで」

 弱々とした震える声を聞き、自分がかつてない程の膨大な感情に呑まれていることを感じる。

 丘のすぐ下に、兵舎と訓練所があって。

 無い。

 街の中心に広場があって、そこから市場が延びてて、学校があって、協会があって。

 無い。

 俺の、家とかがあって。

 無い。

 何も無い、深く暗い穴があるだけだ。

「なんでだよ!」

 立ち上がり、駆け出す。

 誰か、とか、なんなんだ、とか、めちゃくちゃに叫びながら、穴の縁を走った。

 誰かいないのか、俺一人か、なんで消えた、どうして助かった、残っているのは、なんなんだ、なんなんだよこれは!

 鍛えていたはずなのに、穴の半分も回れず、足が根をあげて倒れてしまった。

 ぐるぐるとろくに考えもせず、疑問だけが気持ち悪いくらいに噴き上がってくる。

 よろよろと立ち上がり、顔を上げると、やはりそこには何も無いのだ。

 せり上がる感情と共に、胃の中に残る物を吐き出した。

 やり場の無い感情を宙に投げ込むしか出来ない。

 その行為にさえ苛立ち、繰り返す。

 降りかかったストレスを払う為に出した大声と、理由がわからない涙を流しながら、疲れ果てた俺は眠ってしまった。

 気絶したのかもしれないが、そんなこともよくわからないし、そんなことは知りたいことでは無かった。

1.3

 教えて上げると言われた勇者の物語。

 それは、俺の死んだ両親の物語だった。

 勇者だった俺の両親は、魔王を倒すべく仲間と共に戦った。

 遂に魔王と最後の戦いとなった時、魔王は取引を持ちかけたという。

 魔王は自分の実力を見せつけ、現状の勇者たちではどうあがいても勝つことが出来ないと証明した。

 だが、ここでただ勇者を殺しても面白くないと魔王は言った。

 そこで、一時休戦という形を取り、魔王は勇者たちに自らを封印させた。

 その封印が解けるまでに、精々力をつけよと。

 そう言い残し、魔王は城の奥深くに封印されたのだった。

 これが魔王を倒せなかった俺の両親の話だ。

 超情けない。けど、仕方ないのかもしれない。

 長い旅で培った奥義や必殺技の数々が一つも効かなかった上で、そんな提案されたら乗ってしまう。

 どころか「良かった、結構魔王って良い奴じゃん」と思ってしまう。

 そんなこんなで仮初ではあるが平和になった現代だが。

 どうして、いきなりこんなことになったのだろう。

 夢の中での回想が終わり、寒さに目を覚ます。

 辺りは茜色がかっていて、もうそろそろ夜になる頃合いらしい。

 どんな時でも、寒いとくしゃみが出るのだな、と思いながら立ち上がる。

 穴は穴だ。それ以外の何物にも変わらないのだろう。

 広がる絶望にも、もうそろそろ慣れたのか、虚脱感のみが体に残っている。

 猛る感情ももうない。

 だが、腹は勇ましく鳴く。

 あの大粒の涙は、腹の虫に伝染してしまったらしい。

 手を握って、足踏みをして、腹を擦って。

「生きてるんだな、俺は」

 ポツリと、実感した。

 切ないし、死んでしまいそうだし、怖いし、意味不明でまた泣きそうだけど。

 俺は歩き出した。生きようと。

 とにかく、異常なことが起こったんだ。なら、また元通りになる異常事態が起こるかもしれない。

 そんなポジティブな考えを、無理やり湧かせながら。

 俺はとりあえず生きてみることにした。

「まず、メシを食べる。そして朝が来たら穴をちょろっと調べて、使えるものを探して、隣町へ行く」

 寂しさを紛らわす為に口に出して考える。

「もう、こうなってる以上は、焦ってもだめだ。歩いて二日かかる隣町に行くのは体制を整えてからにするべきですよ、賢い私はそう思います。なぜなら美少女に見えるからです」

 頭がちょっとおかしい。いや、お腹が空いてるからだぞ。元々じゃないぞ。嘘じゃないです。

 でも、これからなんとなく、俺のことを知らない人々と生きていくに当たって、この容姿はコミュニケーションで大きく武器になるはずだ。

 美少女に優しくしない人類はいない、そうだろ?

 幸い声も中性的だし(特訓の成果)、背も低いし(飽くなき探求と食生活の結果)、髪も長い(さんざん切れと言われたのに抵抗した結果)で、もう美少女にしか見えませんよこれは。

「ネックなのは筋肉」

 だが、休憩中だった為、剣はおろか、着てる服しか持ち物が無いという絶望的な現状だ。

 物理的な武器はこの身一つだ。それを考えると筋肉は削げない。

「まあ、そんな考えても仕方ないことは知らん」

 とにかく意識して女の子らしい言葉使いくらいできても損は無いだろうから、とりあえず話し言葉はできるだけ女の子を意識しよう。

「まあ、とりあえずお腹が空いたので森へ狩りに出かけたいですわね、オホホホ」

 自分で言ってて前途多難感がヤバイ。

 それはひとまず置いといて、森へ入る前に。何かしら使えそうな物が辺りにないか探そう。

 穴の周りをキョロキョロと見ながら歩いているが、ほとんどがちょっとした瓦礫や折れた木とかそんなだった。

「お、バケツ」

 へこんだ鉄バケツが転がっていた、運がいい。

 しかし、この程度で運がいいとか、本当に悲しい。

 その他、布切れといい感じの木、頼りない紐糸、くらいしか落ちていなく、それも何も拾いたい物がないから拾わざるを得なかったに過ぎない。

 これで森に入っていいのか。

「やばい日が暮れるぞ」

 かなり暗闇が迫ってきて、遠くにはもう綺麗な星空が浮かんでいる。

 正直嫌だが仕方ない、太めの木の棒と、バケツという装備で森に入ろう。

 食料は大切だ。空腹を我慢しても状況は悪くなっていくばかりだろうし。

 ならば、できるだけ元気な内に行動するのがいいだろう。

「よし、覚悟を決めて行くか、ですわ。いや、これ違うな、もうやだな、やめたい」

 女言葉ってなんだっけ、となりつつバケツと木の棒を剣と盾のようにして森に踏み込んだ。

 夜の森は暗い、怖い。整備されてるわけもないので鬱蒼と生い茂る草をガサガサと踏みしめ、太い木の根や転がる岩に注意しながら進む。

 土と草の湿った臭いが鼻につき、とにかく不気味だ。

 普段から汚れるのが嫌な俺は、こういった場所には極力近づきたくないと思っていたのだが、いまは仕方ない。

「けど、いやだぁぁぁ」

 靴が汚れる、衣服に変な葉っぱと種がつく、髪が枝にひっかかる、虫が飛んでくる。

 一歩ごとに悲鳴を上げながら、筋肉がそれなりにある美少女のような男がへっぴり腰で森を行く。

 だめだ、なんだこいつ、変な奴だぞ。大丈夫か。

 客観的に自分を見ても、恐怖を誤魔化すことはできそうにない。

 はやく、なんか木の実とかでいい、見つけて出よう。

「あれ」

 遠くに、赤い光が見える。

「え、もしかして誰かいるのか」

 生まれた希望はすぐに消えた。

 その赤い光の方からグルルという感じで唸り声が聞こえたのだ。

 あ、魔物ですね、あれ二つあるから目玉だな。

「目玉ということは小さいからもともと、よって遠くにあるなって思ったそれは実際には単に小さいだけで、割と近くにそれはいるってことですかね、ああああああああ」

 言葉に出してパニックをやわらげていたが、途中で赤い光がこっちに向かって近づいてきたので、とりあえず走り出した。

 もしかしたら見つかってなかったかもしれないのだが、いや、もう知らん怖いってなって隠密行動は投げ捨てた。

 というか、待って。森に棲む発光する赤い瞳って、殺戮猫さんでは?

 殺戮猫は非常に獰猛な肉食の魔物で、一端のなんちゃって兵士が倒せるような雑魚なんかじゃないんだよ。

 正式な兵士でも二、三人いないと手こずるんだよ、油断すると死ぬんだって、怖い!

「逃げます、逃げますって、だから来ないでください、お願いです、助かりたぁぁぁあい!」

 来た道かどうかもわからずに、とにかく走る。

 手に持ったバケツがガコガコとぶつかりまくっている。

 これを持ってると、音でずっとついてくるのではないか。

 という判断すらできなかった。

 徐々に後ろから聞こえる足音は近くなっている。

 いよいよ、逃げる以外の行動を取らないといけないのだろうかと薄っすら考えかけた時、森の外が見えた。

「ああああああ!」

 明確な言葉にならない歓声を上げ、俄然スピードを上げる。

 やった助かる!

 そして、追いつかれずに森の外に出ることが出来た。

 穴は相変らず存在するが、良かった戻ってこれて。

 やれやれと振り向くと、そこには殺戮猫さんが居られた。

「え、あ……ま、そうですよね」

 なんで森を抜ければ助かると思っていたのか。

 森から出ても、俺を殺そうとしてきますよね、普通。

 殺戮猫の体は、月の光に照らされて白黒のぶち模様が綺麗に見えていた。

 視界は良好だ。相手からも。

 障害物は周りになく、少し後ろは奈落の底。

 森にはもう入りたくないし、入ったら見えない。

 殺戮猫はどう見ても俺の肉を食いたがっているようにしか思えない。涎がすごい。

 手にはべこべこのバケツと木の棒。

 相手は鋭く伸びた爪と尖った牙。

「あ、これはダメかもしれませんね」

 途端、飛びかかって来た。

 前足を突き出し、口を大きく開き、飛びついたらそのまま食いちぎるコースのようだ。

 それを寸でで躱して必死に距離を取る。

 間合いを取って、考えるんだ。

 敵から目を逸らしてはいけない、集中しろ。

 頭を何とか戦闘モードに切り替えていく。

 まだ戦術論とか、技術の段階ではなかったので訓練所では体作りと軽い精神論くらいしか教わっていない。

 やっぱり、これはダメなのでは。

 飛び掛かられて、避け、爪が当たりそうになれば、バケツで流す。

 防戦一方で、このままでは本当にやられてしまう。

「ああ、もう、どうすればいいんだよ!」

 何度目かの飛びつきを躱すと、突然ぐらりと体勢が崩れた。

 思わず、前に体を倒してバランスを取る。

 なんだ、と思い足を見ると、地面がもう後ろにはなかった。

 いつの間にか穴の縁まで追いやられていたのだ。

「あぶなっ!」

 とか言ってる場合でも無いのだ。

 思い返し、目を向けると既にこちらへ飛び掛かっている姿が映った。

 死の危険を感じると、世界がスローモーションに見えると聞いたことがあるが、まさにそれだった。

 ゆっくりと迫る爪と牙に、同じ速度でしか動かない体。

 だが、思考だけはそれの数倍の速さで回る。

 おかしな感じだ。

 でも、そんな感想を抱いている場合じゃない。考えるんだ、猶予があるならば、死なないで済む方法を。

 もう避けれる体勢じゃない、だが、戦って勝てるとは思えない。

 逃げれないんだ、後ろは穴で、前は魔物のテリトリーだ。

 木の棒はいつの間にか持ってないし、バケツはボロボロ。

 くそ、どうしよう。こうなったら一か八か穴に飛び込むか?

 いや、死ぬだろ、深いもん。

 ん? そうか、穴か!

 いくらスローモーションといえど、すぐそこまで爪は伸びてきている。

 思いついたなら、それに縋るしかなかった。

 バケツをはめた手を、殺戮猫の腹下に入れる。

 届いた爪が肩を割き、痛みが血とともに吹き出る。

 体験したことの無い痛みに思考が飛びそうになるが、何とか堪えた。

 潜り抜けるようにした体に、殺戮猫が噛みつこうと爪を食いこませたのと同時に腕を思い切り振り上げた。

 勢いで飛び上がった殺戮猫の体は宙に浮き、地面に着地することは――落下寸前のギリギリで奴は踏みとどまった。

 まだだ!

「そこは!」

 奴が反応するよりも速く駆ける。

「落ちろよ!」

 その勢いで蹴りを入れる。

 どこにこんな力が残っていたのか不明だが、殺戮猫は悲痛な声を出して地面から完全に切り離された。

 羽根など生えていないそいつは、そのまま穴に吸い込まれるように落ちて行った。

「やった」

 激しいがとても地味な戦闘が終わり、静寂の中で自分の荒い息遣いと心臓の音だけが鳴り止まない。

 そのまま倒れこみ、満天の星空を眺めながら、せり上げる物を拒まずに嗚咽を漏らして泣く。

「もう、やだ」

 死ぬかと思った、というか死んでた。生きてる、良かったけどなんでだ、怖かった、最悪だ、もうやだ。

 腹は減ったままで、火も焚けないし、雨風も凌げないし、独りぼっちだ。

「だれか、たすけて」

 ただただ泣き疲れて眠る、そんな最悪の一日がやっと終わる。

 だけど、どうか悪い夢であってほしい。

 明日なんて来なくていいから、昨日が戻ってきてほしい。 

 こんな世界、滅んでしまえ。

 また性懲りもなく、そんな事を思ってしまうのだった。

1.4

 俺が寒さと空腹で朝を迎えたのは言うまでもない。

 地味な死闘からどれだけ寝られたのだろうか。

 まだ日は昇り切っておらず、夜の寒さがまだ残っている。

「腹が減った」

 さすがに何か食べないと動けなくなりそうだ。

 両肩の傷も血は止まったようだが痛い。

 なんで俺はこの傷を放置して寝れたのだろうか。

 死にかけてたのかやはり。

 まあ、顔に傷がついてないだけ良かった。

 薬草なんか見つかればいいなとは思うが、まったく見分けはつかないので諦めよう。

「今日は上手いことやるぞ」

 昨日の失敗を踏まえて、森の奥に行き過ぎないように木の実なんかを探すことにした。

 昨日拾ったバケツはベコベコになったり、爪の形に裂けてたりする。もはや使い物にならなそうだ。

「本来の用途ではな!」

 ちょっとでも硬くて手に持てる物は持っておく。

 何もないよりはマシだ、だって何もないから!

 もう、むしろ踏みつけて出来るだけ平にしてしまおう。

 足でふみつけ、できるだけ平にした後に、拾った紐糸で胴体に括り付けた。

「バケツプレート装備ー」

 子供の工作だ、これ。

 しかし、無いよりマシなんだ。

 そう言い聞かせて手ごろな木の棒を拾い森へ再び入った。

 やはり、明るいのと暗いのでは雰囲気が全然違うな、と実感する。

 どことなく爽やかな気分だ。

 まあ、虫は相変わらず怖いが。

 ざっくりと森の入り口が見える範囲で周っていくと、それなりに食べられそうな木の実はあった。

 火がないのでキノコ類や小動物の類は見逃すことになる。

 そこら辺の大きな葉っぱで入れ物を作り、詰めれるだけ木の実を摘んでいく。

 適度に食べつつ少しでもお腹を満たす。

 しかしこれ、一粒が大きくても小さな苺ほどしかないから、いつになったら腹が膨れるのだろうか。

 あまり食べすぎてもダメだとわかっているが、結構採れたのに二日保つかも危うい。

 やはり、早急に火を。

「いや、待て。どうしてサバイバル生活を続けていくことになっているんだ。隣町を目指せばいいだけ、ですわよ」

 別に思い出す必要もなかったが、女言葉を練習するのだった。

 しかし、女言葉って本当に何だろう。

 まず、実際に周りの女の子たちは「ですわ」とか言っていたか?

 いや、そんなことない気がする。

 男ほど強い口調の言葉を使ってはいなかったが、そうそう変わらなかった気がするのだ。

 だからわからないし、思い出せないのだろう。

「じゃあ、つまり。喋り方やら考え方を女の子よりにする必要があるのではないか」

 そんな気がするので、一人称以外はあまり変に意識せずにいよう。

 そう結論付けて、森から退散する。

 昨日の経験が生きたのか、朝だからなのか、魔物と出くわすのは避けられた。

「この抱えるしかない木の実をどうにかしたいな」

 腕には収穫した木の実を包んだ葉っぱの袋が二つ。

 邪魔の一言であるが、捨てられない。

 なにかでカバンのような物でも作れないかなと、思うが、あまり期待はできない。

 とりあえず、そんな重量ではないので持ち運ぶことにしよう。

「今日の予定を発表します。食料を確保したので、穴を一周して調べてみます。その後、森の街道を歩いて隣町を目指します。以上です」

 反応は無く、風が吹くばかりであった。

 虚しくなっていても仕方ない。行動しよう。

 穴を見ながら、深さはどのくらいだろうとか、なんでこんな事になったのだろうとか、観察と考察を繰り返しながら半周して、飽きる。

 いや、もうなったものはなったし、わからないことはわからないよ、だって美少女だもん(♂)。

 ただ、もしかしたらと、頭の隅に浮かんだのは魔王のことだ。

 魔王の封印が解け、今度こそ本気で世界を滅ぼそうとしているのならば、こんなことも起こり得るのかもしれない。

「倒しとけよ、バカ勇者」

 顔も覚えていない両親に悪態を吐きつつ、穴とは別の方向を向いて使えそうな道具を探す。

 勇者ご一行だった俺の両親は仮初の平和が訪れた後、俺を産んですぐに修行の旅へと出たのだという。

 俺は母方の祖母に育てられ、十八歳までこの街で生きてきたのだ。

 どちらも、もう無いのだが。

 鬱になりそうなので、考えないようにするべきだなやはり。

 大丈夫、きっとどこかにテレポートさせられたとかそういう感じだろう。こんな綺麗に全部消えるわけない。

 そう言い聞かせて、瓦礫の中に視線を戻す。

「え、うそだろ」

 気分が沈んだ俺を勇気づけるかのように、瓦礫の隙間にそれはあった。

「バケツだ!」

 あまり潰れていない鉄バケツがそこにはあった。

 二個目だ。すごい。

 持ち上げて確認するが、どうやら新品の売り物だったようだ。値札が付いてる。 

「しかも、相場より高め」

 こんな良いバケツもらっちゃっていいんですかね。

 と、謎にテンションがあがってしまい。

「もう、無敵だわ。ちゃちゃっと隣町いこ、余裕余裕!」

 と、意気揚々と木の実をバケツに入れて歩き出した。

 確かに、これ以上探しても、何も得られなかった可能性が高いのだが。

 この時の俺は、やはり魔王を倒さなかったバカ両親くらいバカだった。

1.5

 ここまで自分の街について語らなかったが、暇なので語ろうと思う、鬱にならない範囲で。

 街の名は『ルーレスト』。鬱蒼とした森に四方を囲まれた田舎の街だ。

 森にはある程度狂暴な魔物もいるが、街は壁で外周を覆っているので今まで大きな事件は起きてこなかった。

 森を破壊するのは古くからこの地に住む人々のあいだではタブーとされており、今でも尚、それが守られている。

 その為、最低限の伐採と舗装で幅の広い街道一本だけを造り、交易をしていた。

 紹介はこれくらいにしておく。

 今では単なる穴になってしまったし。

 待って、泣いちゃいそう。

「あー、喉が渇いた」

 歩き出してどのくらい経っただろうか。

 陽の傾きを見ると、もうそろそろ昼か、それか過ぎたかだ。

「正直、太陽の位置なんかで時間はわからん」

 天文学者だったらなー、とか思いつつ、木の実を少し食べる。

 茶色の皮と白布でできた訓練着だが、木の実の汁が飛んだり地面を転がったりして、だいぶ汚くなっている。

 替えにもう一着支給されていたが、そんなことは思い出すだけ無駄である。

 いや、せめて川とか湖とか、とにかく水場で服も体も洗いたい。

 自慢のキューティクルが、ゴワゴワになっているのが嫌だ。

 森の中に湖というか、なんか湧き水とかあるイメージなのだが、絶対に入りたくない。

 となると、隣町までの道中に期待するしかない。

 まず、俺はこの街から出たことがないので何も知らないのがネックだ。

 歩いて二、三日というのも友人のベイトから聞いた話だし。

 そういえばあいつは、親父が商人だからよく街からでて一緒に各地を周っていたんだっけ。

 もしかしたら、運良く、穴ぼこビーム(あの現象につけた名前だ)に巻き込まれずに済んでいるかもしれない。

 希望は膨らむが、それは一先ず置いておこう。

 まあ、そいつから聞いている話だが、街道をまっすぐ行けば隣町に着くという。

 『ロハンド』という街であり、小さいながらも活気があって人口も増えてきているらしい。

 こじんまりと長閑にやっているブーレストとは違って、都市認定を目指して頑張っているのだとか。

 楽しそうなところだな、と思いつつ、ブーレストの現状を伝えねばならないという使命感を忘れてはならない。

 こんなことが起こった謎を解き明かさなくてはならないのだ、一刻も早く。

「俺……いや、私よりも頭のいい人に!」

 調べてもらわねば、美少女には無理。

 森の道をようやく抜け、まだまだ長い平野の先に、川が流れているのを見つけた。

 思わず無言でダッシュしてしまったが、ちょっと遠いから落ち着け俺。

 足をなだめつつ川を見据えると、笑顔が止まらない。

「水だー!」

 嬉しい、飲める(安全かどうかは考慮しない)、浴びれる(浴びれる!)、洗える(洗える!)、素晴らしい!

 肩の血もようやく洗い流せる。

 触ると、痛いし、傷口がグロい。

 なんで平気で歩いてるのかわからない、怖い。

「いやー、それにしても」

 川が近づいてくると、中々綺麗な水質のようで、遠目からでも綺麗な印象がある。

 おそらく、遥か遠くに見える高い山から流れ出てるのだろう。

 いや、一日でも風呂に入れないと辛いのに、ほぼ二日水にさえ触れていない。

「これで、火さえあればなー」

 火打ち石とか常にポケットに忍ばせておくことにしよう。不便すぎる。

 結構歩いて疲れたし、あの川の橋の下あたりで今日は休もうと考えていると、川の上流側の方に黒い何かが動いているのが見えた。

「んー、人かな?」

 わかっててそう言ったのだが、もちろん人であるはずがない。恐らく四足で歩いていらっしゃるもの。

 ということはだ、魔物か動物ですね。

「動物っていうカテゴリは敵対反応を取っていない魔物ってことですから、つまりは魔物なんですけどねー」

 それで、ここからでもちょっと大きいなってわかるのだから、殺戮猫とか中型のより単純に強そう。

 まあ、あくまでそんな印象だよねというだけである。

 もちろん大きな草食系魔物だって存在する。

 まあ、怒らせるとそこらの魔物なんかより強いけどね。

「ここらで大きな魔物で黒っぽいって言ったらそうだねー……穴熊」

 穴熊、魚を好んで食べるが、人も食べる。

 縄張りに敏感で侵入したモノは大抵殺す。

 そう習ったよ、学校で。

 ちなみに穴を掘ってそこに住むので穴熊と呼ばれる。

「いや、いやいやいや。テリトリーじゃないよ川はー。テリトリーだったとしても、あの上流付近だけだって。だってここ街道だよ? 人結構行きかうよ? 大丈夫、橋は、ほぼ街道だから安全だよ!」

 凄まじい嫌な予感に汗が噴き出してくる。

「でも、まだあれが穴熊と決まったわけじゃない、そうだろ? 落ち着けって、もしかしたらなんだろう、えーと、もしかしたら、とにかく違うって違うよ穴熊ではない!」

 自分を諭しながら川までもう少しの場所まで歩いてみましたが、間違いない、あれは穴熊さんです。

 まだ離れていますが、もう、わかるわあんなん。

 シルエットが熊だもの。

「なんでこっちに歩いてきてるんだよ、もっと他に行くとこあるだろう」

 とにかく向こう岸に渡ってしまおう、川は渡って来ないだろう多分。

 そう思いながらも、走ると犬みたいに追ってきそうなので、なるべく気にしないように速足で橋を渡る。

 しっかりした木製の橋で、馬車が通ってもびくともしなさそうだ。

 よって穴熊も余裕だろう。怖い。

 ビビりながらもチラリと穴熊の方を向く。

 橋から少し離れた場所で立ち止まって、明らかに俺をガン見していた。

「あっれーなんで興味津々なのかな? しかも二足歩行化してますけどー? これ食われる? 食物連鎖的な意味合いで食される?」

 小声で心境を捲し立てつつ、変な音を立てないようにバケツをしっかり抱えて小走りで橋を渡り切る。

 穴熊はジッとこちらを見ている。

 今の所は大丈夫かもしれない。

「もー、さっさと通り過ぎてどっか行ってくんないかな」

 様子を伺おうと橋の下に降りたら、橋の土台の木組みにドデカイ引っ掻き傷が刻まれているのを発見した。

 あ、ここおもっくそあの方の縄張りですわ。

 ジャプンという水の音が聞こえた。

 目を向けると、穴熊さんが何か言いたげに川を横断して来ている。

「こ、これは違います! 決して縄張りを私の物にしようとしてるわけでは! うわああああ!」

 逃げるしか無かったもう。

 折角の水も触ることさえ出来ず、疲れと汚れを溜め込んだまま走り出すこととなる。

「誰か助けてー!」

 一刻も早く、美少女に優しい世界に行きたい。

 あ、また空が暗くなって来た。

1.6

 割と必死に逃げたが、穴熊は意外と追って来なかった。

 それでも川が見えなくなるくらいは走ったので、もう隙を見て川へダイブなど出来るわけもない。

 どうしてこうもついてないのか。バケツを拾ったのが最大の幸運とカウントされて、しばらくは不運で埋め合わせしないとダメなのか。

 バケツなんかでそんな喜べないよ、喜んだけど。

 でも、考えてみると穴ぼこビームに巻き込まれなかったのが最大の幸運なのだろう。

 同時に最大の不運とも感じるが。

 あれに巻き込まれていたら、どんなに楽だったのだろうか。

「そんなこと考えちゃダメだな」

 生きてる者が簡単に楽とか決めつけてはいけない。

 それに、もしかしたら助けられるのは自分だけなのかもしれない。

 何もわかってないというのは、可能性が無限にあるということとも言えるのだ。

 屁理屈だと思うが、そうでも思わないと耐えられない。

「でも、まず水が欲しい」

 木の実では充分な水分は得られない。

 どうにか水を手に入れないと、隣町に着く前に倒れてしまうかもしれない。

 辺りはちらほらと森や林が点在しているが、規模はそこまで大きく見えず、湧き水を求めて彷徨うには望みが薄そうだ。

「かと言って、大きな森に望みがあるとは言えないし、入りたくもないけど」

 トラウマだよ、実際。

 まともな武器があれば、話はだいぶ違うのに。俺の装備は装備とは言えない物しかない。

 というか、まず、また木の棒がどっかいった。

 もう、持つ必要ないのではないか。

 薄情にも程がある、こんな美少女を置いて消えるなんて。

「落としたのは自分だし、美少女に見えるだけで男なんですけどね」

 もう、汚れすぎて美少女とはかけ離れてしまっている気がする。

 アイデンティティの消失だこれは、つらい。

 俺から美少女要素を取ったら、単なる女装趣味の変態になってしまうのではないか。

 それだけはやだ。これについて、考えるのをやめよう。

「あー、陽が落ちる」

 もうほとんど夜になってしまった空を見上げ、そろそろ寝床を探さなければと焦りが生まれる。

 出来るだけ安全な、すぐ逃げれる場所が理想だ。

 そんな場所、あるのかな。

 街道を行く人々の野営地は大体決まっているそうだが、 火とか食料とかは、もちろん持参だ。

 そして、その場での安全性も自己管理だ。

 それなら、どこで寝ても俺の状況なら同じなのでは。

「いや、皆が同じ野営地を使ってるなら魔物が寄りづらいとか理由があるはずだって、どこで寝ても同じなら、そこで寝たって同じだろ」

 一人で会話するのにも慣れてきたな。

 慣れてはいけないことな気がするので、一刻も早く他の人間に会いたい。

 しかし、地図も情報も無いので野営地が何処なのか、街道に近いのかもわからない。

 イメージでは、ちょっとした森の入り口とか、荷馬車を停めて置けるスペースがある、簡単に出入り出来る場所だ。

 そんなん幾らでもあるわ。そこでもいいよ、なんならここでもいい。

 開けた平原の道を進んでいるので、その程度の条件なら何処でも該当するのだ。

 おそらく、火を使うから草が生えて無いというか毟られているはずだが。

 まあ、もう見つからなかったらそこらに寝よう。

「難民って、こんな感じで生まれるのかな」

 世知辛い。もしそういう方に会ったら優しくしよう。なんなら一緒に暮らそう。

 ただし美少女に限るのだが。

「あー、もう、本当にどうしよう」

 野営地を探そうと辺りを見渡すことさえ億劫だよ。

 というか、もう、いい感じの岩場とか森の中で見つけた方が早いのでは。

「絶対嫌だ」

 だよね。

 ん? 俺いま、勝手に喋った?

「そんなまさかな」

 トラウマが先行しただけだ、きっと。

 寂しさのあまり人格を二つに分けつつあるとかでは無いことを祈る。ほんと祈る。

 それにしても林と森と平原と山しか無い。

 これなら本当にそこらで寝ても同じだ。

 野営地なんて見つからないし、もしかしたら馬車と進み具合が違うせいで馬車での野営地はまだまだ先なのでは。

 歩いて二、三日と言われていたのだが、馬車なら一日だったと聞く。

 ということは野営地が無い可能性も高いのでは。

 思い至って、思わず倒れそうになる。

 なんてことだ、馬車社会が憎い。

 馬持って無い奴は、魔物に襲われてしまえと言うのかブルジョワジーめ!

 馬どころか剣も盾も金も無いんだぞ俺は!

「あ、そうか。金もないのか」

 これは隣町についたら必死に可哀想な美少女を演じる必要があるな。

 金がなければ媚びるしかない。

 まあ、その前に今日の命なのだが。

 木の実を食べつつ、もうテキトーにどっか寝床はないか見回して歩く。

 森はやだ、雨も降らなそうだし、見通しの良いそこら辺の方が良いかな。

 もうしばらく歩けば山に突入しそうだけど、流石に山は怖いな、出来ればあの林の側にある小屋に泊めて貰いたいけど、知らない人だしな、やめとこう。

 となると、やはりあの一本生えてる背の高い木の下が良いかな。

 近づいて行くと、平原の土は草が柔らかく昨日よりは快適かもしれない。

 木も大きめで、もし雨が降っても心配は無さそうだ。

 腰を落ち着けて一息つくと、星空を楽しむ余裕も生まれる。

 うん、割と良いかもしれないな。

「んー、でも、待って、待って待って待って待って!」

 何かスルーしてはいけない物があった、ありましたよ!

 立ち上がり、正反対の位置にある林を凝視する。

 そこには、確かに小さな小屋があった。

 どうして見えてたのにスルーしたんだよ、意味わかんねえよ。

「やった、人が! 人がいるかもしれない!」

 嬉々として猛ダッシュしながらもバケツは手放さず、小屋まで一直線に向かった。

 近づくにつれて、その小屋は小さな木こり小屋で人が常時住んでいる類の物ではないとわかった。

 人に会えなかったのは残念だが、魔物の恐怖に怯えず過ごせる場所というか、文明的な場所で一夜を明かせるというだけで嬉しかった。

 朽ちかけているということもなく、そこそこ綺麗で、定期的に持ち主が整備しているのが伺える。

 入り口前の階段をジャンプで飛び越え、扉に手をかける。

「お邪魔します!」

 ガンッ、と扉は音を立て、開くことは無かった。

 視線を落とすと、錠前が掛かっている。

 ドアノブを押す。

 ガンッと音が鳴る。

 開かない。

 なんでこんな小屋に錠前なんて掛けるの、裕福なの?

 でも、そんなこともあるとは思ってた、上手く行くはずないんだよな、最近の俺は。

 本当悲しい。

「もしもーし、誰かいますかー?」

 ノックしながら聞いてみる。

 反応は無い。

「中に誰もいない、明かりがないからわかってたが、寝てるだけという可能性もあったしね」

 扉から離れ、窓の前で止まる。

 硝子なんてお洒落なものではなく、薄木で上に開くように作られた窓だった。

 触ってみると、壁よりも全然薄かった。

 よし、壊せる。

「お邪魔します」

 バケツで思い切り窓を殴った。

 それはもう力の限り。 

 ベキンと折れる窓板、四、五発殴りつけると何とか入れるくらいのスペースは開いた。

「すげえ、手が痛い」

 殴る度バケツに拳が当たるのは、思いの外痛かった。

 けど、とりあえず小屋の中に入ろう。

 壊れている窓を開いてよじ登る。

 割れた木面に刺さらないように注意して入り込む。

「暗いなぁ」

 薄っすらと天井からランプが吊るしてあるのがわかる。きっとどこかに火種があるはずだ。

 しかし、窓から差し込む夜明かり程度じゃ、手探りで探すのは厳しい。

 とりあえず、どんなものがあるのか確認しようとした矢先にベットを発見した。

「お、おぉ」

 思わず声が漏れる。

 まだ二日しか経ってないはずなのに、ベッドがこんなにも懐かしく愛おしい。

 両手をついてみる、良いベッドとは言えないだろうが、現状ならばこれ以上の物は無いくらい素敵なベッドだ。

 掛布もある、すごい。ちょっと湿気があるが、窓が閉められていたから仕方ないのだろう。

「うん、そろそろベッドの確認は良いだろう。さて、この後はどうしようか」

 気づけば、ベッドに横になっていた。

 掛布まできちんと掛けていた。

 困ったな、これは。罠だったようだ。

「くっ! 寝るしかないな!」

 きっと俺がここに来ることを見込んで、魔物が張った罠に違いないのだが、抗えない、眠い。

 などと戯言を考えつつ、今日はおやすみします。

 明日頑張ろう。

1.7

 目覚めると、小屋の中だった。

 そりゃそうだなと、思いつつ、完全に覚醒するまでボーッとベッドで寝ころんでいた。

 隣町までどのくらいだろうか。

 できれば今日中には着きたい。

 一刻も早くこの生活から、この状況から脱しなくては。

「もう、ここに住みたい」

 思っていることと正反対のことを口走る。

 心よりも体の方が正直ってなんなんだ。

「私ほどの美少女が、なんでこんな目に合わなければならないのか。人類最大の謎だ」

 もう、男だけど的な下りは省いていいよね、美少女ってことにしよう。

 奇しくも人類最大の謎に行き着いたわけであるが、そんな解けるはずもない謎は放っておく。

 今日は小屋を調べて、使えるものを持って隣町を目指すのだ。

「やっぱり窓を開けないと暗いね」

 小屋についてる窓をすべて開けると、ようやくはっきりと中が見える。

 作業台とちょっとしたかまど。戸棚に道具置き場。

 外には薪と斧があった。

「ようやく、ようやくまともな装備が!」

 斧を手に入れた。

 問題は使ったことがないというのと、あくまで薪割り用だということだ。

「斧を持つ美少女ってどうなの?」

 美少女はなんだって許されるのではないかな、とだけ述べておく。

 どうでもいいわビジュアルなど、大事なのは生き残ることだ。

 小屋の中には、水筒と水瓶があった。

 水筒は空だったが、水瓶には多少水が残っていて、お腹を壊しても良いという気概で喉を潤した。

「うぇぇぇ、みずだぁぁぁあ」

 半分泣きじゃくりながら飲んだ。美味かった。

 不幸中の幸いとは、正にこの小屋のことだ。

 水筒に入るだけ入れ、残りは布に浸して体と傷口を拭った。

 傷は染みたが、痛みは酷くない。どころか、普段は気にしなければ傷があることさえ忘れてしまうほどだ。

 直に触れてみると、カサブタになっていた。

 もしかすると大したことなかったのか。

 いや、結構最初は抉れてた気がするけどなぁ。

 考えても仕方ないし、ずっと処置してなかったので、遅い気がするけど見つけた包帯で左肩を保護する。

 右はそこまでじゃないので放置だ。

 これからのことも考えて節約しなければいけない。

 多少水は残っているが、さすがに洗濯はもったいないので、我慢する。

 どのくらい滞在するかはわからないが、残しておいて損は無いだろう。

 他に使えそうなものが無いか調べていると、ついに腹の虫が鳴る。

 木の実はもうほとんどない。

 小屋に食料の備蓄は無さそうだ。

 これは狩りに行くべきだが。

「でもとりあえず、火をつける道具があるかだけ確認しないと」

 そう、火があるか無いかで獲物が変わる。

 肉も魚も火を通さないと食えないしな。

 多分。試したことないからわからないが。

 残りの木の実をかじりながら、作業台付近の戸棚を漁っていると、小さめのナイフが出てきた。

 目的の物では無いが、調理とかに使えそうだ。

 その横に、箱のような物があった。手に取るとすぐに何か分かった。

 火口箱だ。火打ち石のもっとすごい奴と言ってもいい。

「よしよしよーし! 天は我に味方してーいる!」

 いやぁ、おかしいと思ったんだよ、不幸過ぎたもんね最近。

 やっと美少女に優しい世界が近づいて来てるね! 男だーけどね!

 それから、見つけた布の背負いカバンにロープとナイフ、水筒、包帯、火口箱、そして無理やり掛布を詰めた。

 すごい、ここに来て一気に装備が充実してきた。

 感動していても、腹の音は収まらず、そろそろ木の実で誤魔化すのもきつくなっていた。

「大丈夫、火もある、斧もある。お腹の虫よ、もう少しの辛抱だ。肉を食おうぞ!」

 斧を取りに行こうと勢いよく扉を開けようとすると、ガンッと硬い音が鳴った。

「あぁ、窓から入ったっけね」

 扉は錠前が掛かっていたのでした。

 となると、いちいち窓から出入りするのは面倒なので、カバンを背負ってそのまま出ていけるようにするか。

 窓から出ようと作業台に足をかけた時、バケツに目が行った。

 ベッドの横に置いたままのひしゃげたバケツ。

 ここまでついてきてくれた仲間だが、この先の戦いについてこれるかと言われれば悩みどころだ。

 数秒悩んで、自分の胸に引っ掛けているバケツプレートに目をやる。

 見ようによっては寂しそうだ。

「そうだな、お前も寂しいよな」

 仕方ないといった仕草でバケツへと近づき、踏みつぶす。

 しばらく繰り返し、バケツプレート(背)が完成した。

 胸と背に、小屋にあった細目の縄でバケツプレートを括り付けたので以前より強化されているといっていい。

 あ、ちょっと動きづらいかもしれない。

 とにかく、防具は整った。あとは斧を装備すれば完璧だ。

「さあ、待ってろよ肉!」

 窓から勢いよく飛び降りた俺は、華麗な着地を決める。

 そして、斧の方を向くと、そこには黒い巨体が居られた。

「んーーー?」

 その方は、まるで穴熊のような見た目をしていて、とても強そうだ。

 あ、こちらをじーっと見てらっしゃる、怖い。

「ぐぁふっ」

 なんか、言った! いや、不満げな鳴き声だ!

「肉って言うのはですね、あなた様のことではなくですね、もっとこう、可愛らしいといいますかああああああああああああ!」

 伝わるはずもない弁解を連ねている合間に、一歩近づかれたので、ビビッて全力疾走で逃げ出した。

 なんなんだよあいつ、なんであそこにいるのあいつ!

「もうやだー! 誰か助けてー!」

 一刻も早く誰か助けてください、お願いします。

1.8

 穴熊からの二度目の逃走も無事成功して、現在、山道を登っています。

 斧が残念ながら手に入らなかったので、とりあえず代わりにと、カバンからナイフを取り出してみましたが。

「これじゃ食パンもまともに切れんよね」

 小さい、果物の皮を剥くとかそんな用途しかねえってこれ。

 こんなんでは魔物と戦うどころか、野兎とだって相手にできない。

 いや、野兎くらいだったら拳で殴れば勝てるのでは。

 というかある程度までは素手の方がいいのではないか。

 そうだよ、何のための悲しみの筋肉なんだ。

 いままで逃げるのにしか使ってないぞこいつ。

「だけど、正直。動物殺して食べるとか、できる気がしない」

 言われて気づく、そうだ、動物を殺したことない。

 その気になれば殺せるだろうが、この付近で食べれる肉を持つ動物と言えば、兎か鹿か猪になるのか。

 ちなみに、穴熊や殺戮猫も食える。しかし、やつらは魔物だ、動物じゃない、強いから食えない。

「その動物さんたちをね、こう……素手で、絞めたり、殴ったり」

 できないできないできない!

 なんて発想だ恐ろしい、可愛い兎が、うるんだ瞳でこちらを見つめながら首を絞められている映像を思い浮かべてしまったじゃないか、酷すぎる。

「となると、肉は無理かなぁ――って、えっ、待って。今、心の中と実際の声が明らかに会話を繰り広げたよね。遅れて気づいてしまったけど、これはかなり恐怖を感じるよ?」

 無意識化で何が起こっているのか。

 自分はどうしてしまったのだ、どうなるんだこれから。

「存在しないお友達を作って遊んでるのと、自分を二人に分けて会話するのって、どっちがヤバイの?」

 子供じゃない分、明らかに俺の方がヤバイ。

 そう思うのも会話になっているのではないかと勝手に疑心暗鬼に陥る。

 声を出すのをやめればいいのではないか。

 そうだ、心の中だけで喋っていれば、変な感じにはならない。

「声だけで喋ればよくない?」

 何言ってんだこいつ。

「不公平だよ。声に出して喋らないと他の人と会話出来ないでしょうが」

 そりゃそうだけど、って、あー、会話してるし。

 このどちらかをやめればいいなんて、人間として本当に危なくなる思考は封印しよう。

 私的平和の為に。

「不毛極まりないし、本格的に人格が分かれそうだしね」

 きっと、穴ぼこビームの影響で多大なストレスを抱えてしまった俺は、精神を多少なりとも病んでしまったのだろう。

 自覚症状があるだけ良かったが、本当にこれからどうなるのかが不安だ。

 あれからできるだけ一人きりだけど、明るく振舞ってきたつもりだ。

 バケツに喜んだり、虫に怖がったり、ベッドを誉めそやしたり。

 どれもこれも受け入れがたい現実を誤魔化す為に、仕方なく道化を演じていただけなのだ。

 バケツなんかで喜ぶわけないじゃないか、少し考えればわかるだろ!

 ちなみに、手には今、バケツがあります。

「三個目な」

 山を登りだした際に、どういうわけか道端に転がっていたのだ。

 かなり錆びついているので、馬車から誰かが落としてしまったのだろう。

「拾わなくてもいいのだろうけど、美少女としてはゴミで自然が汚れるのを見過ごせないの。仕方ないね」

 そう、仕方なく拾ったのだ。

 三個目じゃん、嘘だろ、嬉しい!

 なんて浮かれて拾った、なんてことは決してない。

 とにかく、勘違いしないでよね。バケツなんて別に好きなんかじゃないんだから!

 ガラン、と寂しげな音を立てるバケツを膝で軽く蹴りながら、割とハイテンションで山道を登って行く。

「それにしても、腹が減る」

 もう、木の実も尽きたことだし、またそこらで見つけた方が良いだろうな。

 ただ、山道だから道以外は急斜面になっていて転げ落ちたら死にそうなのが問題だ。

 運良くそこらに食べられるキノコとかないのだろうか。

 でも、キノコだけで腹が膨れるイメージがない。

 そんなことしたら菌糸類の仲間になってしまいそうだしなぁ。

「流石に空腹のまま山越えは死んでしまうと思うなぁ」

 馬車用に整えられているからまだ良いと言っても、歩きで斜面は中々にキツイ。

 覚悟を決めるべきかと悩んでいた時、バキバキと枝をおる音がした。

 嫌な予感がする。

 目を向けると、そこには鹿がいた。

「あぁ、嘘だろ」

 いや、鹿なんて称すにはあまりにも恐れ多い。

 鮮やかな紅茶色の艶やかな毛並みの肢体。

 頭から伸びる四つの雄大な枝角。

 首回りを飾る、勾玉模様の黒斑点。

 間違いない。

 秋の化身とも呼ばれる霊獣。

 神鹿だ。

1.9

 迫る夕闇の色合いも重なり、より一層荘厳さを増す神鹿。

 実際にその姿を見たのは初めてだし、絵画や伝聞の中でしか聞いたことがない。

 どうして出会ってしまったのだろう。

 それは、多分、俺が不幸だからだと思うけれど。

 敵なのかもわからず、こちらを見定める様な視線に対し、動けずにいた。

 敵対的な反応がどんな物かわからないけど、なるべく刺激してはいけない気がする。

 出くわした際の対処法とか、誰からも聞いたことない。

 見たって奴は、眼福だとかラッキーだとかそんなことしか言ってなかった。

 あれ? じゃあ害は無いのでは。

 ジトリとこちらを見る琥珀の瞳。

 ダメだって、思いっきり疑いの眼差しだよあれ。

 だが、どうすれば。ずっとこの状態はキツイ。

 神聖な生き物のはずだから、もしや、土下座か。

 頭が高いのかもしれない、なに突っ立ってんだよってイラついてるのか、もしや!

 後光が差すかの如く、夕陽を浴びている神鹿様は、本当に敬えと言いたい様に見えた。

 動いていいのかどうか、答えが知りたい、怖い。

 しかし、このままでは一向に状況は解決しない。

 ダメで元々だ、死んだら死んだで、この美少女に優しくない世界から解放されるのだと思え。

「やらずに死ぬよりは」

 物凄い小声で呟きつつ、ゆっくりと膝を地面につける。

 ピクリ、と神鹿は耳を動かすが、これを見守っている。

 地につけた両膝よりも低く頭を下げるイメージで、上半身を折り畳む。

「やって死ぬ!」

 気合いが籠もったが、依然小声だった。

 バケツの鐘の音が、ガラガランと砂利道を転がりながら響いた。

 流石に持ったまま謝れない。

 この姿勢ではもう、神鹿様とか周りとか、どうなってるのか見えないので、突然の死はかなりあり得る。

 深々と頭を下げたはいい物の、これをいつまで続ければいいのだろうか。

 空腹が先程から空気を読まずにアラートを発信していて、非常に気まずい。

 この音が敵対を意味する唸り声とか、そういう類のミラクルを起こしませんようにと祈るばかりだ。

 それにしても、ノーリアクションだ。

 何かしら反応があれば有難いのだが、神々しい気配は消えた気がしないし、動いた音も聞こえない。

 いや、神の使いともされる霊獣様ですよ?

 音もなく消えて見せることもできるって。

 結構長い間平伏してるし、きっと争う気はないと伝わったはず。

 いやぁ、誠心誠意行動すれば伝わるんですよねぇ。

 どうにも我慢しきれずに、意を決して頭を上げると、鈍い衝撃が走った。

「いだぁいっ!」

 何か硬い物に後頭部をぶつけた。

 なまじそれなりに勢いをつけたので、かなり痛い。

 頭上には何もないはずなのに。

 わけがわからず、ほぼ元の位置から顔だけ動かして前を見ると。

 そこには、しなやかな毛並みの、たくましい蹄のついた御足があった。

 一気に冷や汗を纏いながら、顔を慎重に上に向ける。

 不自然に上を向いている神鹿様が映る。

 あ、これは、俺の頭でアゴを強打したようですね。

「ご、ごめんなさい」

 震える声で謝るが、同じポーズで神鹿は固まっている。

 音もなく近づくなんて聞いてませんもの、申し訳ございません申し訳ございません!

 流石に足元に納まってなどいられず、ゆっくりと反対を向いて四つん這いで逃走を試みる。

 わざとじゃないので、許して下さい。

 ぐー、と腹の虫まで謝りだすが、お前は本当に空気を読めよ。黙ってろよ!

 謎に、転がしていたバケツの取っ手を掴み、回収する。

 心のよりどころになっているのかもしれない、怖い。

 途端、体が宙に浮かんだ。

 突然の荒い浮遊感に、何一つ考えがついて行かない。

 え、なんだ。

 視界は夜に成り代わる寸での夕陽をとらえ、先ほどまで道の両端に生い茂っていた木々を上空から見下ろす映像へと移る。

 綺麗で、高くて、ゆっくりだ。

 どういった力で打ち上げられたのかは定かでないが、とにかく落ちているということは理解できた。

 しかし、呆気なく地面に叩きつけられて終わると思われたのだが、また死の危険に際して、体感時間がこじれたらしい。

 世界がスローモーションになるのを、体験するのは二度目だ。

 だけど、今回は落ちるだけなので、どうしようもないのですが。

 もしかして、このスピードでの落下にしてもらえたりするのだろうか。

 それだとケガすら無いだろうからありがたいが、そんなわけないのだろう。

 段々と近づく下界に、神鹿はまだ居られた。

 投げ飛ばした犯人は確実にあいつだが、敵対行為と取られることをしてしまったので当然だ。

 いや、理不尽だとは思いますけれどね。

 しょうがないじゃん、あれはあちらさんも悪いって。

 でも、本当。どういう意図であそこまで近づいていたのだろうか。

 もしかして、何かしら助けてくれようとしたのかもしれない。

 攻撃するならもっと早い段階で攻撃されていたはずだからな。

 考えても分からないまま、地面は迫る。

 そこで、神鹿が動いているのに気づく。

 スローモーションだが、こちらの位置を見つつ、重心を前に寄せて行っている。

 なんだろう。

 後ろ足が地面にめり込む、相当な力が込められているのだろう。

 悩みながら、自分の落下していく方を見ていると気づく。

 ちょうど神鹿の後ろ足付近なのだ。

 そこで、悟る。

 蹴られるんだな、俺。

 恐ろしい仕打ちにぼろぼろと涙が出てくる。

 どうしてこんな目に合わなきゃならないんだ。

 何も悪いことしてないのに。

 一瞬、不法侵入、器物損壊、窃盗、などが頭を過ぎったが、何のことかわからない。

 しかし、審判の時は迫る。

 生い茂った木々の葉を通過していく。

 もう、あとわずかだ。

 少し後ろ足が地面を離れた。

 恐怖を感じながらも、シュガシュシュ、という変な音が近くでやけにうるさく聞こえる。

 今、死ぬかもって時に、なんだこの間抜けな音は。馬鹿にしてんのか!

 音の方を睨むと、そこには自分の手に握られたバケツがあった。

 木の枝や葉に擦れた音が、スローモーション中なので変な聞こえ方になっていたらしい。

 なんでこんなんまだ握ってるんだ。

 先ほどまでの緊張感が、呆れで薄れてしまった。

 しかし、思わず希望が生まれた。

 これを盾にすれば勢いは弱まるかもしれない。

 死ぬだけだろうと、諦めていたが。

 バケツならやってくれるかもしれない。

 もう、時間は無いが、できるだけバケツを引き寄せる。

 どんなに頭で力んでも、動きは変わらず緩慢だ。

 少し腕を曲げるだけなのに、どうしてそんな遅いんだ。

 後ろ足は完全に地から離れ、綺麗に揃って俺を待つ。

 間に合え、間に合え、間に合わせろ!

 ゆっくりと流れる時の中で、叫びを上げる。

 渾身の力でバケツを攻撃に合わせる。

 死んでも仕方ないなんて嘘だ、生きていたい。

 僅かでも希望があれば、絶対に縋りつく。

「あぁぁあ!」

 声が出た、それと同時に世界は元の速度に戻る。

 瞬時に、重い一撃が体にぶつかる。

 凄まじい勢いで、体は吹き飛ばされた。

 腕から何から全部バラバラになったかのような痛み。

 何一つ今度は景色を見ることもできず、どこかに体が叩きつけられたのを最後に、俺の意識は途絶えた。

 この世界、神様さえも美少女の敵らしい。

1.95

 穏やかな光に包まれた昼下がりの日。

 優しく頭を撫でながら、祖母は言う。

「いいかい、よく覚えておくんだよ」

 仕草に反して固いその声音を不思議に思い、顔を覗く。

 憂いの陰りを帯びたように見える表情が、何だか悲しそうで心配になった。

「いつか、この世界が滅びる時が来るだろう。それは誰かのせいじゃなく、仕方のないことなんだ」

 生まれたものは死ぬ、必ずだ。

 そう口癖のように、祖母は言っていたから、それは経験から生じる自信の重大な教訓となっていたのだろう。

 その考えの出所を、ついに知ることはなかったが。

「その時が来ても、何かを恨んではいけないよ。魔王を倒せなかった勇者も、魔王でさえも」

 合わせていた視線を閉じ、俺を抱き寄せた。

 日溜まりと祖母の臭いが優しく混ざる。

「世界が選んだ滅びなんだよ、どうか」

 両腕で強く抱き締め、震える声で言葉を紡ぐ。

「自分を責めないでおくれ」

2.0

 冷たい物が顔に当たる。

 深く沈んだ意識が、冷たさを感じる度に浮き上がって来る。

 徐々に霞みがかる映像が見え出す。

 灰色と緑。

 それが目を通して見えている現実世界の物だと認識するまでに、しばらく時間がかかった。

 体に当たる冷たさの正体は雨粒で、シトシトと灰色の空から雨が降っていた。

 目を左右に動かすと、緑色の葉が繁った枝が見える。

 そうか、吹っ飛ばされて樹に引っ掛かったのか。

 まだ、体を動かすことはできないし、あちこち痛みが残っているが、致命的な損傷は負っていなさそうだった。

 あぁ、生きてたんだ。

 やっとそう思えたら、笑いが漏れた。

「死ん、どけよ、そこは」

 涙が出るくらいおかしかった。

 上手く声が出せず、掠れて何を言ってるか自分でもわからなかった。

 絶対死ぬ場面だった、それはもう理不尽甚だしかったけれど。

「楽だっ、たのにさ」

 このまま目覚めなければどれだけ楽だったか。

 たった三日程度で、人生で一番ツラい状況が上書きされ続けたのに。

 性懲りもなく生きている。

 生きて、笑って、泣いている。

 どうしてか知らないが、生きてて良かったなんて感じている。

 こんな美少女に残酷な世界で、今日もまた生きていくのか。

「生きてて、良かった」

 その言葉を、この先はもっといい意味合いで口にしていきたい。

 言葉を発せないくらい涙が回ったので、収まってから現状を確認しよう。

 それからまた、この酷い世界を生きていこう。

2.1

 軋む体をなんとか動かし、現状を確認すると、わりと地面から近めの低い木に乗っかっていた。

 そして、運が良いのかどうかわからないが、林檎の樹だった。

 思わず、かじりつき、また半泣きで味わっていた。

 なんだか、最近泣いてばかりだ。

 できるだけ収穫し、ていこうと思ったのだが、背負っていたカバンが枝が刺さって使い物にならなくなっていた。

 中身といえば、掛布はもちろん、ほとんどがどこかに飛んでってしまったようだ。

 残ってたのは包帯と火口箱のみだった。

 しかし、この二つが残っていたのは不幸中の幸いといえた。

 足蹴にされたバケツも手元にはなく、林檎を持っていくなら手に抱えるしかなさそうだ。

「とりあえず、降りようかな」

 思ったように動かない体で慎重に降りるが、踏んだ枝が折れ、無様に落ちた。

「今度こそ死ぬ気なの?」

 地面がわりと柔らかかったお陰で痛い程度で済んだ。

 立ち上がって自分の様子を観察するが、改めて酷い。

 土で汚れているし、枝や魔物とかと戦った影響で服は破れているし、あちこち切り傷で血が出ているし、髪はガビガビだし。

 そんで、雨で濡れているしだ。

 雨に濡れながら進むのは正直体力的に不安だが、もうそんなこと気にしていられるほど俺は慎重になれなかった。

「今日こそは、街に辿り着かないと」

 悲惨な状況を改善したい、人と会いたい。

 何度強がって立ち上がっても、心は削れたままなのだ。

 特に痛い部分のみ包帯を巻き、火口箱をポケットに入れる。

 林檎を四つだけもいで歩き出す。

 雨を遮るものを探すのも面倒だ。

 幸い木が傘になって、雨も軽減されている。

 少し進んで思ったが、周りも林檎の木だ。

 地面も斜面ではない。

 所々人によって手入れされた後もある。

 どうやら果樹園のようだ。

 ということは人里に近いということになる。

 あまり山の奥に入ると魔物に襲われる危険が高くなるので、普通は町にできるだけ近い場所にこういった農場を作る。

 だが、そうなると物凄い蹴飛ばされたことになるのではないか。

 いや、山を登り始めて大分経ってはいたし、ルーレストの街から隣町まで歩きで二、三日だ。

 飛ばされた距離はわからないが、もうそろそろロハンドが近いという可能性はあるのだ。

 湿る土を踏みしめる力を強める。

 満身創痍の体に力が籠る。

 木々を避けながら前へ前へと、ただ向かう。

 早く、ルーレストのことを伝えなければ。

 早く、この数日の悪夢を終わらせなければ。

 早く、早く、誰かに伝えなければ!

「早く、早く、早く!」

 鼓動が高鳴る。

 足が駆け出す。

 ここがロハンドに近いかもまだわからないのに、抑えきれないのだ。

 木々の先に、光が見えた。

 その向こうに、もう森は続いていないという証明だった。

 もう堪えきれず、駆け出す。

 林檎を捨て、腕を振り乱して少しでも早く。

 痛みなど、軋みなどもう忘れて、光を目指した。

 ついに木々が途切れる、この小さな旅もようやく終わる。

 そんな眩しいわけもないのに、目を瞑って森を抜けた。

 それだけ、救いに感じていたのだろう。

 だが、これで単なる山の途中だったりしたら随分と落ち込むこととなるだろうな。

 ゆっくりと目を開ける。

 そして息を飲んだ。

 どれだけ自分が楽観主義者であったのか、思い知らされた。

「あ、あぁぁぁぁ」

 立っていた場所は小高い山の終わり。

 山から延びる街道の先は巨大な虚であった。

 ルーレストと同じように深い穴が、そこにはあった。

 足に力が入らなくなり、崩れ落ちる。

 もう、きっとどうしようもないんだ。

 この世界は、滅んでしまったんだ。

 たった一人、俺を残して。

2.2

 降りしきる雨に打たれながら、何故か歩いていた。

 もう、向かう当てなんかないのに。

 ずぶ濡れで重い体を引きずるように、前へと進む。

 濡れた草の上より、多少は整備された道をのほうが歩きやすい。

 そんな考えで、わざわざ街道の上へ移動した。

 確かに考えたのは自分だった。

 だが、俺はなんでそんなことを考えるのかわからなかった。

 ロハンドがあったであろう穴を見た時、確かにもう終わりだと思った。

 崩れ落ち、立ち上がることできない絶望に捕まえられた。

 世界は、人は滅んでしまったんだ。

 そう結論付けるには十分な現実を目の当たりにしたはずだ。

 おかしいとは思っていたのだ。

 毎日行き交う商人の馬車と、一度も会っていなかったのだから。

 もうこの世界には自分一人で、たぶん魔王って奴に殺されるのを待つしかないんだ。

 ルーレストの消失から、四日あまりでこの様の俺だ。

 こんな弱さじゃ、どうすることもできない。

 あの光に巻き込まれて、俺も消えれば良かったのだ。

 どうして生きてしまったのか。

 どうしてこんなことになったのだろうか。

 何度も何度も、どうしてと思いながら。

 何度も何度も、目を瞑る度にもしかしたらと。

 何度も何度も、都合の良い救いが訪れるのを祈って。

 俺は絶望していた。

 進んでも、振り返っても、過ごした時は変わらずに。

 当たり前のように、立ち止まった場所で俺の時間は始まるのだ。

 そして、必ずそれを否定するのだ。

 おかしい、間違っている、そんなはずない。

 休憩中に、あの丘で眠ってしまったんだ。早く起きないと上官に叱られるし、友人に小馬鹿にされまくる。

 嫌なことばかりだ、ほら、起きないと。

 バシャンと、水溜まりを踏んだ。

 開いたままの目には、ずっと知らない風景が映ったまま。

 知っていた。

 もう、これが現実だって。

 顔を滴る雨水が、熱くて苦しい。

 こんなにも辛くて、悲しいなら――。

 気づけば、ロハンドの大穴の前まで来ていた。

 深く、底まで暗い。

 ――死んでしまおう。

 目を瞑り、奈落へと踏み出した。

 これでいい、もう疲れた。

 ルーレストの穴ではないから、皆に会えないかもしれないけれど、ロハンドだって近いから大丈夫だ。

 歩いてこれたし、なんならベイトの親父が来たときにでも馬車に乗せてって貰えば良いんだ。

 だから、帰ろう。あの、滅んだ世界へ。

「ふざけんなっ!」

 足が思いきり力を込めて、途切れそうな大地を蹴りつけた。

 乱暴に後ろへ重心が移動し、地面に体は叩きつけられる。

 痛みを堪えながら、宙に浮いてる足を地面のある場所まで引っ張る。

 突然何が起こったんだ。

 あの声は一体。

「勝手に諦めんな馬鹿!」

 そう、この声だ。

 おかしい、そんなはずはない、この声は。

「世界が滅んだって誰が言った! あんたの勝手な思い込みでしょ!」

 息を荒く、掠れがちに叫ぶ。

 それは間違いなく、俺の声で、俺の口が叫んでいる。

「それに私を巻き込むな! 私はあんたと違って、まだ諦めてないんだから!」

 曇天の空に向かい、地面に倒れながら声を荒げる。

 どういうことだ、これは。

 俺の混乱はお構いなしに、『私』と称するやつは熱く続ける。

「もしかしたら、他にも私たちみたいな死に損ないが居るかもしれないでしょ。それに、父さんや母さんだって生きてるかもしれないじゃない」

 これは、俺なのか。それとも、違うのか。

 押し寄せる疑問は、絶えない。

「ちょっと聞いてんの!」

 え、これは、俺に言っているのだろうか。

「この世界に他に誰がいんのよ!」

 あ、俺だ。

 待って下さい。貴方はどういう存在なの?

「そんなん今はどうだっていいでしょ!」

 超重要だろう。

「とにかく!」

 俺の意見を切り捨て、『私』は俺の体を起こし、俺に言う。

「諦めずに、一緒に生きて!」

 その強い言葉に、大きく目を開く。

 それは自分の言葉で、自分の声で。

 だけど、そんなはずない。俺は俺しかいない。

 でも、何故だろう。こんな滑稽な自演行為なのに。

 涙が溢れた。

「泣く、な。ば、か」

 泣きながら、自分を叱る。

 雨は当然降り続き、晴れるわけもない。

 陽はどこかもわからないが、もうすぐ夜が訪れるだろう。

 町も

 何一つ理解できない、理不尽だらけのこの世界で。

 俺は、どういうわけか、自分に救われたのだった。

……続くか不明





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