見出し画像

2.invasion

「ぼくは蟹座と獅子座にいじめられたから、地球に逃げてきたんだ」
「いじめられた?」
「あいつらガラがわるいんだ。獅子座はその鋭い爪でぼくを捕まえて、蟹座はその鋭いハサミでぼくの毛を刈ったんだ。何度もやめてよって叫んだけど、やめてくれないから、ぼくはなんとか逃げ出したんだ!あいつら、最悪だ!」
「誰も助けてくれなかったのかい?」
「山羊座のヤツがそれを見てたんだ。あいつ、仲間だと思ってたのに、遠くでニヤニヤしてぼくをただ見てたんだ。ライオンとカニは最悪だけど、ヤギはもっと嫌いだ!」

♈️

宇宙開闢と共に定められた12の大いなる存在があるという。地球から見るとちょうど太陽が通るルートに存在していることから、我々は「黄道十二星座」と呼んでいる。
しかしこれも地球の者が決めたことではなく、宇宙の意志・星々の命が我々に記憶させたもの・記録したものなのだという。地球の生命にとってなくてはならない「太陽」がわかりやすくその位置を通るようになってるのも、きっと記録の為に定めたものなのだろう。

「宇宙の命」それぞれには意思がある。ここにいる少年もかつて宇宙の命だった頃から、記憶と意思と感情がしっかりあったと言う。
つまり宇宙の命、それぞれの星座の命も、ヒトや多くの地球の生物と同じようなものなのではないだろうか。ただ、ヒトと動物の知能レベルが違うように、ヒトと宇宙の命の知能や知覚のレベルも大きな隔たりがあるとは思う。まずその時間の単位やメカニズムがとんでもなく違う(はずだ)からだ。
この我々の命は、宇宙の命というものを模してできているのかもしれない。いうなれば地球は「宇宙そのもののジオラマ」「宇宙の命のジオラマ」ではないだろうか。地球にいる「羊」も、もしかしたらこの少年を模して作られた生物なのかもしれない。宇宙の命を模して地球の生命を作ったのが創造主、神と呼ばれるものなのかもしれない。進化論は、宇宙の命・星座の命の成長過程を示した設計図なのかもしれない。

ともあれ、宇宙にはたくさんの意思と感情が存在する。そうなると必ず自ずとお互いの命は、お互いに干渉しはじめるようだ。隣の人に声をかけるようなものから始まるのだろうか。我々と同じように近所付き合いなんかもあるかもしれない。

「ぼくにはパパとママがいる。」
少年が言うには、どうやら、一つの星座に定められた命は一つとは限らないようだ。一つの星座の中で時が経つにつれ、新しい命が生まれることがあるのだと彼は語る。正確には『生まれる』のではなく『分かれる』と言った方が近いようだ。
「地球のヒトはぼくたちとは違う時間の数え方をするから正確には言い表せないんだけど、だいたい1億年前くらいにぼくはうまれたんだ。」
先述の“時が経つにつれ”の表現が、いささか間違っていたかもしれないと錯覚するような、途方もない数字が飛び出してきた。この地球は生まれてから46億年。牡羊座という星から生まれて1億年経ったと語る少年。星の子供、なるほど。私は腑に落ちてしまった。
「パパとママは宇宙にいるんだ。でもぼくだけ地球に来たから、心配して『かりそめの体』を作って地球に来てくれてもいる。」
つまりこうだ。ぽむ・めると少年は牡羊座の化身ともいえる宇宙の命を凝縮した生命体であるが、牡羊座にはまだぽむパパとぽむママがいて(便宜上こう呼ばせていただく)、まだ幼い子供が地球に来てしまったので、心配だから本体はそのままに『かりそめの体』に命の一部を込めて地球に来ている、という解釈…でいいのだろうか…。牡羊座がもし地球に来ていたなら、星は無くなってしまっているはずである。しかしまだ燦然と輝いている。きっとこの解釈でいいのだろう。…いや、どうなんだろう。

ここまで記しておいてなんだが、正直もう、わかったようなわからないような、無茶苦茶な話である。命を分けるとか、命を凝縮するとか、そもそも宇宙には星座ごとに意思があってとか、なかなかにファンタジーである。一般人の私にはこの話のボリュームは正直理解の域を超えている。

「獅子座と蟹座はまだぼくを探してる」
「探してる?まだ君を追いかけて、いじめようとしてるのかい?」
私は半ば整理のつかない混乱する頭を抱えながら、話の続きも気になっていたので、彼にたずねた。

「そうじゃないんだ!あいつらは、ぼくを、ぼくたちを滅ぼそうとしているんだ!」

彼の口調が急に変わった。
鬼気迫る勢いである。子供同士の喧嘩の話から、いきなり次元の違う、まるで大規模な闘い、凄惨な戦争の話に変わったような、酷く物騒な話に変わったような気がした。
また、同時に違和感も感じた。
そして今まで点と点だった話が結ばれ一本の線のようなものになったような気がした。
パステルカラーの子供向けの教育番組だったものが、急にくすんだ戦争ノンフィクション映像に切り変わったような、話の内容の高低差で眩暈がするような、そんな錯覚にも見舞われた。

一つの星座にある複数の命、そのいくつもの命の意思が牡羊座という括りで共有されているとしたら。
ぽむパパもぽむママもこの少年もその大元が同じ一つの命であり、個々の意志・記憶とは別に共有する意識があったとしたら。
その凄惨な記憶が子供的な表現として現れただけだとしたら。

例えば、「星座間の侵略戦争」が、かつてあったということではないだろうか。

牡羊座は獅子座と蟹座の侵略により危機に瀕していた。牡羊座の命の意思は、宇宙のジオラマである地球に、一旦その命のかけらを、幾つかの護衛(『かりそめの体』のぽむパパとぽむママなど)と共に託し(隠し)たのである。

「でも、地球に来てからぼくはたくさん友達ができたんだ!タヌキや、ゾウや、まつぼっくりに住んでいる妖精なんかもいて、ぼくの話を聞いてくれるおしゃべりしたり歌ったりするイスなんかもいるんだ!そうだ、おっきなクジラの女の子もいるぞ!宇宙にはいない色んな生き物の友達ほかにもたっくさん!えへへ!」

ぽむ・めるとと名乗った少年は、大変な目にあっていたことなんか忘れてしまったかのような笑顔で、鼻をこすった。

<つづく>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?