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1.prologue

昔から語り継がれる物語には必ずルーツがある。元を辿るとそこには事実が秘められている。全ての物語の原点は実はノンフィクションであることは知られていない。「創作したもの」は自分が創作したつもりでも、実は「創作させられたもの」というのが正しい、と言う事をヒトは知らない。

しかし、事実は時に極めて残酷だったり、ひどくつまらないものだったりもする。ゆえに、伝えなければならない事実を、まるで創作物のように書かれ、ヒトの興味を引き続けるために、面白おかしく脚色して語り継がれるのである。

夜空に煌めく星々の物語、「星座」の話にもルーツがある。例に漏れず、星々の物語は実はヒトが考えたものではない。そこには気の遠くなる程昔の宇宙(そら)の歴史が潜んでいる。と、彼の話を聞いて私は感じる。

この物語の全ては、彼から聞いた話だ。

「星座には命がある。」

荒唐無稽なファンタジーと一笑に伏すような話だ。もちろん私もそう思っていた。しかしその「星座の命」が、見える形となって、そう、「有機生命体」として地球に降り立っていたとしたらどうだろう。そしてそれが我々の目の前に現れたらどうだろう。

つまりそれを「自称する者」が私の前に現れたのである。フィクションだと思っていたものがノンフィクションだったのだ。

私はそんな「命」と出会ってしまった。彼のその語り口は嘘や作り話として捉えるにはあまりに真剣すぎたのである。事実として受け止める方が笑い飛ばすよりもしっくりくると感じざるを得なかったのである。彼の緑の瞳は私にそれを真実・事実だと受け入れさせてしまった。

牡羊座。プトレマイオスの黄道十二星座に含まれる星座だ。ハマル、シェラタンと名付けられた星が美しく輝いているーーーと定義されている。が、そんなことは子供向けの天文図鑑にも乗ってる話だ。しかし事実(私は私が信じたものを事実としている)は違った。

彼が言うには、星座は「命そのものの形」なのだそうだ。牡羊座と称された星座はそれそのものが一つの命なのだという。ただの星の集まりではなく、大いなる意思・大いなる命としてそこにあるものらしい。

彼は私の聞き取れる言語で、滑稽なオノマトペと共に自らの名を語った。なるほど、あの星々の集まりを牡羊座と人間が定めた理由が、彼自身を見るとすぐにわかった。黄金色の体毛、頭部を飾る雄々しい角、濡れたエメラルドのように輝く瞳。彼は間違いなく「牡羊」と言っても決して過言ではない姿をしていた。彼こそがまさに「牡羊座の化身」なのであった。

それこそ天文学的な数の星が、宇宙には存在している。しかし一つの星に「命」がこんなにも溢れているのは、我々の住むこの惑星だけだと彼は語った。想像を絶する広大な宇宙空間には数々の「命」が存在している。その宇宙の命は星座という括りで一つの大いなる命なのだという。昔から語り継がれている星座や神話は、彼ら自身がこの惑星、「命の記録を保存しておくデータベース」に伝えたメモリーだったのである。その星座の命を一つの塊に凝縮し形作ると「生命体」になる。彼は自らのことを牡羊座の「命」を凝縮して形作った存在だと語った。「牡羊座の化身」と自らを称するのはそういう理由があるようだ。

我々の住む(棲む)この惑星は「命の星」である。「こんなに沢山の命があふれる星なんて、地球以外知らない」と彼は言った。この星はそれだけ広い宇宙の中でも格別に特異な星らしい。

この読者諸君同様、いや、それ以上に、多くの疑問が私の頭を錯綜していた。例えば、なぜ彼はわざわざ体を形作ってまでこの星に来たのだろうか。
そして彼はどうみても少年だった。宇宙の歴史は我々が気の遠くなるはるか昔から続いている。牡羊座の化身を称する彼は、本来なら我々よりも遥かに年上、それこそ仙人や神のような存在以上に年を重ねているはずだ。しかし、どうみても少年である。
私は彼に頭に浮かんだ疑問を次々とぶつけてみた。彼の語り口はとても真実味を帯びているがやはり荒唐無稽である。しかし、こんな年端もいかない少年がする作り話にしてはいささかできすぎていた。それが私に「事実である」と直感的に感じさせていた。

彼の重ねた年齢は我々が重ねたその比であるはずがない。星である。星座である。遥か昔から燦然と夜空に輝いていたはずである。きっとこの星・地球ができる前から彼は、牡羊座は存在していたはずだ。それがなぜこの時代に、この現代に、ヒトのような形となって私の前に現れたのか。

健気にけらけらと笑いながら、「ぽむ・めると」と名乗る少年は少しづつ自分のことを語り始めた。

<つづく>

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