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うどん不毛の地に迸る、讃岐カレーうどんの弾力。

「鉄板居酒屋とんぼ食堂」2021年1月12日(火)

連休後の瑣末で陳腐化した手続、形骸化した会議後の沈鬱。
生産性向上とは名ばかりの午前の喪失…

“生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならない”
ギリシアの哲人ソクラテスのテーゼに立ち返り、昼の頂きに盲目的に飛び出した。

盲目は、しばしば後悔をもたらす。
地下に潜ってもその寒さは尋常ではなかった。
それを手がかりにして、温もり溢れる何物かを求めた。
ラーメン、それとも蕎麦で良いではないか?
そんな妥協めいた意識の中に、「讃岐カレーうどん」のメニューに目を奪われた時、その妥協の崩壊は極めて急激で、陳腐化した手続や形骸化した会議さえも忘却してしまえばいい。


間違いなく札幌は、豊富な食材と多彩な食事に恵まれているが、うどんともなるとチェーン店の方が名高い。
しかしどうであれ、今の切なる懇願は汗ばむほどの熱のある「讃岐カレーうどん」を欲しているのだ。
薄暗い室内の中で歌謡曲が絶え間なく流れていた。
何の迷いもせずに「讃岐カレーうどん」を告げると、さすがに待ち時間もなく現れた。
しかもライスもセットであることを知り、腹の底から何か獰猛な食欲が沸き起こった。


荒々しいカレーの中で野太くのたうち回るうどんをワイシャツに飛ばさぬように、ゆっくりと吸い上げる。
腰のある麺の肉づきは、確かに讃岐の本領を発揮していた。
カレーは見た目以上に辛く、静まり帰った歌謡曲の流れる店内にうどんを啜り上げる音が不共和に入り乱れた。
スープカレーの流儀と同様に、麺と具材のないカレーの中にライスを投じた。
スープカレーとは違い、ルーカレーとライスの混濁は実に重々しく、啜るという感覚とはいかないことだ。
それはむしろカレーライスそのものだ。
食べ上げる音は、歌謡曲と一層異なる微妙な不協和を持って響き渡る。
先程までの寒さも忘れるどころか、体内には暑気が訪れ、熱帯の喧騒の中を漂流するような得体の知れぬ満腹感に身を浸した。
“生きるために食べる”
時に世間から邪悪と見られる炭水化物の混淆は、悪徳の限りを尽くすと見られるが、生きる上でその罪悪感も必要悪だ。
その実感を携えて、不毛な午後の予感を割り切ることに努めた…

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