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普遍性の中に漂う退廃と停滞。

「めんこい茉季詩夢 」2020年1月21日(土)

夜の深い静けさ。
それは、どこか底知れぬ不気味な空気を放っていた。
まるで止血されたような街は、車の擦過さえも減らしている。
辺りはすっかり闇に支配されていた。
ラーメンに誘われる夜に、わずかながらの懐かしささえ覚えた。

止血された街の中で、白いネオンが道端に反映し、夜の微風に暖簾が揺らめく。
その外観はどこか古めかしく、いろいろな時代を耐えた疲労が漂っていた。

店に入った途端にメガネが白んで視界を遮った。
お店の人がいるのかいないのか?
掛け声すらなかった。
目の前の世界が曖昧のままに、大きなテーブルに2名の輪郭が窺い知れた。
カウンターの席に着いた。

どうやら店主1名で運営しているようだ。
表情もなく水が置かれた。
すぐに「塩ラーメン」を告げた。
それにしてもよほどプロ野球好きなのだろう。
テーブルにはラジオ音声が流れ、カウンター越しの厨房ではテレビ中継の日本シリーズの音声が反響する。
その空気感はどこか退廃的で、過去を懐かしんでしまいそうな停滞だった。
視界が明瞭になるにつれ、店内もまた古めかしさを保っているに気づくも、其処此処に漂う清潔感の欠如も妙に気になる。
「塩ラーメン」が無造作に置かれた。
白湯スープは、見るからにそのとろみを訴えていた。
が、薄味のそれに何故か物足りない何かを感じた。
ナルト、玉子、メンマ、キクラゲ、ネギ、ほうれん草、そしてチャーシュー。
豊富な具材であることは確かだ。中太の縮れ麺もこれといって過不足はない。
そこに漂う物足りない何かを模索しながら食べ進めた。
おそらく、と突如として思った。
ラーメンの本源であるスープの何か古めかしい停滞感。
過去に座したまま、時代の変化を見過ごしたのか?
それとも、変化を拒んだのか?
Japan as No.1を謳歌していた頃、すでにGAFAの種がアメリカで生まれ、世界を縦横に席巻している今、失われた30年で突きつけられた退廃の残滓が交錯した。
ラーメンは時代を映す鏡ではないが、その停滞感はこの国の今を無言のうちに発しているような気がした…

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