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【人生最期の食事を求めて】山形蕎麦の幻影を追って。

2023年6月25日(日)
「山形蕎麦と炙りの焔蔵一番町店」(宮城県仙台市)

日本における“グルメ王国”といえば、福岡を筆頭に挙げる者が最も多いことは言うまでもない。
ラーメン、さくらんぼ、日本酒、米、とんかつ、芋煮、日本酒という庶民的ライフスタイルに適合した食材の数々は、険しい山々や荒々しい日本海に囲まれたこの地独自の気候や風土が産み出したとも言える。
とりわけ、私にとって山形の蕎麦との出会いは、それまでの蕎麦の既成概念を打ち破る逸品と断言しても良い。
蕎麦そのものの風味もさることながら、板そばや田舎そば、山形圏内に散見される蕎麦店、いわゆるそば街道と呼ばれている村山街道など、魅力は尽きることはない。

されど、山形への道のりも険しい。

仕事は午後からだった。
山形行きの高速バスに乗り込み、蕎麦を食べて戻ってくるとしても、打ち合わせに間に合わないのは明白だった。
さりとて、いつ山形蕎麦にありつけるのはいつの日だろう?

如何せんし難い諦念がよぎろうとすると、過去の記憶が頭をもたげた。
仙台の魅力は、東北各地のご当地名物が存在することにある。

日曜日という不安もありながら、そそくさと目当ての店へと向かった。

仙台駅から大町にまで直線に伸びる長いアーケードには、午前中ながら夥しい人々が集い、立ち止まる横断歩道が青に変わると、静かに寄せる波のように無作為に交差する。
肩がぶつかりそうになっても避ける者は少なく、あたかも避けきれない者が悪いのだとでも言わんばかりだった。
腕からアルファベットのタトゥーを見せつける若者たちは、アーケード内の道でも堂々と自慢するかのように煙草をふかしながら歩いている。
威嚇的な外見を装う若者こそマナーを守り歩行者に気を使うほうが美しいはずなのだが、まだどこか昭和の不良気取りなのだろう。

視界ではわかりにくい緩やかな勾配を辿って大町まで辿り着いた。
仙台駅前ほどの賑わいがないのだが、それがどこか落ち着いた。
それほど目立たない看板だが、店の看板を確認した。
地下へと続く階段を降りる。
入口の蔵のような門構えは、まさしく店名の一部を表現しているようであった。

日曜日でもランチセットが用意されている
地下に伸びる階段を降りると蔵のような門構えが出迎える

昼前ながら、すでに客の姿が見え隠れしていた。
ひとりであることをスタッフに告げると、奥のテーブル席に導かれた。
その小さな違和感は、座敷席がテーブル席にリフォームされていることだった。
おそらく、コロナパンデミックの影響が少なからずこのリフォームに影響しているのかもしれない。

休日でもライチタイムがあるのは珍しい。
「冷たい肉そば」への愛着は揺るぎないだが、「冷たい鶏らーめん」の密かな誘惑も捨てがたかった。
しかし、すぐに注文してこそ誘惑は断ち切れるものだ。
すかさず「冷たい肉そば」の大と「海老天小丼」のBセット(1,150円)をオーダーした。

山形名物が踊るランチセット
座敷席がテーブル席にリフォームされていた

つい先程まで空席の目立ったテーブル席も、次々と客が押し寄せては席を埋めていく。
ビールや蕎麦の注文が入り乱れていくうちに、「冷たい肉そば」の大と「海老天小丼」がテーブルに着地するように現れた。
俯瞰すると、その姿は至って地味である。
白いねぎ以外はどれも土色を被り、これといった主張はない。
そこに一味唐辛子を思い思いに振りかけ、一気にすすった。
深みのある鶏の出汁がじわじわと忍び寄り、やや固めの麺を噛み砕くほどに独特の風格を主張する。

これといって外的特徴があるわけではない。
これといって華美な主張をするわけでもない。

だが、深みの出汁と固めの麺が作り出す調和は、山形が繰り出す素朴な逸品である。
天丼で蕎麦を小休止させては麺をすすり、そして鶏肉を頬張った。
鶏肉もまた出汁によって深い味わいを紡ぎ出し、引き締まった肉感を無言のうちに訴求する。
澄み渡ったスープの美しさもまた鶏の旨味を纏い、余すことなく吸い寄せてしまうのだった。
幾分顎が疲れるほど、噛みごたえもあるのが冷たい肉そばの特徴でもある。
冷え切ったスープによって麺も鶏肉も引き締まり、味を閉じ込めて凝縮させているかのようだ。

無事に完食に至った。
其の頃にはすでに充分な満足感を伴いながら、前日の寝不足感がすり替わるように忍び寄ってきた。
外に階段には山形名物を待ちわびる客の姿が列を作っていた。

アーケードは午後に向かっていっそう活気づいているように思えた。
私は午後の仕事に心を重くしながらも、山形名物にありつけたことに幾許かの喜びを感じた。
梅雨の晴れ間の日差しは、安穏とした眠気を誘うばかりだった…

冷たい肉そばと海老天小丼セット
地味な外見ながら味わいは奥深い
海老と椎茸の天麩羅も蕎麦に合う
歯応えのある鶏肉も冷たい肉そばならでは
噛みごたえのある麺

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