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【人生最期の食事を求めて】関西圏で食するカレーうどんの本領。

2023年8月27日(日)
うどん兎麦阪急三番街店(大阪市北区)

無口で嫌味なほど湿気はずっと肌から離れようとせず、
それどころか夜が深まっていくごとにその不快さは増していった。

朝から爽快な青空が広がるが外は狂おしいほどの灼熱地獄

大阪での仕事を無事に終え、飲み慣れない梅田エリアで夕方から酒を体内へと注ぎ続けた。
其処此処で飛び交う関西弁の躍動するアクセント、底抜けに明るい哄笑、それらが織りなす音の喧騒は、雨上がりの空に向かって飛び跳ねていくように思えた。

仕事による心地よい達成感と疲労感、そして気だるげな酔いに包まれていた。
もうこれ以上酒を飲むことも食することも止めにしよう、と私は思った。

地下鉄四ツ橋線に乗り込むために、梅田界隈を歩いた。
日曜日だというのに、この騒然とした人混みは東京のそれとは明らかに異なる。
もしかしたらこの街には、日曜日の夜に訪れる月曜日への暗鬱など存在しないのだろうか?
それに引き込まれるように、私は大阪駅界隈の隅々を徘徊していた。

ふと時計を見ると21時を回ろうとしていた。
別段空腹というわけではないが、体内には酒だけが残っているような気配がして、
歩き疲れたせいか何かで満たそうという欲求が芽生え始めた。
とはいえ、21時を過ぎるとラストオーダーや閉店の店が目立ち始める。
しかもこの地に精通していない以上、歩き回ってもこれといった店がなければ諦めもつくだろう。

いつの間にか阪急梅田まで足を伸ばしていた。
地下に伸びる飲食店街に点在する人の気配に導かれた。
すると、赤提灯にうどんという文字が仄かに浮かんでいた。
「兎麦」という店名が浮かぶ紫色のネオンがやけに違和感を投げかけていた。
どうやらまだ営業中のようである。
開け放たれた店の扉に足を忍ばせると、女性スタッフが真剣な目つきで女性客の料金を数えていて、店内に入った私の存在を無言のうちにアピールしたが、一瞥されるや存在を無視するように再び女性客の対応に勤しんでいた。

うどん兎麦阪急三番街店

奥から若い男性スタッフが現れた。
「おひとりさまですか?」
首を縦に傾げると、
「お好きな席にお座りください」
と言われたところで空席はカウンター席の数席しかなく、テーブル席は若い女性や男女の客で埋め尽くされている。
関西弁と韓国語は折り重なり、店内はうどん屋という空気ではないようだ。

うどんといえば、香川県の讃岐うどん、秋田県の稲庭うどん、群馬県の水沢うどんが三代うどんとして名高い。
さらに、福岡のうどんも根強いが、私個人の食文化にとってうどんは希薄な存在である。
だが、江戸時代の古典落語にもうどん屋が登場するようにその歴史は古く、昨今では“うどん県”としての知名度を高めた香川県を筆頭に、関西以西の食文化においてはその歴史は蕎麦よりも古いらしい。

大阪の猛暑、仕事、酒、そして疲労に覆われた体に、何か刺激的なものを投ずるとすれば何だろう?
とっさに「ちく天カレーうどん」(950円)を選ぶと、迷わないようにすかさずスタッフを呼んだ。

両隣からうどんを啜る音が聞こえてきた。
右隣の男性客はすでに食べ終えた素振りで何を食べているか不明だった。
左隣といえば、ワイシャツにスラックスという出で立ちの少し疲れた会社員のようで、同様に何を食べているかは不明だがおそらく冷たいうどんを熱心に啜り上げているようである。

唐突にそれは現れた。
ちく天が丼からはみ出していて、その矜持はカレーの香りに挑むかのようだ。
幾分黄色の強い汁と豚肉が横たわり、その中央に浮かぶさやえんどうの緑色がアクセントを添えていた。
まずは汁を啜った。
クリーミーな風味は辛味を抑制していて、カレーというにはマイルド過ぎる感があるが、うどんをメインに据えるとすれば程よい加減であった。
ちく天を持ち上げ、カレーの汁に浸かったほうをひと口かじった。
ちくわの味わいとカレーの風味が溶け込んだそれは、うどんの邪魔をしないように地味な役割に徹していた。
豚肉といえば、カレーへの配慮からか少し甘めに味付けされていて、それも主張を控えている様子だった。
丼の奥底から麺を持ち上げた。
黄色を纏った野太いそれをさっそく啜った。
するとどうであろう。
讃岐うどんのような屈強な硬さはない。
稲庭うどんのようなきめ細やかな歯ざわりでもない。
福岡うどんのような溶け入るような柔和でもない。
ちく天、豚肉、汁、そして麺がそれぞれの役割を把握し、カレーうどんのあるべき均衡を保とうとしていて、ある意味、うどんの硬さとしては合理性に基づいたバランスが良い。
いつの間にか、私は猛暑も疲労も忘れてひたすら麺を啜り、汁を啜った。
この狂おしい暑さの夜でも、完食は容易だった。
徐ろにカレーうどんの熱量が体内に拡散していき、水を強く欲した。

ちく天カレーうどん
クリーミーでマイルドな味わい

次第に吹き上げる汗を拭きながら会計を済ませ、再び喧騒に覆われた街で出た。
夜風には依然として熱気と湿気が孕んでいたが、汗の滲んだ体には心地良い。
あちらこちらから聞こえてくる路上ライブに耳を傾けながら、もう少し大阪の夜風に浸ろうと決めて肥後橋までの道程を歩くのだった……。

北新地を通り過ぎる。
肥後橋に吹きつける夜風が心地よい

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