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【人生最期の食事を求めて】かきの魅力と秘匿に触れる京の昼下がり。

2024年1月5日(金)
京味菜わたつね(京都府京都市中京区)

身を引き締める清々しい空気が朝の京都を包み込んでいた。
澄んだ空だからこそ底冷えをもたらしている。
朝の烏丸通は人通りが思ったよりも少なかく、車が放つ騒音が無機質なビルの壁に反射して谺を拡げていた。

四条烏丸から立命館大学行きの市営バスに乗車し、「きぬかけの路」へ向かった。
金閣寺(鹿苑寺)、龍安寺、仁和寺という3つの世界遺産を結ぶきぬかけの路は、第59代天皇の宇多天皇が真夏に雪見をするために衣笠山(別名きぬかけ山)に絹を掛けた、と伝えられる故事にならい「きぬかけの路」と命名されたと言われている。

その3つの世界遺産の中でも、三島由紀夫や水上勉の小説の舞台として知られる絢爛豪華な金閣寺よりも、勇壮とした仁和寺より、龍安寺に惹きつけられるのは枯山水にほかならない。

仁和寺
龍安寺石庭

それは、まさしく引き算の美学の集大成とでも言うべき静謐の粋であり、底知れぬミクロコスモスの象徴である。
日差しの推移とともにその表情も移り変わり、まるでアングルを応じて微細に変幻する能面の表情のように、目前にただただ押し黙って迫り来る。
私は息を呑みながら見つめ続けているうちに時を忘れてしまった。

気がつくと12時を回ろうとしていた。
空腹で唸る下腹部は、枯山水からインスパイアされた静謐を否応もなく打ち砕いた。

賀茂大社

通り過ぎ去ろうとしているタクシーを慌てて捕まえて、上賀茂神社方面へ向かい目当ての店に辿り着いたが、その店は通常の営業をしていなかった。
仕方なく京都市役所に向かう市営バスに乗り込み、敢なく中心部に戻った。
碁盤の目で細く伸びる道をただ歩くと、13時30分をとうに過ぎているにも関わらず数人の行列を成す店が迫って来ていた。
私は吸い込まれるように後に追随した。

京味菜わたつね

「中へどうぞ」
しばらくすると、柔和な声音の女性スタッフによって店内に導かれた。
厨房が間近のテーブル席に案内されると、壁一面に貼られた細やかに書かれたメニューに心密かに驚かされた。
周囲の客は皆異なるメニューを楽しんでいるように見えた。
「何にしましょうか?」
柔和な声音の女性スタッフの京都アクセントに心惹かれながらも、
「えっと、かきフライ定食のBに、ご飯はかきごはんの並にしてください。それと瓶ビールも」
瓶ビールが即座に運ばれてきた。
それにしても、かきフライはいつぶりだろう?
朝からの移動でビールが心地よく体内を駆け巡った。

かきフライ定食A(1,380円)
かきごはん並(500円)

現れたのは、彩り鮮やかな「かきフライ定食B」(1,380円)と「かきごはん」(500円)の饗宴だった。
まずは野菜に箸を伸ばし、そうして小粒なかきフライに伸ばして一口齧りつくと、濃密なかきの香りとほどけるような身が舌の上で踊った。
良質なかきのあらゆる成分を凝縮したかのようなそれは、かきごはんを催促した。
かきフライとは異なる濃密な香りとともに、歯ごたえのあるおこげが私の体内を駆け巡るかのようだ。

思わず箸を置き、私はかきフライとかきごはんの旋回するような風味に浸った。
かきの贅沢なほどの堪能と、ビールがいざなう仄かな微酔。
さらに、白身魚フライの淡白な味わいと噛みごたえのある漬物はなおさらかきごはんを次々と誘導した。
私はそこで自分自身がこの店のかきに魅了され、占領され、虜になってしまっていることを自覚せざると得なかった。

季節の旬に合わせていただく料理の肝要と醍醐味。
それをあらためて知るだけでもこの昼食は意義深かった。

残らずすべてを食べ尽くし、かきの余韻に浸っていると15時に迫ろうとしていた。
客入りもようやく落ち着いてきたようだ。
私は残りのビールを飲みながらこう思った。
『次に京都に来る時はどんな季節になっているだろう? そしてその時の旬はなんだろう?』

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