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【人生最期の食事を求めて】癖になる新感覚中華そばの悪魔的誘惑。

2024年1月17日(木)
中華そばカリフォルニア(北海道札幌市白石区)

ドイツの文豪ゲーテの最高傑作「ファウスト」の登場人物メフィストフェレスを思い出した。
主人公のファウストを誘惑して魂を売る約束を結び、若さとエネルギーで快楽の冒険の旅に出る。


私にとってメフィストフェレスとは、まさしくラーメンである。
それほどにラーメンは、誠に魔物であり不気味な吸引力を有している。
以前にも記したが、私はラーメン通でもなければラーメンへの執着心などもないにもかかわらず。
それを嘲笑うかのように、無防備にしているとちょっとしたきっかけで無言のままに誘惑を仕掛け、極寒という環境下でひとたび食してしまうといかんともし難い誘惑の連鎖が押し寄せる……。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)

湿気の帯びた雪の堆積は、この街で暮らす人々の行動を有無を言わさず制限する。
主要幹線道路や歩道は早朝に除雪がなされ、青空駐車場利用者は自家用車の雪下ろしに、戸建住宅に住まう人は雪掻きに勤しむのが冬の日常である。
皆、言いようのない溜息まじりの白い息を吐いて寡黙に雪を積み上げてゆく。

早朝の除雪が市民の歩行を確保している

賃貸住宅の密集と分譲マンションの屹立がせめぎ合う住宅エリアが広がる白石区に入った。
無味乾燥とした住宅ばかりで、飲食店らしい店は少ない印象である。

次第に体温が奪われてゆく感覚を覚えた。
私は思わずスマートフォンを取り出した。
かじかんだ指先で食事できる場所を検索すると、住宅の密集するエリアにあるラーメン店を指し示した。
「中華そばカリフォルニア」
名前こそ耳にしたことがあるがどんな店かはまったくの未知だった。
こんな場所に店などあるのか思ってしまうほどの場所であった。
不意に出くわした外観は、店名と同様にラーメン店という表情を意図的に拒否していて、こじんまりとしたカフェのようにしか見えなかった。

中華そばカリフォルニア

店に入ると券売機が出迎えた。
メニューの多様さがボタンの数に現れているが、こういう時は左上に目を向けるのが鉄則である。
赤い矢印でオススメ醤油煮干しという手書きPOPに導かれて「チャーシュー肉ワンタンそば黒」(890円)を押すと、その下部で本日限定20食だという「チャーシュー玉子丼」(360円)にも思わず誘われた。

オープンスタイルの厨房には4名のスタッフが動いていた。
スタッフのユニフォームもまたラーメン店らしくなく、どことなくパティシエ風の小洒落感が漂う。
インテリアへの配慮も“脱ラーメン店”という意図が顕在しているとしか思えなかった。
「こちらの席へどうぞ」
明るい声音の女性スタッフの案内にまかせてカウンター席に着いた。

チャーシュー肉ワンタンそば(890円)・チャーシュー玉子丼(360円)

背後のテーブル席にはすでに女性客がラーメンを食している雰囲気だった。
オープンスタイルの厨房に視線を戻すと、手早い動きと流れ作業で作られていく調理風景を見渡すことができる。
「おまたせいたしました」
という明るい声音とともに、チャーシュー肉ワンタンそばとチャーシュー玉子丼が次々と到着した。

スープは黒というよりも脂の反射を称えた茶褐色で、ワンタンとチャーシューに薄っすらとした輝きを与えている。
チャーシュー玉子丼はといえば、焦げ茶色を帯びたタレの中にチャーシューがご飯を覆い隠していて、鮮烈なネギの緑色が浮き立つように映えている。
ストレート麺を持ち上げると濃厚そうな煮干しの薫りが差し迫ってきた。
ところがいざ食してみるとそれほどの強さはなく、少し固めの麺に程よく絡んで臭みなどは一切ない。
それでいて醤油は濃厚でワンタンとの相性を考慮した結果なのだろう。
ともあれ、先程まで冷えていた体は勢い良く回復した。

チャーシュー玉子丼に箸を伸ばした。
温玉子を割り、無骨なチャーシューと絡めて食べると、濃厚なタレと黄身の混淆によってご飯への誘惑に急かされる。
しかも量的には一見少なく見えた丼は、いざ食べ進めるとそれなりのボリュームであることに気づいた。
再び中華そばに箸を移した。
バランス良く配置された4枚のチャーシューは、チャーシュー玉子丼のそれは違う優しい味わいなのだが、その食べ応えは食べ進める度毎に深みの印象をもたらす。

そもそも、何故に味噌ラーメン王国の札幌で中華そばというネーミングで勝負するのかは謎だが、そんなことは無関係に次々と客が入ってくる。
やけに癖になるその果てしのない誘惑はまさしくメフィストフェレスだと、私はあらためて感じた。
この癖になる誘惑に、私は再びたやすく魂を売ってしまうだろう。

体内に溜まった熱を逃すように、漂っては消え果てる白い息を吐くのが心地よく感じた。
それとは逆に足元を気にしながらすれ違う人々は、メフィストフェレスの誘惑と知らずに暖を求めてラーメン店に吸い込まれていくように見えた。……

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