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【人生最期の食事を求めて】京寿司の知られざる技を噛み締める。

2023年4月14日(金)
「ひさご寿し河原町本店」(京都府京都市)

足首に痛みが走って目覚めた。
前日に別段転んだりぶつけたりしたという記憶は一切ない。
あるとすれば、それは痛風発作の再発だ。

2023年2月、突如として膝に激痛を走り、出張先から帰って早々に整形外科で精密検査をして結果的に人生初の痛風が判明した。
膝への発症が内科ではなく整形外科に向かわせたのだ。
5日間、松葉杖の生活をすると嘘のように痛みは消え去った。
膝にそれ相応の痛みが残ってはいるものの歩けないことはなく、ほとんど日常的な生活に戻っていた。
しかし、3月、再び痛風発作が膝に激痛をもたらした。
1回目から2回目の感覚が短いことも手伝って、整形外科ではなくかかりつけの内科に足を引き摺りながら向かうことにした。

その若き内科の医師は、少し訪れた様子で、「どうしたんですか?」と訪ねた。
痛風発作を起こしたことを報告すると、
「整形外科で処方された薬を教えてください」
と神妙な面持ちで言った。
私はスマートフォンの処方箋を登録しているアプリを開き、その薬名を伝達すると、
若き医師はさらに神妙な表情で、その薬は尿酸を外に出す薬であること。処方自体は間違いではないがアプローチが異なっていること。つまり、尿酸を外に出す薬はむしろ尿酸が体内から出る際に結晶が暴れて痛みを併発する場合があるため、尿酸値自体を下げる薬のほうが良い、という診断を下した。
念のため血液検査もして現状を確認するに至ったのだ。

2回目のそれは1回目ほど痛くないだろうと思う者もいるかもしれない。
が、痛風の痛みは激烈この上ないのだが、発作に見舞われた者でしかこの痛みと苦しみは分かち合えないでろう。

案の定、痛みは数日で消えた。
血液検査の結果は、尿酸値5.3という申し分ない通常範囲である。
1回目の発作の際は、尿酸値8.1ゆえに劇的な改善とも言えよう。
にもかかわらず、2回目の発作はある種の衝撃をもたらしたのだ。
『果たして、4月の京都行きは大丈夫なのだろうか?』
旅立ってしまったら痛風など忘れて謳歌しよう。
ただそれだけを考える日々だった。

京都に旅立つ日、空港のラウンジで懲りずに早朝からビールを飲んだ。
薬を飲んでいるという慢心が2杯目のビールを催促した。

予定通り京都に到着し体調も順調だった。
が、京都の旅3日目に襲われた足首への異変は、痛風への不安を高めるばかりだった。
左足を引き摺りながら薬局でサポーターを購入した。
すぐに装着したが全くと言っていいほど劇的な効果はなかった。
ともあれ人混みの途絶えない四条通をゆっくりと歩いた。
目指すべき店は、地元京都の人からおすすめされた中華料理店に向かうためであった。
痛みを堪えながらその店にようやく到着すると、
女性スタッフが
「次は13時に来てください」
という素っ気なく答えるだけであった。
雲に遮られた太陽は、昼の頂点にさしかかろうとしていた。

その素っ気なさに愛想をつかし、すぐに違う店にすることにした。
けれど、12時前なのに次は13時に来いと言われたところで、行く宛もなければ彷徨うには足が痛すぎた。
この界隈で適当に済まそうと再び歩き始めた。

四条通と府道32号が交差する横断歩道は夥しい人が行き交い、この足の痛みからすれば青信号のうちに渡りきれない危惧を抱いてしまうほどだ。

かろうじて信号機を渡りきり安堵すると、「ひさご寿し」という看板が見え隠れした。
まるで私の足が私自身に抗議でもするかのように、もうこれ以上足を引き摺りながら歩くのはごめんだ、と沈黙の絶叫を投げかけていた。

店の前に足を止めると、店頭の硝子越しに板場が見え隠れしていた。
とまれかくまれ、店の奥まで入ろうとするとさっそくに柔和な態度のスタッフがにこやかに店の奥のテーブルまで誘導した。

「ひさご寿し」の歴史は、意外にも長くはない。
1950年(昭和25年)、河原町に暖簾を掲げたという。
すでに店内にいる客は誰も年配の紳士淑女然としていて、私の引き摺る足もジーンズ姿もどことなく不自然な客に見えたに違いなかった。

熱いお茶を啜りながらメニューを見回した。
名代ひさご寿しなるメニューが飛び込んできた。
だが、昼食としては料金が破格過ぎて躊躇するほかなかった。
その他のメニューに目を移した。
にぎり、巻き、押しといったラインナップの中で、京都を代表する名物である「鯖寿し」(2,376円)に釘付けになってしまった。

京都の美味を語る上で、鯖の存在は欠かすことはできないだろう。
私の只中には迷いは一切生じなかった。
礼儀正しい女性スタッフに前のめりに鯖寿しと言い放った。
熱いお茶は、私の鯖寿しへの熱を掻き立てるように体内を駆け抜けた。
隣のテーブル席に新たに昔懐かしい紳士と淑女が座り、か細い声音でちらし寿しを注文していた。
スタッフの態度を観察するとどうやら常連客のようである。
時折痰や咳を切るものの、その姿は高齢でありながら端然としていて美しい。

「お待たせいたしました」
礼儀正しい女性スタッフがお盆をテーブルに音もなく着地させた。
まるで鳥居のような鮮やかな朱のお盆の上で、鯖寿しがまだら模様の光沢を浮かばせて整然と並んでいる。
私は食することを一瞬惜しんだが、その想いを振り切るように端で優しく持ち上げて、半分ほどを噛み締めた。
酢はそれほど強くない。
空気の入る余地のないシャリと一体になり、穏やかな酢の香りと身の引き締まった鯖の柔和が身が解け合って、芳醇な日本海への連れ去るようだ。
至って簡素なのに、鯖の醍醐味を引き出す技なのだろうか?
いずれせよ、私はその弾力を記憶に刻むように幾度となく噛み締めた。

肉厚と弾力のこもった「鯖寿し」(2,376円)

隣のテーブルからしばしば聞こえてくる京都弁のしなやかなアクセントに合わせるように、鯖寿しを小気味良く味わった。
ご当地の美味をテイクアウトやお取り寄せして自宅で楽しむスタイルが浸透して久しいが、見知らぬ土地の見知らぬ店で、その土地土地の方言や雰囲気を体感することの大切さも旅によって得られる醍醐味である。

「どうもおおきに」
会計を済ませると、まだ足の痛みが残る私の背中を優しく押すように、礼儀正しい女性スタッフのそよ風のような声が流れていった…


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