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【人生最期の食事を求めて】童心と郷愁を刺激する洋食の結晶。

2024年3月22日(金)
ニッキー・アースティン長崎駅前店(長崎県長崎市尾上町)

まさに一点の雲もない碧空が広がっていた。
ホテルをチェックアウトしたものの、あまりの清々しさに私は中島川を伝いながら散策することにした。

中島川

春らしからぬ強い日光に思わず上着を脱いだ。
中島川の水面の乏しさはそれに反して涼しげな表情を浮かべているだが、だからこそ水面に朧げに浮かぶアーチ状の石造りの橋の影さえも穏やかな印象を放っているように見えた。
車の往来も少ないゆえに、江戸時代に作られたという橋が醸し出す空気感はまさしくノスタルジックな空気感で包みこみ、私たちが忘れつつあるものを思い出させてくれるようだ。

それも束の間、川は二手に分かれた。
方角から言って左手に行けば、おそらく長崎駅方面に向かうはずだ。
生来からどういうわけか方向音痴でないおかげで、方位感覚は身についており、しかもGoogle MapとGoogle Earthを駆使して見知らぬ土地を夢見て旅する趣味がこういうところで役に立つ。

車の往来が激しい道路に出た。
次第に坂の勾配が激しい場所にも出くわすというのも、地図では体感できないことも訪れないと分かり得ない。
徐ろに汗が吹き出し始めた頃、ようやく長崎駅に向かう道路標識を見て安堵した。
私はひたすら街の空気感に浸りながら、天候と食事に恵まれたことをあらためて実感した。
その実感は、こうして歩き続けている時にも空腹として私に無言のうちに切迫するのだった。

長崎駅

長崎駅には11時頃に到着した。博多駅行きは13時過ぎのため時間的にはまだ余裕がある。まずは予約していた切符を購入し、長崎駅直結の商業施設「アミュ長崎」の中を徘徊することにした。おみやげコーナーに集う人々を避け、さらに奥へと向かった。そこには立ち呑みも可能なイートインスペースがあった。すでにアルコールに身を預けている客も多く見受けられたが、長時間の歩行によって空腹を満たすには不似合いだと断じた。イートインスペースの反対側に向かってみると、いくつかの飲食店が軒を連ねている。どの店も満席に近い賑わいでどことなく活気に満ち溢れていた。ちゃんぽん、五島うどん、トルコライス……昨夜、おでん屋で出会った地元民との会話を徒に思い出した。すると、私の思考はトルコライスにすぐさま支配された。

トルコライスの由来は諸説あり、横浜や神戸といった港町にも存在するが、やはり長崎がその代表だろう。

ニッキー・アースティン長崎駅前店

店の中は、外の通路から容易に窺うことができた。
ほぼ満席状態のようだが敢えて店内に足を踏み入れると、やはり満席であることを告げられた。
仕方なく入口付近で待機しようとすると、前に立っている会社員が店内に導かれていった。
すると、まだ文学というものを理解もできない少年の頃に読んだ高村光太郎の一編の詩が私の胸中によぎった。
その詩をなぞるように、私は心の奥底で詠った。

“私の前に待ち客はいない
私の後ろに列が出来る
私は旅の道を踏んで来た足あとだ
だから
旅の最端でいつでも私は空腹と向き合っている
何という腹のうねり
迷い迷った人生だろう……”

ひとりの客が去ると、店のほぼ中央のテーブル席に案内された。
すぐさま重厚なメニュー表を手に取る。
メニューはすべて番号表記になっているのだが、多彩極まるメニューを俯瞰するだけでもそれなりの時間を要するのは間違いない。
そんな時は、店頭のPOPに掲出されていた人気No.1とある「トルコライス703番」を選ぶのが得策なのだ。
店内には、女性の姿や出張族風の会社員の姿が散見された。
子供の頃のお子様ランチへの憧憬と幻想を捨て切ることのできない客がここに集まっているのだろうか?

トルコライス703番

と、さほど時間を要することなくトルコライス703番が訪れた。
メニュー表との引けを取らぬ重厚な面持ちのそれは、なるほど確かに子供の頃に制覇したかった洋食の代表が集結している。
まずはデミグラスソースに覆われた煮込みハンバーグにスプーンを伸ばした。
それは外見のほどの濃厚さを有していない。
オムレツの載ったカレーピラフも頗る薄味で、さらにコロッケもナポリタンも同様の印象である。
それは、食べやすさへの配慮か、それとも飽きずもたれずへの憂慮なのか?

そもそも、トルコライスと称されるようになった由来も諸説あるようだが、いずれにせよこのワンプレートの中に凝縮された洋食の結晶、そして衝撃度の強い外観と穏やかな味とのギャップを感じながら食べ進め、容易く完食へ突き進んだ。

その間にも、客は入れ代わり立ち代わり往来する。
時刻は正午に向かっていた。
店の外は客の集来の頂点に達しようとしているようだった。

博多駅の新幹線の出発にはまだ余裕があった。
再び長崎駅の外に出て、正午の豊かな陽光を浴びながらこの地を巡った思い出にしばらく浸るのだった。……

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