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【人生最期の食事を求めて】葱の繁茂と濃厚な味噌スープが抱き合う時。

2024年3月13日(水)
喜来登(北海道札幌市中央区)

マスメディアにおいてもソーシャルメディアにおいてもラーメン熱は凄まじいものを感じるが、私には昔からラーメンに対する深い洞察力は皆無である。
自己解釈的には、ラーメンを“美味しい”と思うことはあっても“好きだ”ということはないのだ。

昨今、物価高騰によるラーメン店閉店ラッシュが深刻化している。
あくまでも私見だが、今や世界的なラーメンブームが定着し得るほどの浸透性を鑑みれば、値上げは必然的結実ではなかろうか?
仮に1杯900円が1,000円になろうが畢竟集客の支障などなく、高過ぎる値段ではない。むしろラーメン好きを公言する者は値上げに対するデフレマインドという病を克服して食するのが、ラーメン好きではなくても美味しいものを食べるという意味では理想でなく当然の帰結である。

ところで、私のような“美味しい”と思うことはあっても“好きだ”と思う者には理解しがたいが、ラーメンをこよなく愛する者にとっては、ラーメン激戦区のひとつである札幌という街はどう映るのだろう?

三寒四温という言葉が最適な季節だった。
冬と春が交錯しあいつつも雪が降ったかと思えば日差しの強さが道端の残雪に刺さる光景は、季節の移り変わりの象徴のひとつだ。
春の陽気に誘われて人々がそぞろ歩く狸小路も季節を先取りした薄着の姿が目立ち始めた。
といって、時折降る粗い雪は薄着姿を戒めるように思えた。
その雪は春を待ちわびる私を打ちのめし嘲笑う。
かと思うと、私の欲求は次第に暖かいものへと導かれるのだった。
14時を目前としていた。
私は足早にパーティションの立ち並ぶ店の前を通り過ぎた時、その足はいったん引き返し、その店の前で止まった。

喜来登


味噌ラーメンの有名店なのだが、寒さのせいなのか店の前を覆うはずの行列は立ち消えていた。
一瞬、私は自分の心の中を眺めることにした。
私は暖かいものを欲している一方、そもそもラーメンを欲してるのだろうか?
そんな葛藤に苛まれながら、この店の扉を開けた。
瞬時にして眼鏡のレンズが曇り、その朧げな視界の中に輪郭を失った客や店内の待合用の椅子に坐る客の姿が映った。
経営者と思われる嬉々とした女性スタッフの声音が店内の温もりに包まれて響いた。
「いらっしゃいませ! ご注文は?」
私はすぐさま「みそラーメン」(900円)と一言つぶやいた。
眼鏡のレンズは通常の視界に戻り鮮明な店内を投映すると、カウンター席には若い男性客や東アジア系の女性客、テーブル席には出張風の会社員が黙して麺を啜っている光景に出会った。
壁には多くの著名人のサイン色紙がモザイク模様を織り成すように貼り巡らされており、人気店あるいは有名店の片鱗を垣間見せる。

「奥のカウンター席へどうぞ」
10分程だろうだろうか、私は一番奥のカウンター席に案内された。
それにしても店内は春を通り越した熱気を宿し、ラーメンを食べる前から体が微熱を帯びた。
ラーメンを食べたら止めどもない汗が流れるだろうということは想像するまでもない。

みそラーメン(900円)

水を多めに飲んで待つと、この店の名物である葱の山脈に覆われた丼が目の前に置かれた。
丼の上に鎮座する深緑の繁茂はひと足早い夏の到来を告げているかのような存在感を誇示していて、その元で眠るもやしやメンマ、そしてマグマのようなスープを涼しげに制している。
だが、葱を下部に押しつぶしスープにうずもれさせると脆くもふやけ溶け込んでゆく。
葱と融和したスープは最初こそマイルドなのだが、札幌味噌ラーメンの常道ながら幾分力強い味わいが主室に迫って来る。
きっと濃厚なスープは大量の葱と抱き合うことによって、最初こそ牽制し合ってもいつしか尊重し合っているに違いない。
麺もまた常道で歯応えのある茹で方がスープと絡み合いながら、口腔へ解けるように忍び込む。
時として、スープの底に沈み込んだ挽き肉が麺にまとわりついた。
ところが、その存在もまたこのラーメンに意趣を添える役割を果たしているのだろう。
不意に首筋に流れる汗を感じた。
予想通り、私の体は店内の温もりとラーメンの熱に煽られて汗を滴らせ、それは肩や目尻で幾条かに分かれて脈々とこぼれてゆく。
最初こそ汗が気になり食べては汗を吹くことを繰り返していたが、終いには汗をぬぐうことを放棄して食べ進めた。
新たな客が店内の待合用の椅子に座った。
スープの底辺に沈んだ野菜や挽き肉の残滓を掬い上げ食べ終えると、私はすぐさま会計を済ませた。

季節が逆戻りしたかのような外の寒さも、この時とばかりは無類の快感である。
身がすくむ寒さとラーメンの熱気こそが北の大地を愉しむ秘訣であることを、私は無言のうちに知らされながら無造作に交錯する人々の中に紛れ込むのだった。……

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