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【人生最期の食事を求めて】鯖の未知とその神髄に触れる。

2023年7月8日(土)
「ごま鯖や げん志」(福岡県福岡市中央区)

福岡の三代名物といえば、水炊き、もつ鍋、うどんだが、
とんこつラーメン、辛子明太子、さらに鯛茶漬けを取り上げる者も多いだろう。
さらに追加するならば、胡麻鯖も欠くことのできない存在である。

私が初めて胡麻鯖の存在を知ったのは、10年程前だったような記憶が残る。
その年月はともあれ、日本酒や焼酎とともに食した胡麻鯖は忘れがたい記憶であり、そこからこの地を訪れる度に胡麻鯖を希求し続けてきた。

「旅は私にとって、精神の若返りの泉である」とデンマークを代表する童話作家アンデルセンは言ったが、私にとっての旅とは、「食と風景の未知なる源泉を辿ることである」と言える。

あらかじめ目ぼしい店を事前に確認してはいたが、昼食に胡麻鯖を選ぶかどうかによって判断が分かれる。
幸いにして日中はうなぎセイロ蒸しを選択したことによって、夜は胡麻鯖の余地が残った。
その反面、どの店に行くべきか選択肢が多いからこそ、降っては止む雨のむせ返るような午後を店選びに費やした。
選択肢が多いほど決定が困難に陥る、いわゆる“ジャムの法則”さながら、鯖料理に関しては困ることがないほど選択肢が多いからこそ、決定に迷ったのは事実だった。
しかも、来慣れている街といっても本拠地ではない以上、どことなく不安を抱えながら天神方面へと足を向けた。

福岡を代表する商業エリア、天神。
瀟洒なファッションビルが立ち並び、その賑わいは華美と気品を持ち合わせていながら、威勢の良い若者たちが闊歩している。
そこから南に下り、天神南駅から中洲方面に歩いていくと、次第に華美と気品は過剰な艶めきを装い、其処此処に夜の到来を待ち遠しい媚態を広げているように見えた。
探し見つけた店に訪れてみると、意想外なことに営業していなかった。
といっても、このエリアには選択肢は多い。
路地の裏に連なる道を頼りに、違う店を求め見つけ出したはいいものの、生憎の満席に仄暗い落胆の影が私の心の中に伸びていた。
私は冷静さを保ち、あらためて自らに『今夜は別に鯖じゃなくてもいいのでは?』と問うた。
少し足を伸ばせば、鉄板餃子もあるし普通の居酒屋だってあるのだ。
それでも私の中で、『お前はそれで良い旅をした、と胸を張って自分に問いかけることができるのか?』と自問自答するスティーブ・ジョブズさながら、自らを問いただすような声が聞こえてきた。

スマートフォンに手を伸ばし、可能な限り胡麻鯖を食する店を懸命に見出そうと試みた。
すると近くに店があることを認識した。
電話をしてみると、まだ営業前のせいか呼び出し音が続いた。
「げん志でございます」
女性の朗らかな声音が長く感じられた呼び出し音を遮った。
営業時間と空席を確認し、私は気丈な安堵を携えて店に向かった。

那珂川から程近いその店は、細い道路の雑居ビルの奥に佇み、県外者にとっては判然としない場所にあった。
鯖の身をあしらったかのようなこざっぱりとした青い暖簾が目印である。
オープン仕立て時刻だけに店内には客の姿はなかった。
開け放たれた厨房には、どこか厳つい雰囲気の男性スタッフたちがすでにスタンバイしていた。
一番奥のカウンター席に座るや否や生ビールを口ずさみ、美しい色合いのお通しに目を奪われながらも、メニューを凝視した。
胡麻鯖は確かにこれまでに幾度となく堪能してきたメニューではある。
だからこそ、多種多様な鯖料理との遭遇は当然なのだ。
入口の扉が矢継ぎ早に開かれると、団体客らしき姿が次々と入ってきた。
そして、賑やかな福岡弁が店内に響いた。
その人数と声の大きさに、私はいささか焦りを覚えて注文を加速した。

ひとまず生ビールと美しいお通しで鯖を待ちわびることにした。
先に現れたのは、「鯖の燻製とチーズの盛り合わせ」(800円)だった。
大振りな鯖の身は見事なほどに燻製を纏い、チーズとの相性は類稀な奇跡を生む。
初めての体験に、私は思わずビールを飲み干し心踊る自分に気づいた。
『この店で間違いない』
私の中で確信めいた何かが蠢いていた。
厳つい男性スタッフたちはその眉間の皺を深め、寡黙に調理に徹していた。
外の蒸し暑さと厨房の加熱に塗れて、厳しい表情を汗の大群が輝かせていた。
そこに「鯖の盛り合わせ」(1,620円)の登場である。
ごま、炙り、ぬか漬け炙り、生という4種の姿は、もちろん新たなビールを呼び覚まし、食すれば食するほどに寡黙にさせる。
そのどれもがベースとなる鯖の鮮度の高さを裏づけしている。
そこに「ぬか・ぬか」(850円)が置かれた。
メニューのネーミング通り、大根と鯖ともにぬか漬けされ抱擁し合っているのだ。

お通し
鯖の燻製とチーズの盛り合わせ
鯖の盛り合わせ


ぬか漬けが鯖の無限の可能性を引き出し、未知なる次元へと導く。
おそらく、精神と食は密接に結びつき、この食する瞬間というものを最高度に運ぶ神聖な融和、自然と身体の融合、世界の神秘との逢瀬とでも言えようか?

「博多ごぼう天」(550円)と「本日のおひたし」(500円)の到来とともに、ハイボールに切り替えた。
なおも鯖料理の神秘を探りながらもどこか冷静さを取り戻すために、「里芋の煮っころがし」(500円)で心を落ち着かせることに努めた。
一点のためらい、それは日本酒を控えていることだった。
蒸し暑さと痛風は、私から日本酒を遠ざけさせていることは事実だった。

ぬか・ぬか


博多ごぼう天
本日のおひたし
里芋の煮っころがし

「青菜炒め」(600円)で気分転換を試みながら、奥のテーブル席で盛り上がる団体客の姿を一瞥した。
おそらく地元民に違いなかった。
彼らはこの鯖の神秘を探るべく、この街で生きてきたのだろうか?
鯖料理の多様性と汎用性を自意識を以て対峙し、その深淵に足を踏み入れようとしているのだろうか?
それは明らかに違う。
偶然にこの街に生き、この土地が育み差し出してきた鯖と人とが出会い、多彩な美味に仕上がって、そこにいるというだけに違いないのだ。
この世には偶然も必然もない。
あるものは人間と自然とその土地にある食であり、それを求めてやまない探求という意志であるのだ。

美味の発見とは、既知であれ未知であれその土地で得られる幸福と言える。

朗らかな女性スタッフに最後のハイボールを求めた。
新たな出会いと深淵を求めて、次はどこに向かうべきか?

青菜炒め


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