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【人生最期の食事を求めて】越前おろしそばを試みる永平寺前夜。

2023年9月22日(金)
福そば(福井県福井市)

全身に吹き過ぎる初秋の夜の微風、それはまだどこかに晩夏の余韻を残していながらも程よく心地よい。
金曜日だというのに、福井駅もその周辺の商店街にも人影は疎らなのだが、その間隙がすこぶる肌に合う。
人混みを掻き分け歩く夜の彷徨ほど不快なものはないのだ。
しかも、見知らぬ街を地図なしで歩くことほど静かな興奮を味わえるというものだ。

とはいえ、体内にはまだ焼鳥の名門がもたらす満足感が残っていた。
商店街をそぞろ歩き、路地裏にある洒落た雰囲気のダイニングを眺めると、
『ここは福井なのか?』と疑問に思うほどどこにでもある表情を有している。
つまり表情がないのだ。
どの街もどこかの街の真似をするのか?
それが観光立国を目指す結果なのか?
永平寺という時の止まった隔絶世界はともかく、恐竜と焼鳥、そして洒落た店の散在ならどの地だろうと同じではなかろうおか?
歩いているうちに、私の思考はこの国の観光施策への疑問に陥り、そしてどこを歩いているのかさえ不明確に陥ろうとしていた。

そこに蕎麦の暖簾が微風に揺れていた。
私の中で揺らいでいた焼鳥はいつしか俄に余韻を消し、蕎麦を催促しているように思えてならなかった。
その店構えは威嚇まではいかないもののどこか大御所のような淡然とした風情を発していて、蕎麦屋にしては敷居が高く感じられた。
時刻は20時を回っていた。
意を決して店の中に入ると、まだ閉店するような空気は発していなかった。
店内を一見すると、店構え同様に落ち着きのある客ばかりだった。
テーブル席にお茶が運ばれてくる間に、咄嗟に「焼き鯖寿しとおろしそばセット」(1,100円)というセットメニューに目が止まった。
迷いなくお茶を運んできた若い男性スタッフにメニューを口走った。

福そば

飲食店でスマートフォンをいじるのは好まない。
しかも、食事中となれば尚更である。
けれど、手持ちぶたさというわけではないのにスマートフォンで“福井 蕎麦”を検索してしまった。
するとあろうことか、私の蕎麦に対する浅薄な知見が露見した。
そうなのだ、福井県といえば蕎麦も名物だったのだ。
しかも、越前おろしそばというスタイルは、冷たい麺、冷たいつゆ、大根おろしという三位一体を表す。
と考えると、この彷徨は越前おそしそばに導かれた必然なのだ。
しかも、焼き鯖寿しのセットも福井県の訴求力を受け止めるにふさわしい。

焼き鯖寿しとおろしそばセット(1,100円)

お茶をすすっているうちに、風格を有したお盆に載って私のもとに到来した。
削り節の香ばしい香りが私の鼻梁をかすめた。
酸味を携えた大根おろしのだしを満遍なくかけ、いよいよ蕎麦を啜る。
大根と削り節の香りが交わると、それは香ばしさと辛味が抱擁する。
かと思うと、その抱擁を引き剥がすかのように存在感のある麺が突進してくる。
かと思えば、香ばしさと辛味と蕎麦が交わり合って一種独特の清々しい印象を喉の奥処に忍び込んだ。
その爽快な蕎麦は、この地の風土が生んだものなのだろうか?
そんな疑問を抱きながら、焼き鯖寿しを持ち上げた。
これもまた福井県の名物のひとつであり、その斑色した黄金色と極厚の肉感は、見るからに静かな破壊力を有している。
案の定その食感は香ばしく、脂の乗った身が蕎麦の風味と重なり、さらにそれを打ち消すように口内に君臨してゆく。
むしろメインは焼き鯖寿しであり、それに仕えるのが越前おろしそばだ、というのが私の個人的見解に代わっていった。

あれよあれよと蕎麦はその形を失い、焼き鯖寿しの最後のひと口を捧げた。
この地の名物が私の体内に蓄積し満足を広げてゆく。
私はお茶の最後まで啜り、後は明日の永平寺を夢見るだけであった……

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