見出し画像

【人生最期の食事を求めて】鮮度の高さに遭遇する長崎の春の夜。

2024年3月20日(水・祝)
長崎炉端 五人百姓(長崎県長崎市銅座町)

日本のキリスト教文学の第一人者であり、小説家の遠藤周作の代表作「沈黙」を久方ぶりに再読した。
その内容は激しいキリシタン弾圧が行われた長崎を舞台に、神の存在の是非、異国での背教という耐え難い心理状況を克明に描いた、おそらく日本宗教史の闇の一端をえぐる歴史小説としても世界的に名高い。
遠藤周作的キリスト教感は、私が尊敬する内村鑑三的プロテスタンティズムは異なり、カトリック的色彩の強い独自の解釈を施し、当時の違和感はさることながら、キリシタン弾圧の史実に基づいた描写は、今の時代に読む意義においても深い。
そして、私はふと長崎に行くことを決意した。

遠藤周作(1923〜1996)

福岡空港からJR博多駅に向かい、特急リレーかもめに乗車する。
さらに、武雄温泉駅で西九州新幹線かもめに乗り継ぎ、長崎駅に到着したのは19時30分頃だった。
見違えるように美しくなった長崎駅やそれに付随する巨大商業施設の存在を横目に、正面には急峻な坂道をなぞるように灯りと夜空の闇とが相対峙している。
市電が次々と交錯する様子を古びた歩道橋から見下ろし、長崎港から轟く汽笛の音に耳をそばだてた。

西九州新幹線かもめ
長崎駅

出島町付近のホテルまで歩き、すぐさま夜の街へと繰り出した。
見知らぬ街の夜の彷徨は、一抹の不安と寄る辺ない期待とが同居する。
この刺激なくして旅を楽しむことなど不可能なのだ。

祝日の夜の街はどことなく寂寞とした空気を放っているが、いざ気になる店の前に立ち止まると混雑した様子が窺い知れた。
狭い道が伸びる繁華街をひと通り歩くと、これまでにないほどの空腹に襲われた。
ともあれこの空腹を満たすためにも、出会い頭の店に入ろうと決意した。

長崎炉端 五人百姓

大衆的な雰囲気が漂う長崎炉端という文字に心が踊り、すぐさま扉を開けた。
左側には炉端用のテーブルを取り囲む多くの客が談笑に華を咲かせていた。
正面に伸びる長いカウンター席には、若いサラリーマンがひとりスマートフォンをいじりながら酒を飲んでいる。
入口付近のカウンター席に座り、とりもなおさずビールを注文しながらメニューを眺めた。
賑々しい海鮮メニューの顔ぶれに心踊りながらも、何を頼むべきか迷うのも仕方ない。
ビールを運んできた男性スタッフにおすすめを尋ねると、
「今日は生さばですね」
と表情なく応えた。
なるほどと頷きながら、「きびなご」という聞き慣れないメニューに目が釘付けとなった。
きびなごとは、長崎県や鹿児島県でよく穫れる魚で、ニシン科に属するという。
まずは「生さば」(980円)と「きびなご」(680円)を注文し様子見することにした。

生さばの刺身(980円)ときびなごの刺身(680円)
生さばの刺身
きびなごの刺身

まもなくすると年若い女性スタッフがワイドな皿を持って現れた。
そのボリュームに目を奪われながらも、席を間違えて持ってきたのではないかという疑念さえ瞬時に生まれた。
「生さばときびなごの刺身です」
「凄い!」
と、思わずは私は口走ると年若い女性スタッフははにかみながら去っていった。
生さばもきびなごも、銀色のきらめきを身から発していて鮮度の高さは容易に察しがつく。
酢味噌に軽く浸し、きびなごを食した。
想像以上に身の引き締まった歯応えとともに、上品で蛋白な味が支配した。
そこにはニシンのような臭みは微塵もない。
なんという食べやすさであろう。
生さばも同様で鮮度の高さを見事に証明している。
呆気なくビールがなくなり、お代わりのタイミングで「ぶり大根」(880円)と「湯かけくじら」(580円)を追加した。

ぶり大根(880円)

小説「沈黙」の中で登場する長崎に想いを巡らせた。
フランシスコ・ザビエルの来日、ポルトガルやオランダとの交流、キリスト教弾圧、そして鎖国と出島という鎖国時代の西洋との唯一の架け橋、そして被爆した街。
この国の歴史を語るうえで欠くことのできない街で食事を楽しむ贅沢を噛み締めていると、「ぶり大根」が訪れた。
再び「凄い!」と口走ると、年若い女性スタッフも再びにかみながら去っていった。
その迫力としっかりと味付けされたぶりの身に、私は慎重に箸を入れていった。
強靭な骨から丁寧に身を抉り頬張ると、あっさりとした味付けが口腔に広がった。
他方、目玉の裏側の目玉のゼラチン質を食すると、独特の触感が私の焼酎へと誘う。
「五島麦」(550円)をロックで注文し、私はただ押し黙ったままぶり大根を食べ進めた。

湯かけくじら(580円)

最後に「湯かけくじら」がやってきた。
くじら消費量日本一という県にあって、くじら料理は欠くことのできない品である。
かけぽんをふんだんに降り注ぎ、その一枚を噛み砕いた。
くじららしい噛み応えが過ぎ去ると、さっぱりとした香りが運ばれてくる。
そのくせ焼酎を欲してしまい、「五島芋」(550円)を追加で頼んだ。
結局のところ4品しか注文していないのに、海の幸の計り知れないボリュームと味わいは私を容易に飲み込み、そして満たすのだった……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?