103歳のつぶやき❷デカンメイロウ

家は、田畑を耕して暮らすにはあまりにも狭くて土も痩せていた。
子どもと、道具や、握り飯干した魚を持って畑までの、イタチ道(細くて人が一人通れるくらいの道を、イタチ道と呼びます)を登っていく。
子どもは寝かせたり。おぶったりして、畑を耕すと、家に帰る時間はもったいないので、火を起こして持ってきた干し魚をあぶって握り飯と食べた。
道の両側にナバ(きのこのこと)を取って、それも食べた。
美味しかったー

それだけじゃ生活できなかったので、福岡あたりにメイロウとして、子どもも連れて働きに行った。お金をもらえるかもわからなかったけど、ご飯は出たから。福岡あたりは、畑も広くて、肩に水や肥をいのうて、(背負って)朝から晩まで働いた。惨めなもんだった。

福岡で、姉が子供を産んですぐに乳が出なくなったので、姉の子は私が育てたんだよ。自分の子に乳を飲ませてもまだまだ出たからね。
その子はずっと贈り物をくれたよ。
(お中元とお歳暮)先になくなってしまったけど、無くなるまでずっと贈り物が届いた。
自分の子はみんな男の子だったから、姉の娘は可愛かったね。

福岡デカンメイロウ。
丁稚と、メイドみたいなもんだろうね。昔は、そう呼んでいた。
よく働いたよ。

それからしばらく、息子たちの名前を言うが、名前が五つしか出てこない。
息子も3人になってしまった。長男は自宅で看取った。
指を折りながら、6人の名前が出てきて、ホッとして今日の話は終わり。

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