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アラ還おばちゃんコロナ禍のジョージアを行く③涙の入国編

自己紹介

※1話2話をお読みいただいている方はここを飛ばしてください

「ジョージア美食研究家あき」こと小手森亜紀です。
東京都文京区で日本唯一のジョージア料理専門の料理教室を主宰しています。(2022年4月から拠点を札幌に移しています)

シルクロードで餃子が食べたくて会社を辞めたお話しはこちら。

ジョージア料理と私の出会いはこちら。

コロナ禍の2021年。私はジョージアに2度、計4か月滞在しジョージア各地を旅してきました。
コロナ禍でもできる。アラ還でもできる。ひとり旅の経験なくてもできる。

そんなおばちゃんの冒険ストーリーです。
第1話、第2話はこちら

出発前夜

ジョージアでやりたいこと!

出発日が近づき渡航がいよいよ現実味を帯びてくるとともに
少しずつだけど渡航した後の計画も具体化してきた。

①ジョージアの田舎のおうちに短期間でいいのでホームステイして日常の台所仕事を見せてほしい。
これは、ジョージア在住の日本人ガイド ゾノさんに少し前からコーディネートをお願いしておいた。
彼がいつもツアーで運転をお願いしているドライバーさんのおばさんが郊外で1人暮らししているので頼んでみるということだった。

https://twitter.com/siontak

ゾノさんとは面識はなかったけれど、Twitterを通して連絡を取り合っていた。

②お料理上手なジョージア人にたくさんお料理を習いたい!
当時、お子さんと一緒にジョージアに住んでいた日本人女性のセイコさんのTwitterによく「お手伝いさんが作ってくれたご飯」の写真が投稿されていた。それがすごく美味しそうだったので、お手伝いさんからお料理を習えないかとセイコさんにTwitterのDMで相談したところ、快く引き受けてくださり料理教室を開いてくださることが決まった。ゾノさん同様セイコさんとも面識はない。Twitterだけのつながりだ。

③いくつかの有名ワイナリーに遊びに行く
これもやはりTwitterを通して知り合った日本人の方々と相談を進めていた。
(Twitterってどんだけ)

④ジョージア各地で郷土料理を体験したい。
大使館からご紹介いただいた人脈をたどっていき、私はジョージアの食文化の権威的な存在、ダリさんと連絡を取ることができた。
ダリさんはジョージアの食文化に興味を抱いている私にできる限りの便宜を図り、いくつか料理体験の場を作ってくださるというお返事を頂いていた。
また、Culinary & Wine Expeditionという旅行会社を通していくつかツアーを組んでもらう計画もあった。

これまで、他の人から「ワイナリー行ってきた」「トビリシ以外の街にも行ってきた」と聞くと「どうやって行くんだろう。誰か連れて行ってくれないかな」と正直ちょっと羨ましく思っていた。ジョージアに関する情報はとても少ない。ガイドブックもろくに無い国だ。
自分がひとりでジョージアに行くと決めた途端、どこからそんな行動力が湧いてきたのかわからないが、考えられることは全部行動に移す自分が居た。

ジョージアの人たちと連絡を取る中で分かってきたことは、①ジョージアの人は返事が遅い、②ギリギリまで予定は決まらない。
みんな「わかったわかった、了解、まかせろ」と言うのだけれど、日程まで確定している予定は実はひとつもなかった。

出発前になんでも予定が決まると思っていた私は戸惑わないと言ったらウソだった。
その当時のFacebookの自分の投稿を見返すと、緊張で眠れないと何度も書いている。不安よりも期待と興奮だったと思うが…。

ジョージアはコロナ終わったの?

ジョージアに行くと人に言うと決まってされた質問だが、答えはノー。
当時、人口比の新規感染者数はジョージアの方が日本より多かった。
なんてったって私は入国してから8日間ホテルで隔離されるのだ。

ジョージアは一時期ロックダウンで国境がすべて封鎖され、実はまだ国境が開いてから日が浅かった。日本も外国人の入国は制限されていたが、帰国したい外国人は自由に出ていくことはできていた。ジョージアは出ることも入ることもできず、国際郵便も停まっている時期があったのだ。
私が渡航した当時もレストランの店内飲食など一部で行動規制が残っていた。

また感染者が激増したら帰国できなくなるのでは?レストランが休業したり都市間移動が禁止されたらせっかく行っても無駄に終わるんじゃないのか?
そんな心配を口にする人もいた。

私の見解は少し違っていて、コロナは短期間には終わらない、コロナとの共存が世界的な潮流になる、入国時に隔離があるとはいえ Remotly from Georgiaという制度をスタートさせたということは、ジョージアもコロナと共存しつつ経済活動は止めないという方向に舵を切った。私はそう考えていた。
これについてはまったく私個人の見解なので、人に勧められることではなかった。

コロナ心配じゃないの?
これもよく聞かれたのだけど、海外だから急にコロナウイルスが感染力を増すわけじゃない。
感染対策としてやるべきことは日本に居てもジョージアに居ても同じ。そう考えていた。

2021年5月16日(日)日本を出発

羽田空港第3ターミナル

空港は今まで見たことないほどに静まりかえっていた。人影はほとんどない。
コロナで出発便の便数は激減しているので開いているチェックインカウンターはほとんどなかった。

この通りほとんどの便が欠航だった。
本当に私が海外に行けるんだろうか?
そんな不安が頭をよぎらなくはなかったが、Twitterで知り合った人たちがすでに何人もここ羽田空港からターキッシュエアラインを使ってジョージアに入国していた。

まず私は「念のため」のPCR検査を受けに行った。予約は15:00。結果は5時間後と言われたが19:50分にチェックイン手続きが始まるので19:00に検査結果が受け取れるようにお願いした。
検査方法は唾液の採取で、プラスチックの漏斗と試験管を渡されて一人ずつパーテーションの内側で唾液を試験管に入れる。
パーテーションには梅干しとレモンの写真が貼ってあった。やっぱり日本人には梅干しの写真が効果ある。
費用は38500円で前払いだ。
確かに高額だし、本当ならばPCR検査の結果はジョージア入国の要件ではないのだけれど、これはお守り代わりだった。
だいたいこれから長時間飛行機に乗って移動するのに、直前に検査を受けるのは人として当然という気持ちもあった。
万が一陽性なら全部キャンセルしなくてはいけない。

待ち時間にスーツケースのラッピングサービスに行った。
娘から借りたスーツケースは娘がカギを紛失していた。途中で開けられたところで着替えぐらいしか入っていないから特に心配はしていなかった。
それよりも放り投げられた時に衝撃でパカッと開いてしまう方が心配だった。
1個につき1000円。
さすが日本。
2か所の持ち手もキャスターも包んだ後にカッターで綺麗に切り抜いてくれた。

荷物は3つ。

中型のスーツケース2個にリュック。リュックの中にはPCやモバイルバッテリーも入っているので結構重かった。
チェックインが始まるまでこの大荷物が常に一緒。
カートを押しながらしばらく空港内をうろうろしたが、面倒くさくなってしまい、出発ロビーの片隅に座って空港のWi-Fiでネットフリックスのドラマを観て時間をつぶした。
コンビニや飲食店に入ろうにも店の外にこのカートを置かないといけない。
トイレはカートごと多機能トイレを使用した。

飲食店に入ったところで、東京都は緊急事態宣言下だったので店内での飲酒は禁止。したかなく夕方コンビニで缶ビールとおにぎりを買ってお腹に入れた。
私が乗る便は22:05出発なので定刻通りに離陸しても機内食が出るのは日本時間で23時頃になるはずだった。
暇だしとてもそれまで空腹を我慢できそうになかった。

19時過ぎ。
PCR検査の結果を受け取り、陰性が確認できた。あとはチェックインだ。

19:50 予定通りチェックインが始まり、私も列に並んだ。
私はパスポートとさっき受け取ったばかりの陰性証明とジョージア政府からの入国を許可するという内容の英文のメールを自宅でプリントアウトした紙を用意した。
私の順番が来たのでまずパスポートをカウンターの上に提出した。航空会社の担当者の女性が「ビザはお持ちですか?」と聞いてきた。
「ビザはありません。これが入国を許可するというメールです」
担当嬢の表情がみるみる曇る。
確かにただのメールのコピー。何かを証明しているようにはとても見えない。大変頼りない代物だ。
「これは…なんですか?」ごもっともな反応。
「これは、ジョージアに着いてから隔離を受けるので入国しても良いというメールなんです」
彼女は懸命に笑顔を保ちながらおそらく誰かに相談するために席をはずした。
長らく帰ってこなかったが戻ってきた彼女の笑顔はやはり引きつったままだった。
「あの~ジョージアはワクチンを2回接種済の方であれば入国できるのですが…」「はい、そうですよね、ワクチンを打っていない人は入国してから隔離されるんです。羽田空港からすでに何人もの人が同じ手続きで出国してジョージアに着いてます」「確認しますので、しばらくロビーでお待ちください」
チェックインカウンターの前から私はロビーのソファに移動させられてしまった。
そんなに時間がかかるというの?

どうやらこれからジョージアのイミグレに電話をかけて確認するらしかった。
言葉の壁が無い羽田でもなかなか話が進まないのに、この先言葉が通じないトルコやジョージアの空港で私は突破できるんだろうか?

待つこと40分。
どうにかジョージアと話が済んで私は飛行機に乗せてもらえることになった。
第1関門突破!
おめでとう私!

いざ搭乗

羽田から同じ便に乗ったのは家族連れの日本人、遠征に行くらしいスポーツのチームご一同様、多分トルコに帰国するように見えるムスリムの方々。たまに私のようなひとり旅の乗客もいた。

機内は噂通りガラ空き。
3人がけのシートに一人ずつだったので、ゆったり足を投げ出して横になることができた。

乗ったらすぐに機内食。
離陸が22:05なのでそれでも真夜中、日本時間で23時になっていた。
久しぶりの国際線、久しぶりの機内食。
それだけで心が躍る!

暗い機内で撮ったので写真の映りはイマイチ

日本発の便なので冷奴とうどんがついている。
お醤油味はこれでしばらく食べ納め?
手前はご飯、野菜、鶏の胸肉。すごい薄味だったので、冷奴のお醤油がありがたかった。
ワインとともに炭水化物を食べて安眠した。

果物が嬉しい。チーズときゅうりトマトがトルコっぽい

朝ご飯は東京時間の9時、トルコの4時。
私の英語も中学生程度だが、トルコ人のCAさんたちの英語もなかなか訛っていて、実は何を言われているのかほとんどわからない。
朝ご飯を配りながら「〇〇or△△?」とどっちにするか聞いているのはわかるけど、私には「ウォールナッツ or  ノマド?」としか聞こえない。
できるだけ彼のイントネーションを真似して「ウォールナッツ」と言ってみたら「オムレツ」を渡された。

驚き。イスタンブールは賑わっていた

人を写さないようにしていたので空いているように見えるがものすごく賑わってる

早朝5時過ぎ。
定刻通りイスタンブールに到着した。飛行機を降りると「International Transfer」のサインに従って10分ほど歩いていくと迷うことなく Passport Control に着いた。
PCの電源を入れるように言われたが、キョトンとしていたら後ろに並んでいた男性が電源を入れてくれた。
手続きはすぐに終わり出発ロビーに行くことができた。

お土産屋さんも飲食店もほとんど営業していない、ゴーストタウンのような羽田空港とは打って変わり、早朝にもかかわらずお店はすべて営業していて、旅行者でごったがえしていた。

乗継を待つ人でソファはいっぱいだったので、私は有料ラウンジに向かった。
有料ラウンジはロビーからエスカレーターをのぼった2階にある。

今回の乗継の待ち時間は12時間以上。
初めての空港でおばちゃんひとりで飲食店や無料のソファでそこまで時間を潰す自信はなかった。だって海外にひとりで出たのも初めてなんですから。
運よくソファが空いてもトイレや気分転換に立ったらすぐに席は取られてしまう。
ラウンジの入口で搭乗券とパスポートを出すように言われた。
続けて何か言っているのだが私の英語力の問題か先方のトルコ訛りの問題か何を言われているのかわからない。
しかし、誰も頼る人はいないので「わからない」では済まされない。私は思いっきりわかってないよという表情をしながら聞き取れた単語をオウム返しにした。
どうやら「ここは有料だ」と言っているらしかったので、私はイエスと言ってクレジットカードを出した。
「あなたは長時間の乗継だから利用料は100ドルだ」と言っている気がした。私は大汗をかきながら「イッツオーケー」と答えた。

↑ 100ドルというのは「多分そんな感じ」という記憶だけで実際にはいっぱいいっぱいで細かいことは覚えていない。

初めての空港ラウンジ

これまで貧乏旅行しかしたことがなく、航空会社のラウンジなんかも縁がなかった。
出発ロビーの人混みと喧騒からは隔絶された特別な空間に疲れてるはずの私ははしゃぎまくり。

はしゃいで自撮りも撮りまくり

まずはオットマンのあるソファに座ってみた。
両隣の男性は靴も脱いで爆睡しているが私はどうも寝付けそうにない。
場所を移動しテーブルと充電用の電源を確保した。

電源とWi-Fiがあれば一安心だ。

おまけにここは飲み物も食べ物も全部フリー!

清潔なトイレはもちろんのこと、シャワールーム、マッサージも無料。
無料というか料金に含まれてるだけね。

マッサージはほんの5分。全然物足りない
ビリヤード台もある。いや、できないけど。

食いしん坊な私はお腹も空いてないのにたちまちビュッフェに手を伸ばす。

サラダ
もちろんお酒も各種フリー

早朝のせいかあまりがっつりした料理はなく、酒の肴のようなものが並んでいる。
これは朝から飲めと言わんばかりだ。
バーコーナーに行けば各種アルコールも飲めるのだけど、ややこしいオーダーはできないので白ワインを1杯。

ブドウの葉でひき肉とお米を包んだトルマ
トマト味のクスクス

時間が経つにつれて料理の品数も増えていき、そのたびに食べてしまう。
トルマやクスクス、茄子料理などトルコらしいメニューが並ぶ。
トルマは人気なのかすぐになくなってしまい追加が並ぶことはなかった。
私はトマト味のクスクスが気に入ってお代わりもした。

トルコのピザ「ピデ」
目の前で焼いてくれる

オープンキッチンで調理されている焼きたてのピデが食べられるのも嬉しかった。

搭乗時間が近づいてきたのでラウンジを出た。
出発フロアは行けども行けども飲食店が連なっていて、どれも美味しそうだった。
食指は動いたけど、このあと飛行機に乗ったらまた機内食が出てくるので今回はお預け。次回この空港を使う時にはラウンジには行かずにこっちで乗り継ぎ時間を過ごしたいなーと食い意地の張った私は思うのであった。

サンドイッチが美味しそう!
お寿司も気になる
トルコのお菓子

ジョージアへ!


トビリシ行きの搭乗ゲートに行くと、担当官がパスポートと搭乗券、ジョージア政府からのメールのコピーをちらっと確認しただけで通してくれた。

イスタンブールで手こずったという話も聞いていたので、「ここでこんな楽ならジョージアにはもう入国したも同然!」

きっと羽田と違ってイスタンブールから Remotly from Georgia を使ってジョージアに渡る人が多いんだね。

ゲート前のベンチに座っていると日本人の姿も何人か見えた。
ここで初めて顔を合わせたらしい日本人の若い男性ふたりが日本語で大きな声で話をしていた。

わかるわかる。

興奮しちゃうよね。

おばちゃんだって内心はガッツポーズだよ。

はるばる日本から12時間もかけてトルコまで来て、このイスタンブールの空港でそれ以上の時間待たされて、ようやくトビリシ行きの飛行機に乗れるんだもん。

いやあ、遠かった!

イスタンブール発トビリシ行きの飛行機は満席だった。
イスタンブールの空港の賑わいといい、この飛行機の混み方といい、世界ではもうコロナは終わってるの?
日本のあの厳戒態勢はなんなんだろう。(当時は在留資格をもっている人でさえ外国人は日本に入国できなかった)

トビリシでは難なく入国できるものと思っていたが、入国審査で「ワクチン打ったか?」と聞かれ、打ってないと言ってジョージア政府からのメールを出したら別室に連れて行かれてしまった。
別室でも繰り返しワクチン打ってないのかと聞かれた。

私がもっとちゃんと英語が話せて「ワクチンを打っていないくてもその代わり私はこのまま政府指定のホテルで隔離されるのだ」と説明できればよかったんだが、いざとなるとなんの単語も出てこない。

アワアワ言ってる私と困った顔の空港警察の警察官がいるところへ、別の警官がやってきてどうやら「大丈夫」と言ってるらしく、無事に入国のスタンプを押してもらうことができた。

終わってみればものの数分のことだけど、またもや大量の冷や汗をかいた。

日本ではジョージアに行く人なんてほんの一握りなので入国制度が認知されてなくても仕方ないけど、なんで当のジョージアですんなり入国できないのか! だって全世界90か国以上の国からこの制度で入国できるようになってるのよ。

多分、それはジョージアだから。

そして自動ドアの向こうへ

自分のスーツケースを無事に受け取り、到着ロビーに出ると大勢の出迎えの人たちがいた。

私は自分の名前を探したが、見当たらない。

しょうがなくまず目の前のブースでSIMカードを買った。
もしかしたら自力でホテルまで行かないとならないからまずはスマホを現地仕様にしないといけない。

ロビーをうろうろする私に客引きのタクシードライバーが何人も声をかけてくる。
日本じゃ考えられないことだが、ジョージアでは到着ロビーの中でタクシーの運転手たちが待ち構えてるのよ。

ロビーを何往復もしている私にまた運転手さんが声をかけてきた。

私は印刷して持ってきたホテルのレシートを見せて「ここに行くんだけど、自分の運転手が見つからない」と言ってみた。その運転手さんは「俺が電話してやるよ」と言ってホテルに電話をしてくれたが深夜のせいか誰も出なかった。
レシートに書かれている私の名前を見て「これがあんたの名前?運転手見つけてくるよ!」と言ってすぐに私の運転手を見つけてきてくれた。
いったいどこにいたのー?

私をホテルに送ってくれる運転手さんは一旦到着ターミナルを出ると「ちょっと待ってて!」と言って隣接する出発ターミナルに走って入っていった。
すぐに出てきた彼は小学校3年生ぐらいの女の子を連れてきた。
彼の娘さんのようだった。

今は真夜中。すでに日付は変わっている。
そんな夜中に小学生の娘を仕事に連れて来てるのもびっくりしたし、ひとりで出発ターミナルで待たせてたのもびっくりしたし(到着の方にはベンチがないけど出発の方ならたくさんベンチがあって座れるから?)

何よりも

日本ではコロナだからと親族同士でさえも会うことが憚れるのに、遠く日本から来た旅行者の私の送迎に子供を連れてくることにびっくりした。

コロナについて、国が違うとこんなにも感覚違うんだ。

そういえば、さっきの到着ロビーでもみんな一応マスクはしてたけど、密どころじゃない。
押すな押すな状態でわいわい賑やかだった。

車の中で私はお嬢ちゃんに「ガウマルジョバ」とあいさつをして、日本から持ってきた絵葉書を渡した。

ずっと日本に居ると世界中の人々が私たちと同じように人と会うことも警戒し、楽しみを我慢して暮らしているように思ってしまうが、決してそうではないことを私はジョージアでこのあと散々思い知るのである。

空港から15分ほどでホテルに着き、私の隔離生活が始まった。

ハサミはこのスーツケースの中…開けられません(涙)

ぐるぐるラップが厳重過ぎて素手で開ける気力がなく、とりあえずそのままベッドに倒れこんだ隔離ゼロ日目の夜。

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