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【腸閉塞からの】備忘録#3 手術後の一週間

寝れたのか寝れてないのか、緊急手術翌日の4月7日。
朝の回診で鼻から入っている管(経鼻胃管)は明日抜きましょう、水を飲んでも良いと言われ、開腹手術をしているので看護師に手伝って貰って立ち上がる練習や歩ける練習をする様にも言われ、吐き気とお腹の痛みが強くあったが痛み止めが効いている時分にどうにか立ち上がることは出来たので悪くはなかったと思う(朝イチ病室での仰臥位のレントゲン撮影は、看護師に手伝って貰わないと自分では体を動かすことが全く出来なかった)。
腹筋が使えなくて腹に力が入らない所為なのか、声を出すことが容易ではなく、友人Tが持って来てくれた荷物がある筈だと看護師にどうにか伝え、「歯磨きがしたい」と言えたことでこの日ようやく歯磨きをすることが出来た。
痛み止めが効いていて痛みが緩和されてるとうとうとして気付けば時間が経っていて、19時頃に麻酔科医の回診がありポンプの痛み止めについて説明を受けた。この痛み止めを外す迄、その日の麻酔科の担当者が毎日来るとのことだった。
痛み止めの薬剤について「常時ポンプで薬を入れているが、痛みが辛い時はこのボタンを押したら痛み止めの薬剤が追加される」と教えてくれた。たくさん押しても使用出来る規定量以上は追加されないから何度押してもいいよ、と。
点滴の痛み止めは6時間空けなくては次は使えないので、これは併用としてベターだなと思ったが、ポンプの薬剤は全身に作用するので吐き気や腸の動きが悪くなったりする副作用があるらしかった。また使用出来る量は今残っているだけで期間としても長くても1週間未満、今日明日すぐにではないが早々に量を減らして使用終了にしたい強い痛み止めであることは言われずも理解出来た。

手術翌々日の4月8日。
朝の回診で執刀医の担当医Zは管を抜いただけで去って行き、特に状態を確認する会話らしい会話も触診だったりもなかった。腹部は完全に覆われており傷口が一体どうなってるのかは自分でもさっぱり不明だった。
午前中は歩行練習の予定で看護婦に助けて貰いベッドに座ったが、咳が出てしまい傷が痛くて断念することになってしまった。
手術前に履かされていた血栓予防の靴下を脱ぎ、昼前、現在の病室から個室へと移動することになった。ひとり部屋は嫌だと言ったが、4人部屋は空いていない・今の病室は術後の患者が一時的にいる場所でずっとはいられない、と言われた。
術後2日経っているがオナラも便もまだ出ず、傷の痛みもあるのかもしれないが手術をしたのにお腹が張ってとてもとても痛くて・・・・・・・・。
この痛みはここからもずっと継続するため、これがおかしいのかおかしくないのかそもそも普通で当たり前なのか判断が出来るのはもう少し後になってからである。
手術が終わり意識が戻ってからどうしてか頭が熱くて堪らず何度もアイスノンを交換して貰い、痛みも酷く痛み止めの点滴を定期的に入れて貰い、ポンプの痛み止めの追加ボタンも回数は少ないとしても押さざるを得なかった。

4月9日。朝イチに採血2本の後、看護師に起き上がらせて貰い嗽をし顔を拭いて貰った。
看護師経由で友人Tに頼んでいた荷物を受け取り、着替えをし、尿路カテーテルを抜いて貰い、CT検査に行った。
副担当医Fに回診で便通もまだないと話をした夜、尿カテがなくなったことでトイレに行くことが出来る様になりようやくオナラが少し出た。
その日の麻酔科医回診では、痛み止めポンプの追加ボタンの薬剤量を2/3に変更。麻酔科としては早く量を減らして早々に使用を終わらせたくて仕方ない様だった。

手術から4日目の4月10日。
担当医Zと副担当医Fのそれぞれが朝の回診後、この日から下痢ではあるが少しずつ便通はあった。
4月11日には4人部屋へ移動となり、朝から朝まで独占使用ではないかと思う程毎日毎時間頻繁にトイレに行く状態で、スマートウォッチの計測によるとここから退院するまでの間、睡眠らしい睡眠はほとんど数字に反映されずどうやら寝ることもままならないまま過ごすこととなる。
看護師が「洗髪をしましょう」と言ってくれたので洗髪して貰って良いのかを医師に確認をし、11日の午前中にシャンプーを買って来て貰ってその午後に洗髪してくれることになった。
気にしない様にしていたけれどぼさぼさで爆発した状態だった頭髪はとても気になっていて、手術後5日目にして看護師に洗髪して貰ったらポロポロととめどなく涙が溢れてしまった。手術日のままの姿でこんな酷いままは嫌だ身綺麗にしていたいと思っていたから、看護師が気付いて声を掛けてくれたことがもの凄く嬉しくて堪らなかったのが大きな理由だった。
あとは、漠然とした不安。
手術後通常は1~2週間で退院出来る、と聞いていたが、レントゲンの結果がどうやら毎回芳しくなく曖昧な状況の中ではポジティブになれる要素はどうしても見つからなかった。
「拡張している」「拡張している」と言われるもこの病気について知識のない当たり前に初心者の私にはその意味が分からないまま毎回その言葉を言われ、動かないと癒着するからと言われ、まるで怠けている私の所為で検査結果や状態が悪いのだと言われている様に責められている様に感じていた。
病気のことも手術のこともこの病棟や病院についても右も左もなんもかんもわからない状態でここにいて、自分の状態すらも理解出来る様に知らされず、ただただ毎日痛くて辛くてしんどくてどうしたらいいのかもわからなかった。それを言葉にすることもまだ出来ない日々だった。

初日からさして改善もない検査結果のまま手術から1週間が経過し、私が食べたいと意思表示したことでようやく週明け4月15日から食事の指示(欠食から流動食)が出ることになった。
通常より長く時間がかかるとしてもこのまま退院出来るのかもしれない、とこの時はまだ少なくとも希望を抱いていた気がする。

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