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【腸閉塞からの】備忘録#8 再手術のあと①

2回目の手術の翌日、4月26日。
そもそも眠れてはいなかったけれど朝になって改めて感じたことは、「1回目の手術後と2回目の手術後が全く違う」ということだった。
腹部の痛みが違った。それはもう明確に違った。開腹した傷が痛いと思った。傷の痛みがあった。そう、ちゃんと、”傷”が痛かったのである。
1回目の時は、開腹した傷の痛みがどうのこうのと感じるよりも先に”お腹が張って”張っていることによる強い痛みを感じていて、開腹した傷の痛みについては遠く二の次だった。この2件の明らかな違いについて、誰かに訊かれることも伝えることもないままだった。
朝の回診に来た担当医Zより受けた術後の説明は、思った以上にざっくりで、下記3点だった。
・2回目は1回目よりも大きく開腹手術をした、する必要があった。
・開いたら3~4ヶ所癒着をしていてその部位を切除した。
・1回目の手術部位もやり直して切除した。
説明というものはてっきりもっとボリュームがあるものだと思っていたので、それだけ?というのが正直な気持ちで、更に「癒着しやすいのかもね」と捨て台詞の様に言われてもやっとしてしまった。なんだか酷く感じ悪く感じてしまい文句のひとつでも言いたくなったが、関わるだけ時間と労力の無駄になるのは明白で。少なくとも私の人生に再登場されなければよいだけだと思い、何も言葉にはしなかった。

2週間の間に2度も手術をして良かった点を敢えて挙げるとすれば、判りやすく比較が出来たこと、予行練習(1回目)と本番(2回目)になったこと、だと思う。
癒着防止のために早々に起き上がって立ち上がって歩いて体を動かして腸の動きを促す必要があることは既知で、これは早ければ早い方が良いことも説明不要で十二分に理解しているのだから。
非協力的な看護師もいてなかなか思う様にはいかなかったが、手術翌日午後には自力で立ち上がり、翌々日には病室のドア迄歩き、3日後の28日以降には5000歩/日をクリアした。
手術して癒着してまた同じことを繰り返す、かもしれない。
頑張って回避出来ることではないけれど頑張れることが動くことと歩くことしかなくて、これが無駄な足掻きでもなんでも回避出来ると信じてただただ必死なだけだった。
案の定というか2回目の手術後も腸の張りによる腹痛があり、やはり排ガス・排便に時間を要した。それ故、ようやく便通があった29日に至る迄もそれ以降も、どうにも不安は拭えないままだった。

嘔吐した日は水分を全く摂れておらず、吐いた後は水分禁止ではあるが看護師Nはガーゼを湿らせてくれてほんの少し潤うことが出来た。
手術日の25日は、手術前となり水分摂取は厳禁だった。
手術後の夜、喉が渇いて干乾びてカラカラでどうにも堪え難くて看護師を呼ぶと、夜勤の看護師はスカスカのスポンジに水を潜らせて口に含ませてくれたが、そこに水分はなく潤う筈もなく。ほんの一滴だけでも水が欲しくて堪らずに何度も呼ぶがそのスポンジを口に含ませるばかりで、元々対応の冷たい看護師だったのもあり「むしろこれは嫌がらせなのでは?」と本気で思わずにはいられなかった。
ようやく飲水許可が出たのは26日午後も過ぎてから、200ml/日と少量、たったそれだけでも紙コップ1杯の水はまるで砂漠を彷徨う遭難者にとっての潤いの様だった。
それから28日になってやっと飲水制限が解除され、29日には水以外の飲み物もOKとなった。
口を開けば「りんごジュース飲みたい」ばかりだった私は頑張って自力で院内のコンビニ迄行ったのに、この日に限ってりんごジュースは売り切れ。泣く泣く翌日迄お預け状態となってしまったが、代打で購入したグレープジュースはとても甘く極上の美味しさだった。

4月30日の朝、急遽告げられて、その日の昼より食事開始となった。
前々回の4月15日、前回の4月23日に続いて、3回目の流動食である。
その2回共に昼・夜の流動食を経たその夜に嘔吐し翌朝の食事は中止になっていて、今回もまた同じことが起こって同じことになってしまうかもしれない、という強い恐怖があり、もの凄く不安で堪らなかった。それ故、少なからずお腹は減っていた筈だが、3回目の流動食のトレーに手を付ける勇気は出なかった。
「無理して食べなくていいからね」とその日の看護師が言ってくれて、食事量の確認の時も食べれていないことには何も言わずにいてくれた。

病棟の廊下で遭遇した副担当医Fに手術のことを訊いたら、1回目と2回目の手術で合計40㎝は小腸を切ったのだと教えてくれた。
そして、この外科チームの所属は今月迄で来月からは私の担当ではなくなるのだと告げられた。
「寂しいけどそれは仕方ないよね」と言うと、Fは「(担当ではなくなるけど退院する迄)見てるよ」「自分の患者さんだったひとが再入院したら会いに行ったりしてるし、その時は会いに行くよ」と言ってくれた。
土日も働く体力おばけの副担当医Fは、傷口の消毒をしてくれてガーゼを取り替えてくれたり、話しやすくて少なくとも辛い気持ちに寄り添ってくれたやさしい医師だった。
Fをファーストネームでもう一度呼んで、退院前に改めてお礼を伝えたいと思っていたが、5月になってGWに入ってしまい会える機会はないままとなってしまったのが非常に残念でならない。


25日の夜勤明けから不在だった看護師Nが、手術が終わって数日後の日勤の日、早々に病室に現れて、「無事に手術が終わって良かった~」と私の顔を見て安心した様に言った。
看護引き継ぎで状態は知っているだろうに本当に心配してくれてたんだな、と感謝の気持ちと同時に、看護師がそんなにも心配する程の状態だったのか、と再確認することになった。

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