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オレはキューピーちゃん

オレは腹が弱い。何かとかというとキューっときて、ピーっとくる。そんなオレは、キューピーちゃん。

たとえば電車に乗る。キューっとくる。新快速とかに乗ってると次の駅まで15分もかかるから、マジでヤバイ。

だけど次の駅はオレの目的地ではない。その次がオレが降りる駅。だから、ちょっと我慢しちゃう。そしてすぐ後悔する。車内のトイレに行け?なめるな。もう、歩くこともままならないところまで来ているのだ。その場でじっとしているしか、オレには選択肢がない。

おなかイタイよー。助けて神様。助けてqppさん。でも、次の駅までまた15分。言っておくが、オレは肛門が緩いわけではない。なんならオレは、これまで数ある試練に立ち向かうたびに、肛門括約筋を鍛えてきたとも言える。今では、誰にも負けない鍛え抜かれてきた肛門括約筋を手にしたと自負している。下りってくるモノに抗うことにかんしては、卓越した技術を身につけてきたつもりだ。だから、たとえキューっときても、すぐさまピーっということにはならない。もう一度言うが、オレは肛門が緩いわけではないのだ。もし緩かったら、今頃おれは命を取られているだろう。緩いのはオレの腹、オレの腸である。

辛いものを食べる。オレは辛いものが好物だ。だけど、キューっとくる。体内に取り入れることはできても、そのあとがたいへんなのだ。家で食べたなら良い。すぐに駆け込むことができる。しかし、外食した場合は?食べ終わってすぐトイレに行くのも気が引ける。男の場合、小の場合にはだいたい2〜3分もあれば、用を足して、手を洗って、外に出てくる。5分以上の場合は、間違いなく大である。「あ、あいつウ○コしてんな。」と店員さんに思われる。バイトの奴らに陰でひそひそ笑われる。そうに決まってる。そうなると、もう二度とその店には立ち寄れなくなる。だから、店内でするわけにはいかない。

こないだも、天三のある中華料理店で蘭州ラーメンを食った。最高に美味かった。いつかnoteでも紹介しよう。しかし、そんなことを言ってる場合じゃない。会計を済ませ、外に出るや否や、キューっときたのだ。至急、近くにあった商業施設に入り、トイレを探す。そして、あった!トイレに駆け込む。ところが・・・和式しか空いていなかった。現代っ子であるオレは、和式でうまくやる自信がない。諦めるしかない。
だからと言って、オレはへこたれない。こんなことはよくあることだ。私のような手練れになると、たとえどんなにギリギリまで来ていたとしても、最初からあまり期待しないでトイレに入る。あまりに期待し過ぎると、もし期待が外れたとき、ショックのあまりその場でズボンを茶色に塗ることになる。calm down and carry on. オレは英国紳士キューピーちゃん。carry on, carry on. as if nothing really matters. オレは稀代のヴォーカリスト、フレディ・マーキュピーちゃん。何事もなかったかのように、その場を去る。

とはいえ、オレの腹は今にも限界をむかえようとしてる。もうダメだ。シンギュラリティは近い。いや、シンギュラリティが来れば、もうこんなことにも悩まずに済むのだろうか。いやいや、そんなことを考えている場合ではない。もう一度気を、いや肛門を引き締め直す。トイレ、トイレはどこだ。トイレはどこですか。

結局、駅構内のトイレが一番近いことが判明した。本当はオレは阪急の電車に乗らなければならないのだが、あいにくJRの駅の方が近い。しかし、もう一刻の猶予も許されない。平静を装いつつ改札を通り、トイレへ。

そして無事、ピーっといったわけである。カ・イ・カ・ン。

だけど、オレは予定外にJRの電車に乗ることになった。用を済ませたら「すみません、間違えました。阪急のつもりで入っちゃいました。てへへ。」などと言って改札を出るという選択肢もなかったわけではない。実際、過去にはそのような事例もある。しかし、オレはICOCAに金をチャージして使っているのだが、たぶんそれには改札出入りの時刻が記録されているはずである。そうなると、やはり出入りに5分以上の差があった場合、駅員さんに「あ、こいつウ○コするためだけに入りよったな」と感付かれてしまう。それゆえ、ここはそのままJRの旅をした方がよい。

オレには行動の自由がない。かつて本田圭佑はチームを移籍するとき、どのチームが良いか内なるリトル本田に尋ねたという。オレの内なるリトル・オレは、尋ねるとかじゃない。リトル・オレは、有無を言わせない。

リトル・オレに導かれるように、オレは梅田へ。別に梅田に来たかったわけじゃないけど、近かったし。やることもないから、とりあえず本屋へ。あ、そういえば佐川恭一が新刊『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』を出していたはずだ。ちょうどよかった。ラッキー!ありがとう、リトル・オレ。

帰って読んだ。これはすごい!毎回毎回、最低傑作を更新してくるんだよ。佐川恭一はノーベル文学賞を目指しているそうだが、むしろノーベル平和賞をあげるべきだ。佐川が生きて書いて読まれているうちは、世界は平和だ。

しかし、そんなことより、オレの内なるリトル・オレをなんとかしてくれないかな。オレは、リトル・オレをなんとかしてくれた人にノーベル賞をあげたい。これは、冗談抜きで、オレにとっての行動制限なのだ。私権制限なのだ。軟禁なのだ。オレはオレの自由を謳歌したい。しかしリトル・オレがそうはさせまいとする。

己との戦い。絶対に負けられない戦い。これまで何度も諦めかけた。歩きながら、家まであと100mまで迫りながら、人目につかない茂みを探したこともある(やらずにすんだよ(^。^))。見知らぬオフィスビルに飛び込んだこともある。外を出歩くときにはいつでも頭の中にトイレ地図を開いている。

いつでも捜しているよ どっかにトイレの場所を
向かいのホーム 路地裏の窓
こんなとこにあるはずもないのに ♪

しかし、オレはこの戦いにこれまで一度も負けたことがない。キューピーちゃんの名にかけて、オレはこれからも戦い続けるだろう。


オレは、負けないよ。




予定を変更してお送りしたことをお詫び申し上げます。内なるリトル・オレが有無を言わせなかったのです。

次回こそは、「『観光客の哲学』から考えるレビューの極意」、書きます。
お楽しみに!



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