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彼らは孤独という名の酒を飲み交わす、だけど独りで飲んでいるよりはずっといいだろう

 身体は極限まで疲れている。喉も枯れてしまった。脳だけが覚醒し続けている。

 10月7日より2泊3日で、博多を訪れた。出張ゲンロン・カフェの観覧、および史上初のゲンロン非公式ミニ総会「人文マルシェ」(通称「ぶんまる」)に参加するためだ。ぶんまるは昼の部と夜の部に分かれており、夜の部は20:30から29:00までという狂気のスケジュールが組まれていた。僕は夜が弱く、きっとすぐに眠たくなるにちがいないので、日付が変わる頃にはお暇しようと考えていた。だが、気づくとイベント終了時刻を過ぎていた。
 ホテルに帰って寝たのが30:00(=AM6:00)。翌朝はチェックアウトがあるので、9:00には起床しなければならなかった。睡眠時間は3時間を切っていた。帰りの新幹線はさすがに寝落ちするだろうと思っていたら、一睡もできなかった。
 ランナーズハイみたいなやつだろうか。そこには快楽がある。たまには快楽に任せて、脳を暴走させてみよう。

 主に夜の部のことについて書く。というのも、僕自身そこであるパフォーマンスを行うことになっていたからだ。今回の博多旅行のエネルギーは、すべてその瞬間のために捧げられた。

大阪ボブ・ディラン

 博多は親不孝通りに面する歴史あるライブハウス「Voodoo Lounge」にて夜会は行われた。僕はそこで、georg改め大阪ボブ・ディランとしてライブ演奏をすることになっていた。
 「大阪ボブ・ディラン」という名は、「東京ボブ・ディラン」という実在の人物の名前をもじったものだ(承諾は得ていない)。大阪出身なので、大阪ボブ・ディラン。多くの人はただのシャレ、冗談、あるいは悪ノリと思っていたことだろう。
 僕だって、半分は冗談のつもりで始めたのだ。だけどもう半分では、皆を驚かしてやろうという気も満々だった。やるなら本気で。そうじゃないと東ボブさんに失礼だし、敬愛するボブ・ディランを冒涜することになるし、何よりゲンロン・シラスの精神に反している。
 もう一つ、僕のやる気に火をつけていたのは「シラシー・バンド」の存在だった。今回の非公式総会のために組まれた五人組突発バンドである。リーダーはこの非公式総会の発起人でもある有力シラシーだった。
 こういうとき、僕は異常に燃える。絶対に、彼らに負けてはならない。この五人組に対して、僕は一人、ギター一本で立ち向かうのだ。
 「勝ち負けではないよ、これは親睦会なのだから」——あなたはそう言うだろうか。その通りかもしれない。しかし、いくしかないのだ。
 さらなる問題は、この非公式総会のプログラムにあった。プログラムによれば、僕は彼らよりも前に演奏することになっていた。
「むむむ」。
 つまり簡単に言えば、僕が前座で彼らがトリというわけだ。
「むむむむむー!」
 自分のなかに、明確な意志が宿るのを感じた。
 「10月8日夜、僕は圧倒的な演奏をしなければならない。そして、シラシー・バンドを完全粉砕しなければならない」。

 修行が始まった。
 まずは歌詞とコードを覚えなければならない。コードは特に問題ない。フォークソングであり、複雑なコードが使われているわけではないからだ。
 歌詞は少々問題である。ディランの詞は長い。カンペを読むか。いやいや、圧倒的なパフォーマンスを目指すのであればそれは許されない。とにかく、頭に叩き込むのだ。
 加えて、ディランは早口であり、抑揚のつけ方もリズムの取り方も超独特である。そもそもディランに関して「歌う」という表現は正しいのだろうか? 否。では語っている? 再び否。ヒップホップ? 否、否、三度否! では何なのか。

 ジャン=ジャック・ルソーは『言語起源論』で、言語・歌同源説を唱えている。つまり、人類が最初に喋った言語は、歌であったという説である。より正確には、最初の人類にとっては喋ることと歌うこととの間に区別がなかっただろうというわけである。
 このような主張が現代の人類学や言語学においてどのように評価されているのかは知らない。しかし、今回のパフォーマンスに向けてディランの歌唱を徹底研究した僕は、ルソーのその主張は完全に正しいと言い切ることができる。ディランの歌唱は、人類の最初の言葉に似ているはずだ。ディランにとっては喋ることが即歌うことなのである。
 一つの単語にはそれ特有の響きがありリズムがある。それらの単語が複数組み合わされると一つの文ができるが、そうするとまた一つの特有の響きとリズムが生まれる。そこに新たにメロディを付け加える必要はない。言葉そのものがすでにメロディを持っているからである。紙上に書かれた文字は、何と読むかは教えてくれるが、その言葉が持っている抑揚までは教えてくれない。だから、歌うためには、僕たちは太古の昔の人類に、言葉を発明した最初の人間に戻らなければならない。そのとき初めて僕たちの声は、この世界の、この宇宙の直接のアナロジーとなる。そしてそれが聴衆の原始的な情念を掻き立てるのだ。

 なんていうとりとめもないことを考えながら、練習に励んだ。正直、苦労した。浦沢直樹がゲンロンカフェに登壇した際、「ディランの曲を上手くカバーする人に出会ったことがない」ということを言っていたのを思い出した。歌おうと思っているうちは歌えない。僕が歌うのではない。僕が言葉によって歌わされるのだ。言葉に身体を委ねる。そういう感覚でやっていると何となく掴めてきた。前日の夜、僕はシメサバの巻き寿司を喰らった。
 当日はリハーサルの時間もなかった。だから、皆が昼の部を楽しんでいる間、僕はホテル近くのビッグ・エコーにこもり一時間半の一人カラオケを行うことで喉を温めた。

 そして本番。僕は「大阪ボブ・ディラン」として4曲演奏した。

  1. The Times They Are A-Changin'

  2. Blowin' In The Wind

  3. Tangled Up In Blue

  4. Like A Rolling Stone

 最初はやはり緊張した。声が震える。大学時代に軽音サークルでバンドを組んでいたのでライブ自体は初めてではないが、今回はたった一人だ。しかも、こんなに立派なライブハウスで、相手はただのサークルの内輪ではない、西から東まで日本全国から集まった一般の聴衆。なかには目の肥えた演劇出身者や文学者、あるいは世界でも指折りの思想家・批評家や限界オタクもいる(そしてそれが同一人物だったりする)。「ホームパーティ」とか言いながら、心の中では厳しい鑑識眼を光らせているに違いない。
 そして実は、ギターを人前で演奏するのは僕にとってこれが初めてだった。ボリュームの調整の仕方さえよくわかっておらず、直前にスタッフに「どうやって音を出すんですか」などと聞いたりしていた。あとはもうとにかく、歌詞が飛ばないかという不安だけが頭を満たしており、「言葉に身体を委ねる」どころではなかった。しかし、だんだんと雰囲気にも慣れて緊張が解けてくると、自分でもノってくるのを感じた。主役は言葉、ディランの言霊だ。僕の身体はそれを伝えるための媒体にすぎない。お客さんにそれは届いただろうか? ステージ上からは案外客席は暗く見えて、表情まではわからなかった。しかし、拍手と歓声だけは聞こえていて、その度にステージ上で自信をつけていった。
 ちょっと失敗したのは、歌っているときに首にかけているハーモニカホルダーがずれてきてしまったことだ。お客さんは気づかなかったかもしれないが、Tangled Up In Blueでは曲の最後にアウトロとしてハーモニカを吹くはずだったのが、これでは口がハーモニカが届かないと判断して、アウトロを省いた。ライブ演奏ではそういうハプニングがつきものだ。そしてその都度瞬時に対応しなければならない。けっこうドキドキなのだ。そのスリルが楽しめるようになったら、本当のプロなのかもしれない(いや、そんなことより、あの時ケチらずにもっとちゃんとしたハーモニカホルダーを買っておくべきだった)。 
 ハーモニカの位置を気にしながら『ブルーにこんがらがって』を歌いながら、口が乾いてきたせいで滑舌が悪くなったりして、ちょっと本当にブルーにこんがらがりながら、なんとか歌いきった。

 僕たちは皆、転がる石のような存在だ。頼りなくて、自分で意思決定しているつもりでも実際には自分がどの道を歩いているのかもわかっていない。どこにたどり着くのかわからないまま、ただ転がりつくところまで転がっていく。そういう人たちが、ゲンロン・シラスを介して、このライブハウスに寄り集まった。Like A Rolling Stoneは、このステージの最後にふさわしいように思われた。”How does it feel?”という問いかけは、観客に向けてと同時に、自分にも向けられていた。

 しかし。
 僕の目的はそれで達成されたわけではない。僕の目的、いや使命は、シラシー・バンドを完全粉砕することである。"How does it feel?"という僕の声は、楽屋に控えていた君たちにも届いていたかい? でもまだ待ってほしい。なぜなら僕のプログラムによれば、次は君たちをオーバー・キルする段取りになっているのだから。 
 ギターを置き、ピアノに向かう。georg改め大阪ボブ・ディラン、改め「大阪ビリー・ジョエル」だ。
 自作自演のアンコール曲。

5. Piano Man

”Yes, they're sharing a drink they call loneliness, but it's better than drinking alone.”

 転がる石たちは皆孤独だ。「俺はもっとビッグになれるのに」とか「環境がダメなんだ」とか言いながら、自分を慰めるために、しばし生活を忘れるために、彼らはバーへやって来る。孤独な人々が孤独という名の酒を飲み交わす。それで孤独でなくなるわけではない。けれども、それだって、独りで飲むよりはずっといいだろう。
(僕はお酒飲めないんですけどね。演奏後にコーラを奢ってくれた方、どうもありがとうございました!)

 ピアノがカーニバルを奏で、これでグランド・フィナーレ。
 目的は達成された。おつかれしたー!

 ……?

シラシー・バンド

 幕が開き、シラシー・バンドのお目見えだ。さーて、楽しませていただこうか。

 結論から言おう。シラシー・バンドはめちゃくちゃかっこよかった。オリジナル曲を含めて7曲ぐらい演奏しただろうか。誰にとっても泣きポイントがあったはずだ。突発バンドとは思えない一体感があった。今度僕も混ぜて!
 僕にとって一番印象深かったのは、CCRの”Have You Ever Seen The Rain?” (邦題『雨を見たかい?』)のカバーだ。それは東浩紀のいう「訂正」の経験だった。つまり僕は、今回のシラシー・バンドの生演奏を聴いて、「この曲はこういう意味だったのか」と初めて理解したのである。
 『雨を見たかい?』はアメリカがベトナム戦争の泥沼にはまっているときに発表された曲で、サビの部分に「雨を見たことがあるかい? 晴れた日に降る雨を」という謎めいた歌詞をもっている。「雨」とは北爆で使われたナパーム弾の暗喩だとも言われているが、真偽のほどはわからない。
 今回の演奏は、あるシラシーからのリクエストに応えたものだそうだ。その人がどのような思いでこの曲をリクエストしたのか、聞く機会を逸してしまったのではっきりしたことはわからない。しかし、もはやそれもあまり重要なことではないのかもしれない。今から書くことは、そういう経緯から演奏された曲についての、僕が勝手に作り上げた解釈である。
 僕が直感的に思ったのは、雨はナパーム弾の比喩などではなく、涙の比喩だということだ。晴れた日に流れる涙。それはどんな涙だろう。
 人は悲しいときに泣く。”Sky Is Crying” というブルースの名曲があるが、それはまさに目からこぼれ落ちる涙のことを雨に喩え、「空が泣いている」と表現している。この曲からは、実際に空がどんよりと曇り雨が降っていて、その下をめそめそ泣きながらとぼとぼ歩く陰気な男が目に浮かぶ。自分が悲しかったとき、その心情と同期するかのように空からは雨が降っていた。そんな歌だ。
 では『雨を見たかい?』の雨はどうか。この曲の中でも、目からは涙が落ちている。しかし空はというと、それとは不釣り合いに快晴だ。僕はそんなちぐはぐな光景を想像した。人は悲しいときに泣く。しかし、そういう時ふと上を見上げると、空はバカバカしいくらい晴れ渡っていたりするものだ。
 僕たちの身に降りかかる辛い経験などとはまったく無関係に、世界は回り続けている。それは、人をますます世界から置いてけぼりにされたような孤独な気持ちにさせるかもしれない。しかし同時にそのことが救いにもなりうるのではないだろうか。僕たちは所詮は転がる石。そんな石が、滑った転んだと言って泣いている。これで世界が終わるなどと喚いている。最初から転がっているくせに!
 僕が泣いている時、空もまた泣いていてくれたら僕は完全に納得するだろう。僕が死ぬ時、世界も同時に破滅するのでなければ嘘だ。銃を取り、引き金を引き、政治家を殺せば、世界の底が抜け、瓶の蓋が取れ、革命が起きる。その時、どん底にいた僕は英雄になる。これまでの世界を支配していたルールが逆転する。そうではないか? 
 しかし、残念なことに、世界はそんなことでは一ミリも打撃を受けないのだ。銃弾を放ったところで、いやナパーム弾の雨を降らせたところで、世界はこれまでと同じように、これからも淡々と回り続ける。個人的なことは政治的なことだと言う人がいる。けれども、僕は自分の涙を簡単に政治に引き渡すわけにはいかない。
 ディランが言ったようには、時代は変わらない。もし歌が時代を変えるのなら、その時にディランは歌うことをやめていただろう。そんなに簡単に真理が掴めるなら、歌は必要ないだろう。ディランが今でも歌い続けるのは、彼の歌が世界を変えないことを知っているからだ。答えは風の中に舞っている。それだけが、僕たちが知っていることである。
 僕が泣いていたって、空はニコニコ笑っていたりする。世界は決してセカイ系のようにはなっていない。世界は世界。それは僕たちとは独立に、自律的に存在している。それは不条理だが、不思議と僕たちに救いの感覚ももたらす。
 なぜだろう。
 僕は僕、世界は世界、おたがい勝手にしやがれというさっぱりした関係がそこにあるからではないか。


 ぶんまるで出会った人たちへ。最後に確認しておこう。
 僕たちは勝手に、「非公式に」集まってきただけだということ。そして勝手に帰っていったということ。僕たちは別に救いを求めに来たわけじゃなかった。

 もう一つ確認。と言ってもこれは自分用。
 そういう関係にこそ僕は救われているのだということ。勝手に、非公式に救われているのだということ。僕は誰の信者でもないということ。しかし、だからこそ、受け取った言葉については真剣に考えなければならない。さっき言ったことと矛盾するかもしれないが、自分が世界のために何ができるのかを考えなければならない。

 ぶんまる万歳! ('ω')ノ


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