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境界線を越える文化をつくる

鳥取市でNPOを経営するゲンヨウです。共有とか共同とかの概念が広がってきて、みんなで使って、みんなで管理するという流れが加速しそうです。古くて新しい考え方が始まっていますね。コモンズ、大学の時に勉強したなと。

更にコロナで動けなくなり、オンラインコミュニティが生まれ始めて、移動せずとも関係性が作れたり継続できたりする、物理的な制約のないコミュニティや共同・共有が可能になる。そんな世の中になっています。

1.日本の昔は共有や共同の概念があった

日本では共同や共有の概念は戦前もあり、暮らしの中に”みんなの場所”を設けることで、暮らしやすさを向上させていました。共同管理することで、全体の生活レベルを向上させる取り組みです。例えば共有の薪炭林であったり、採草地であったり、里山と言われるような場所では、みんなで管理し、みんなで使うというのが当たりまえに行われていました。

近代的所有権が導入され、土地に値段がつけられ取引されることと、生活のやり方が変わってきたことで、薪が不要になりみんなで管理しなくても良くなったこと、職業が多様化し、「共同管理=生活の質」にはならなくなっていくなかで「共同管理=めんどくさいもの」というカタチになってきたのかなと思います。この辺はこんど掘り下げますね。

2.個人に区切ることで、共有の概念が消えていく

人口が増えて、土地に価値があったときはすべての土地を個人に区分けして、それぞれに管理させるほうが良かったのです。頑張って活用した人はそれが利益になったり、暮らしが豊かになったりしたわけです。

しかし、人口減少・田舎においては少子高齢化になっていくことで、土地はどんどん余ります。自分たちの土地を管理することがコストになってきます。そうすると、管理作業が負担になります。

そんなときに共有スペースの管理に人手を出してよと言われても、なかなか気持ちは乗りません。それは仕方ない。さらに、個人所有に区切ったことで、「共同スペースの管理に手をあげること=損すること」みたいな概念が生まれた気がします。

「誰もやっていないのに、わざわざやらなくても良いでしょう」

やりたくない人は、やらなくても良いのですが、やろうかなと思う人にも、損になるから辞めなよってのは、どうかなと思うのです。別に損はしない。だってその場所を使いたいって思いは叶うわけだし。強制的にやらされているわけでもない。

3.共有地を3つに分割して考えてみる

私有地ー共有地(開放)ー共有地(有志限定)ー共有地(地域)ー公有地

どんどん余っていく場所を個人だけで切り分けていくのは無理なので、上記みたいな境界になっていくのではないかと考えます。共有地(開放)はスペースマーケットとかでやり取りされているものの、私的スペースの解放に近いですね。田舎だと、それの農地版だったりするのかなと。市民農園とかそういうイメージかもですね。民間サービスが入ってきそうです。

”共有地(有志限定)”はセミクローズの場所で、一定のルールとかメンバーの制約がある感じ。使う人同士が平等な関係性で心理的安全性が図れる。結果的に、尖ったこともできそう。みんなの畑でも良いし、みんなの森みたいな感じ。オンラインを活用すれば、物理的に距離の離れた人も参画できるような場所になるかもしれない。

”共有地(地域)”は集会所とか公園とか、居住に紐づいたもので、共同作業とか残っていたりするもの。生活習慣も変わってきているので、いろいろ変わってくるところかなと思いつつも。防災などの面も考えると、ここも緩やかにつながって動いていけると良いんだろうな。

公有地は行政所有の場所という感じ。ここも住民や有志に部分的に解放されてきている部分もあるので、所有と利用を分けて考えていった方がわかりやすいのかもしれないなと書きながら思いました。

4.他の場面でも同じことが起きている

複業人材、長期実践型インターンシップ、大学生ボランティア、弊社が扱っているプログラムも同じように、プロジェクトの境界線を越えた人材が関わるものです。少子高齢化になっていく中で、エリアを超えた、世代を超えた関係性で生み出される事例が増えてきました。

「大学生×社会人」「農村×都市」「県内企業×都市部副業人材」

現状は間にコーディネーターが入って、(1)双方にとってメリットが生まれるプロジェクトの設計(2)文化や認識の差を埋め、お互いの関係性を作る役割(3)関係性を継続させるための伴走支援を担っています。

お見合いみたいなもので、間に入る人が滑らかに関わることで、交わる事のない可能性が0→1になり、目線をあげる第三者の関わりを超えて1→10にも100にも変化します。

そういう意味でコーディネーターという仕事は現代にとっても大事ですし、そういう関わりを経験した人が増えるのは良いことです。

5.境界線を越える文化をつくる

たった数十年で、共有という概念が薄くなっていき、再度新しい形で認識され始めています。時代の変化が激しいというのはありますが、日本においては人口減少の局面が一つの引き金にはなっています。

そうなっていくと、境界線を越えた関係性でプロジェクトが動いていくことが、当たり前になっていく。文化になっていくと思います。コーディネーターなんか必要がなくなって、お互いに話をするなかで生み出したり、コーディネーターの役割ですら、勝手に集まって生まれていく、誰かが担っていく。そんな未来になるように、僕らは事例を生みながら、エッセンスを伝えていくことが必要であると再認識しました。

今日はここまで。

今日のおまけの話は、糖質制限をちょっとやっていたけど、一旦辞めている話です。

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