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【壺の買取/福岡県・骨董品】

壺(花瓶)買取/骨董品・福岡県|福岡市城南区にて中国の壷や李朝の花瓶など多数買取させて頂きました。ありがとうございました。中には青磁や白磁の古い物もあり高価買取させて頂きました。その一つに古い茶壷があります。銘はありませんでしたがこのようなフィリピンのルソン経由でもたらされたものを呂宋(るそん)と呼んでおり、茶壷の中でも重要視されているすです。さらに呂宋壺の中で文字や紋様のないものが真壺(まつぼ)となります。なお茶道具の中ではこの呂宋壺は「島物」に分類されるようこうした立派な壺は鑑賞の対象であり、室町時代には茶道具の中で最も重要視されていました。足利義教は茶壺に「注連の縄」という銘を付けていたが、これは茶道具に銘が付けられた例としては最初期のものと言えます。しかし小間の茶の湯が盛んになるにつれて次第にその座を茶入に奪われていきました。
また茶の湯の拡大に伴って需要が増えると備前焼や信楽焼で倣製品が作られるようになり、江戸時代には野々村仁清が室礼専用の色絵金彩の茶壺を制作しています。
現在人気のある茶壷は唐物ですが唐物の定義は次のようにあります…唐物茶壺は中国南部を中心に広く焼造された四耳壺で、香辛料などの貯蔵容器として用いられ、一一世紀後半には生産されていたと考えられている。喫茶の伝来とともに一三世紀代にはわが国に将来され、その機能性より葉茶壺【はちゃつぼ】として用いられたと推測されるが、記録では『師守記【もろもりき】』の興国元年・暦応三年(一三四〇)正月三日に記された「引出物茶壺」が初現とされ、また水戸徳川家に伝来する唐物茶壺・銘弾正の底部には「貞和二」(一三四六年)の墨書があり、これらの資料より一四世紀前半には確実にわが国に将来され、葉茶壺として用いられていたことが知られる。室町時代には瀬戸窯、信楽窯、丹波窯、備前窯などでも唐物茶壺を模した四耳壺が焼造され始め、しだいに盛行していったことが知られる。また『満済准后【まんさいじゅごう】日記』の永享六年(一四三四)二月四日には「葉茶壺九重ト号名物」という記述があり、すでに銘が与えられて、各種の茶道具の中でも最も早く名物と称されていたことが知られる。…ということです。専門書より抜粋いたしました。
なお「茶心壷」(ちゃしんこ)は、茶葉を入れる容器です。茶道では茶入と呼びますが、煎茶道では、茶心壷のほか、「茶壺」(ちゃこ)「葉茶器」(はちゃき)「茶貯」(ちゃちょ)「建城」(けんじょう)などと呼びます。また、中国茶の世界では、茶壺と言えば急須のことです。素材は錫(すず)や陶磁器が多く、木製やガラスなどもあります。文人趣味の世界においては、古びて風格のある古錫の茶心壺は珍重されています。
骨董品買取の福岡玄燈舎では壺や花瓶など買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。

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