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アンテナもセンスもないのに気づけば沖まで流されていた…野宮真貴×燃え殻 #5 大人になる方法

ピチカート・ファイヴのボーカリストとして、「渋谷系」ムーブメントを巻き起こした野宮真貴さん。現在は文筆家としても活躍しており、『赤い口紅があればいい』『おしゃれはほどほどでいい』などの著作があります。『大人になる方法』は、そんな彼女が下積み時代を赤裸々に語った対談集。お相手は、小説家・エッセイストの燃え殻さんと、クレイジーケンバンドの横山剣さんです。その中から、燃え殻さんとの対話を抜粋してお届けします。

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母を喜ばせるために……

野宮 燃え殻さんは、会社員をしながら、どうして小説を書こうと思ったの?

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燃え殻 小説家の樋口毅宏さんが友達で、三軒茶屋で飲んでいたら、いい感じで酔っ払った樋口さんが、「お前も小説を書け」と言うんです。「書けません」と断ったら「書かなかったら絶交だからな」と言われて。

僕は樋口さんの小説がすごく好きだから、樋口さんに絶交されないために「じゃあ書きます」と返事しました。

野宮 それまではどこかで書いていたの? ツイッターとか?

燃え殻 ツイッターに愚痴みたいなことを書いていたら、「ケイクス」から連載の話がきて。それをいろいろな人に読んでいただいて、その連載をベースに小説として新潮社から出版しましょうということになって。

野宮さんと真逆で、自分はきっと何もできないと思っていたんです。アンテナもセンスも凡庸だから。自分ではピチカート・ファイヴもスタジオ・ボイスも発見できなかったし。それでもなんとなく流されて、樋口さんから「小説を書け」と言われるということは、ずいぶん沖まで流れていたんだなと思って。

同じ頃、母親の癌が発覚したことも小説に熱が入った大きな理由です。母は、僕に公務員になって安定してほしかった人なんです。

野宮 私も言われました。「歌手なんて安定してないから」って。

燃え殻 僕はその真逆を楽しく生きていたんですけど、母親はずっと心配していて、僕が30代になってもまだ「公務員になってほしかった」って言うんですよ。その母を喜ばせるためにも、小説を出したい、売れたいと思って、人生ではじめて頑張りました。

母は朝日新聞の「折々のことば」が好きで、僕に「切り抜いてファイルしろ」っていう人だったんです。それを僕はずっとサボってて。それがこの前、「折々のことば」に、僕の小説の一文が選ばれたんです。僕はファイリングをサボっていたのに。

悲観的になるなんて贅沢だと思っていた

野宮 お母様、喜んだでしょう?

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燃え殻 すごく喜んで、ファイルしてくれました。僕にとってはそれが、小説が売れるよりも嬉しかった。

野宮 自慢の息子ですよ。

燃え殻 野宮さんは、下積み時代に年齢で区切る考え方はしてました?

野宮 していなかったですね。歌が好きだったし、音楽の世界が何よりも楽しかったから、「絶対にこのままでは終わらない」って思うことができたんですよね。デビュー当時は全然お金がなかったけど、似たような音楽仲間も周りにいたし、お金がないなりに楽しんでいました。

そういえば、事務所のある表参道まで9万円のお給料をもらいに行くのに、最後のお金で買った切符をホームに落としてしまって、駅員さんに事情を話して改札を通してもらったこともありました(笑)。

燃え殻 ギリギリですねえ! そういえばあの頃の僕も野宮さんのように、悲観的じゃなかった。

僕が今の会社にアルバイトで入った頃、1年くらい赤字経営だったんです。お客さんも舐めているから、ギャラが今川焼きなんですよ。普通だったら「やばいな」と思って身の振り方を考えるところを、800円の時給が790円になってもどうにかなると思ってたんです。

さすがに「幸せだな」とは思わないんですけど、次の手を考えることに必死で、悲観的になったり落ち込む時間もなかった。悲観的になるなんて贅沢だなって思ってた。

でも、きっとこれもいつか思い出やネタになると思っていました。正直言うと、今のほうが不安です。あのときの自分には何もなかったから怖くなかったんだと思います。

野宮 若さってそうですよね。

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