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大河の一滴 │ 五木寛之

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どんなに前向きに生きようとも、誰しもふとした折に、心が萎えることがある。だが本来、人間の一生とは、苦しみと絶望の連続である。そう“覚悟”するところからすべては開けるのだ――。究極… もっと読む
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大河の一滴としての自分を見つめて

濁世(じょくせ)には濁世の生き方がある————。コロナ禍で再注目された累計320 万部超の大…

「地獄は一定(いちじょう)」と思いたい

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人は死んだらどこへいくのか

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少年のころ大同江(テドンガン)のほとりで感じたこと

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小さな人間像への共感

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なにも期待しないという覚悟で生きる

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ブッダは究極のマイナス思考から出発した

濁世(じょくせ)には濁世の生き方がある————。コロナ禍で再注目された累計320 万部超の大ロングセラー『大河の一滴』(五木寛之、1998年刊)から試し読みをお届けします。 * * * 毎日の暮らしのなかで、あまりにも人を無視した乱暴な扱いを受けることがある。なんてひどい連中だ、と腹から怒りがこみあげてくることもある。以前、共産党の独裁下の旧ソ連を旅していると、一日に何度となくそういう目にあったものだ。官僚たちだけでなく、ごく一般の庶民の端々にまで小権力をふりまわすいやな

人生は苦しみと絶望の連続である

濁世(じょくせ)には濁世の生き方がある————。コロナ禍で再注目された累計320 万部超の大…

なぜかふと心が萎(な)える日に

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