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見てくれの競争


自分探しとは何なのか。時々わからなくなる。自分の本当のやりたいことや、なりたい自分、最近はこういった自分のありたい姿を強要されることが多い。そして時々こう考える。

今いる場所では自分を探しても見つからない。だから他の場所にいけば本当の自分がそこにいるのかなと。冒険すればイイものなのかなと。わからない。逆に本当の自分なんてきっと見つからないのかも。

ただ家入さんがいうように、

「"本当の自分"なんて幻想で、あるのは自分という人間の生きてきた時間と状況の変化の積み重ねだけ。」

これだけなのかもしれない。 多分正解はない。

最近インスタグラムを見ると心の中で、
言語化できないモヤモヤを感じる。
インスタグラムってユーザーのほとんどが、キラキラした姿や充実してそうなストーリーを前面に打ち出してくるから。少し気持ちが悪い。

かく言うじぶんも、旅行先でインスタグラムのために撮った写真を何枚もあげてきた。
それが自分のプロフィールのような扱いになると思ってたから。

撮る時にこの景色はきっとイイネと思われるだろう。若干色合いが見にくいかな。そろそろ写真を更新しないと、あげないと何もしてない人って思われるかもな。ストーリーの足跡は誰に見られているだろう。そんなことを考えていた。
そんな時ふと感じたのは

自分はいつ自分の時間を生きているのだろうか?

この間祖父の家に遊びに行った時に撮った紅葉の動画があった。恥ずかしながら何度も撮り直して厳選した動画をインスタグラムにあげたものだ。思い返せば、あの時間もっと彼らと話す時間を作れたんじゃないかな。

でもきっと潜在意識の中で、どのような人物として認識してほしいという誰かへの承認を求めてそれをポストした。それは作られた華やかさでしかないのに。

インスタグラムの使う目的はきっと人によって違う。誰かのためになる情報を伝えたい。という意識を持って使い続ける人もいるし、
自分を見てほしいという気持ちをもって使う人もいる。私見だけど、寧ろ後者の方は本当に多い。
でもこの、"見てくれの競争"には、無意識に参加していたことに最近ようやく気づけた。

自分探しをして自分が見つかるのかは定かではないけど、自分のための時間をつくって行きたい。だからインスタグラムは暫く使わずにいくことにしよう。
そして誰かのためになることを提供していこう。

#sns疲れ
#自己承認欲求
#他者貢献

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