見出し画像

魂に戻った大好きな伯父ちゃん、2024年の夏

最近の1番悲しい出来事は、小さい頃、夏休みに遊びに行ったお父さんの田舎で、楽しい、幸せな時間を創ってくれていた大好きなおじちゃんが1人亡くなった事。
人間、生きている限り『死』というものは免れないのだけれど…。魂は死なない、魂の世界は自由で幸福に満ち溢れている、今、大好きな伯父ちゃんは、世の中のしがらみや、身体の痛みから解放されて、自由に、幸せにしているんだろうと思う。わたしは、死後の世界の解釈についてはそう感じているのだ。
いくらそう思っても、やっぱり寂しさは、なくなるわけじゃなかったんだなぁ〜って。おじちゃんの身体にさよならを言いに行った時に感じた。
こんなに、寂しいんだなぁ〜って。
最近、涙が溢れて止まらないなんて事、ほとんどなかったのに。
あの、小学生の頃に過ごした田舎の最幸に楽しかった時間が、頭の中にぐるぐるして、もう戻って来ない時間に想いを寄せていた。
子育てをするようになってから、あの頃の時間を創ってくれていた親戚のおじちゃんやおばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんに心の底から感謝出来るようになった。
お父さんは7人兄弟だったから、従姉妹もたくさんいて、それはもう、賑やかで楽しかった。
本当に幸せだった。川で釣りしたり、山へ行ったり…自然の中で遊ぶ楽しみを知ったあの時間があったおかげで、わたしは北海道という大自然の中で子育てをする『今』の時間があるのだ。
そして、本当に自分そのままでいられる、家族や親戚と過ごす時間の大切さを思う存分に味わったおかげで、子供達にも、この幸せな時間を創ってあげたいって思えているんだから。
感謝しかない。
大好きなおじちゃんとの別れは、それはそれは悲しかったけど、おじちゃんとお別れするために集まった親戚や家族と少しでも一緒に過ごせた時間は、おじちゃんからの贈り物なんじゃないかと思った。
お父さんやお母さん、姉、弟、妹、大好きな従姉妹や、おじちゃん、おばちゃんに、たくさん感謝の氣持ちを伝える事も出来た。
本当に素晴らしい時間をありがとう。
大きな悲しみと共に大きな幸せをもらった、そんな時間だった。

わたしがもし、人生の最後に、神様が一度だけ好きな時間に戻らせてくれると言ったら、間違いなく私は、あのお父さんの田舎で過ごした最幸に楽しい、幸せな時間を選択するだろう。

最後まで自分らしく生きたおじちゃんの姿を見て、自分らしく生きる事、それから今という奇跡の時間を思い切り楽しむという事を改めて感じさせてもらえた。
わたしは、この氣持ちをいろんな所に残す事によって、魂の世界にいるおじちゃんに届いてくれるんじゃないかと、そんな風に感じている。

おじちゃん、たくさんの愛をありがとう!いつまでも大好きだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?