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エッセイ「西沢渓谷」

   コロナ禍が始まる前、友人たちとあちこち旅をしていた頃のことが、懐かしく思い起こされる。
  コロナは依然として油断はできないが、そろそろ近場なら出かけてもよいだろうか。そんな候補地として、以前訪れた西沢渓谷には、ぜひまた行ってみたいと思っている。
  これは五年前、紅葉狩りに出かけた際に書いたエッセイである。

  

   横浜線はこの時間、東神奈川が始発になる。朝六時四九分、電車は予定どおり、終点の八王子に向けて動きだした。
   もちろん、車内はがらがらだ。日曜日の早朝から、下り電車に乗る人間はそう多くはない。きっとこのまま終点まで、車輪の音を聞きながら、ゆったりと車窓を眺めることができるだろう。
    ところが、新横浜を過ぎた辺りから車内が混み始めた。家族づれやお年寄りのグループが、リュックを背負って乗り込んでくる。若いカップルもいる。背広を着込んだサラリーマンまで乗ってきた。なんということか。昔の横浜線では考えられないことだ。

    私は高校時代、横浜線を通学に使っていた。国鉄がJRに替わるはるか以前、今から半世紀も前のことだ。鴨居駅から八王子を経由して中央線の国立駅まで、片道一時間半はかかっただろう。毎日がちょっとした旅行気分である。
   当時は、今のような新型車両ではなく、古ぼけたこげ茶色の車両だった。真ん中につかまり棒がある。きっと、山手線や京浜東北線で役目を終えたあとの、お古だったに違いない。ガタガタとよく揺れた。スピードも今のように速くはない。途中からはまだ単線で、快速電車などもちろんなかった時代だ。
    当時、車窓から見えるものといえば、延々と続く畑と雑木林だった。のどかな田園風景というと聞こえはいいが、要は、昔の横浜の田舎の風景そのものだったと言ってよい。その頃は、駅周辺にこそ住宅が建ち並んでいたが、町田を過ぎてからはそれもまばらになった。相模原を越すと、狸でも出そうな鬱蒼とした森が、車窓に迫ってくる印象がいまだに記憶に残っている。

    横浜線は一九〇八年(明治四一年)に横浜鉄道という名前で開業したというから、歴史は古い。八王子や甲信地方で生産された生糸を運んでいたそうだ。
    一九六四年に東海道新幹線が開業し、新横浜駅が誕生したあと、六〇年台の後半から、沿線の宅地開発や大学設置などが進んで、乗客が増え始めたらしい。私が通学で利用していたのは、ちょうどその頃だった。
    そういえば、有名なアニメーション映画の中で、ニュータウン開発のために生息地から締め出されそうになった狸たちが、必死の抵抗を試みた舞台が、この沿線の近くにある。

    ちなみに、JR東日本が公表している二〇一五年度の区間別輸送密度(一日、一キロメートルあたりの利用者数)のデータによると、横浜線は首都圏エリアの中でも上位八位に入るというから、今では、相当な混雑路線となっていることがわかる。
    横浜線はまさに、横浜の発展の歴史を物語る象徴的な路線だといえるのかもしれない。

 その朝私は、町田駅で友人たちと待ち合わせていた。そこで同じ車両に乗るようにと、スマートフォンで連絡を取り合っていたのだ。私はわかりやすいように、先頭車両の中ほどに座って友人たちを待った。
    町田駅に到着する頃には、車内はまるで朝の通勤列車並みの混雑になっていた。
    私はどっと乗り込んでくる乗客の中に友人たちの顔を探したが、見つからなかった。そのまま電車が動き始め、きっと他の車両に乗っているのだろうと、探すのを諦めかけた時、人ごみの向こうに、つり革につかまってこっちを見ている友人の笑顔を見つけた。どうやらこれで、はぐれずにすんだと、ほっと胸を撫でおろす。
    友人たちはみな、現役時代からの仲間だった。この一月ほど前、久しぶりに会った時に、どこか近場で紅葉狩りをしようという話になった。それなら、そろそろ見頃を迎える西沢渓谷がいいだろうと、若い頃よく山に登っていたM君の提案で、さっそくみんなで出かけることにしたのだった。その後、残念なことに一人が体調を崩したため、結局、男二人、女一人の三人になった。

    友人たちの顔を見てほっとしたせいか、急に眠気が襲ってきた。夕べは浅い睡眠だったのだ。まるで遠足の前夜に興奮して眠れない子供のようだと、我ながら呆れる。

    心地よいうたた寝もつかの間、電車はほどなく八王子駅に到着した。駅名を告げるいつもの車内放送のあとに、英語でJH32という番号が聞こえてきた。最近、一部の鉄道やバスで導入され始めた駅ナンバリングだった。現地の言葉に疎い外国人などが識別しやすくするために、世界的に普及している英字(ラテン文字)やアラビア数字等を組み合わせて、駅に番号を付ける制度だ。
    この放送を聞いて私は、横浜線はもはやローカル線ではないのだと、改めて実感した。

    八王子駅から山梨市駅までは、中央本線に乗り換えて「特急あずさ三号」で行く。番号こそ一つ多いが、「特急あずさ」という名前を聞くと、昔流行った歌謡曲を思い出す。
    横浜線といい、あずさといい、この日はよく昔のことを思い出す。古き良き時代を懐かしむ老境に足を突っ込むには、まだ早い。

    山梨市駅から西沢渓谷入口までは、路線バスで一時間ほどだ。駅に降りた途端、乗客が一斉に駆け出した。乗り継ぎ電車でもあるのかと思ったが、それは路線バスのためだった。バス停にはあっという間に長い行列ができた。
    その日、快晴の日差しは夏の暑さを思い出させていたが、行楽客はみな、秋の紅葉をめざしてきたのだ。横浜線の混雑を考えれば、ここでの路線バスの混み具合も容易に想像できたはずだ。悔やんでも後の祭り。案の定、バスはすぐに満席になった。乗客たちはみな同じ場所まで行くのだろう。終点まで立ちっぱなしに違いない。友人たちと顔を見合わせ、苦笑いをする。
    途中、車窓から、甲府の山々の背後に、すっぽりと雪を被った富士山が見えた。真っ青な空に、白い頂がまぶしく光っている。来てよかった。そう思うと、立っていることが少しも苦にならなかった。

    バスは、路線バスの割には飛ばしている。やがて細い山道を登り始めると、眼下の甲府盆地の街並みがしだいに小さくなっていった。
    走り始めて四〇分、かなり高いところまで上ってきている。そろそろ紅葉が見え始めてもよさそうなものだが、どういうわけか、周りの木々はいっこうに赤くならなかった。行けども行けども、深い緑が続くばかりだった。
    どうやらこのぶんだと、西沢渓谷の紅葉もまだほど遠いかもしれないな、と思った時だった。

「あちこち行ったけど、どこもちょっとずれるんだよな」

 と、車窓を眺めながら、隣でM君がため息をついた。
    M君とはこれまでも、高尾山の紅葉や尾瀬の水芭蕉を目当てに、時期を見計らっては、二人で出かけていた。退職後、思いがけず大病を患った私を励まそうと、彼が企画してくれたのだった。ところが、高尾山の紅葉はピークにはまだ少し早く、尾瀬ヶ原の水芭蕉はすでに見頃を過ぎてしまっていた。      M君はそのたびにたいそう残念がった。せっかく私を喜ばせようと企画してくれた彼の悔しさが、痛いほど伝わってきた。
    今回もこれまでの二の舞を演じることになるのかもしれない。彼のため息からは、深い落胆の気配が漂ってきた。私は彼に、ひどく申し訳ないことをしたような気分になった。

     終点の一つ手前のバス停で降りて、近くの道の駅でお弁当を買うというM君のプランに従って、その日はみな昼食を用意してこなかった。
    バスを降りると、ひんやりとした風が心地よい。空は朝からずっと抜けるような青空だった。その日は、全国的に一日中快晴が続くという、めずらしい予報が出ていた。この天気なら予報が外れる心配はないだろう。現役時代は雨男の汚名を拭い去ることができなかった私だが、退職してからは、行楽のたびに好天に恵まれている。どうやら紅葉には早すぎたようだが、この青空だけでも十分だった。

    道の駅には、みやげ物や地元の特産品が並んでいた。なかでも、名物のよもぎ餅が目に留まった。ここで買うと荷物にはなるが、この先どこで買えるかわからないので、二パック買ってリュックに詰め込んだ。それから、お弁当を探したが、どこにも見当たらない。うろうろと店の中を歩き回っていると、M君が、

「ごめん、ここではお弁当を売っていないんだって。困った、当てが外れた」

    と、いかにもすまなそうに言った。すると、一緒にいたYさんが、

「それじゃ、ここで何か食べていきましょう」

 と落ち着いた声で言った。
   Yさんは以前、M君と同じ職場で働いていた。彼女はいつも冷静に物事を判断するので、我々より年下だが頼りがいがある。今回の企画でも、何かとM君の相談に乗っていたようだ。

「そうだね。ちょっと早いけど、お蕎麦でも食べていこうか」

 と、私も同意する。

「ハイキングの楽しみが減ってしまったなあ。渓流で食べるお弁当が楽しみだったんだけど」

 M君は、気落ちした表情で言った。     レストランは売店の横と、隣の建物にもう一軒あった。ひょっとして弁当はないかと期待しながら隣の建物に入ったが、置いていなかった。そのかわり、ご当地名物「もちもちカレーパン」という宣伝が目に入った。レジの横に、ちょうど三つ残っていた。弁当の代わりにはならないが、腹の足しにはなるだろう。さっそく買ってから、もう一軒のレストランに行ってみる。

   あった!

   なんとカウンターに、二個入りのおにぎりパックが並んでいるではないか。三人で小さな歓声を上げた。M君のほっとした顔が、なんとも微笑ましかった。

    西沢渓谷は、笛吹川が巨大な花崗岩を侵食してできた渓谷だ。ハイキングコースにしては難所が多いと聞いていたが、登り始めはなだらかな遊歩道が続いている。
    木々の葉は色づく前の輝きを誇るかのように、まぶしいほど黄緑色に光っている。木漏れ日が照らす道は明るく、まるで初夏のようだ。空気が澄んでいる。思わず深呼吸。

    案内パンフレットによると、ここは全国でも有数の森林セラピーの名所なのだそうだ。

「森の中に入ると、木々の緑や土のにおい、空気などによって人は自然とリラックスすることができます」

 と、パンフレットの文面にある。まさにそうだ。森の恵みは木材やキノコだけではない。目に見えないにおいや新鮮な空気が、心と体を癒してくれる。森は五感で楽しむことができる、贅沢な空間なのだ。

 しかし、日本の森林は今、危機に瀕していると言われている。後継者不足や外国産の安い木材に押されて、経済的に成り立たないため、手入れが行き届かなくなったからだ。人の手が入らない荒廃した森は、暗く、不気味だ。そんな森では、森林浴はできない。
    あるのが当たり前のように思っている森は、じつは、多くの人々の努力の結晶としてそこにあるのだ。
    森林セラピーという新しい取り組みが、日本の森林再生の切り札にならないだろうか。森を抜けてくる心地よい風を楽しみながら、私はそんなことを考えていた。

   それまでなだらかだった遊歩道は、しだいに道幅が狭くなり、徐々に傾斜が増してきた。やがて前方に、木々の間から小さなつり橋が見えてきた。人一人がようやくすれ違えるほどの狭い橋だった。両脇には、手すり代わりに金網が張ってある。橋を吊っているワイヤーは、頼りないほどに細く、歩くたびによく揺れた。高さは三〇メートルもあるだろうか、下を見ると笛吹川の清流が静かに流れていた。ようやく渓谷に来たという実感が湧いてくる。 

    つり橋を渡ると、急に道が狭くなった。ガイドマップによると、ここから先に九つもの滝が待っているそうだ。     さっそく一つ目の滝が、遠方に白く浮かび上がってきた。「大久保の滝」である。わずかに赤く色づき始めた周りの木々が、日の光に照らされてまぶしく輝き、谷あいに深い影を作っている。大久保の滝はその影の中を、一筋の青白い糸のようにひっそりと落ちていた。遠目には小さく見えるが、落差は、三〇メートルはあるらしい。西沢渓谷で初めて出会った滝に、ほのかな親しみが湧いてくる。
    そこを過ぎると、急な階段が待っていた。そこからは、ハイキングがトレッキングに変わった。木造の階段を鎖の手すりにつかまりながら、一段一段、踏みしめて登る。前方でお年寄りのグループが、休み休み、ゆっくりと登っていた。

「今週で正解だったね。紅葉のピークだったら、混んで歩けなかったかも」 

 先頭を歩いていたM君が、上を見上げながら言った。前を行くYさんも頷いている。
    たしかに紅葉にはまだ少し早かったが、すでに私は満足していた。まるで新緑の頃のような明るい緑の中で、ところどころ赤く染まった紅葉が、快晴の真っ青な空に映えている。透き通った渓流の青さが、淡い紅葉の赤を引き立てていた。それらを見るだけで、もう十分だったのだ。

    階段を登り切った所から、渓流沿いにアップダウンの道が続いていた。濡れた岩で足を滑らさないように慎重に歩く。この辺りまで来ると、谷は一段と深くなった。 
    わずかに青みを帯びた透明な水は、ある所では清らかなせせらぎとなり、またある所では、純白の水しぶきを上げながら、いくつもの滝となって流れ落ちている。


三重の滝


    なかでも「三重の滝」は、白い巨岩と水しぶきが織り成す豪壮な滝だった。まるで斧で割ったように、鋭くえぐられた花崗岩の深い切れ目を、水が勢いよく流れ下る。三重の名のとおり三段に分かれた滝は、水しぶきの間の深い淵に、澄み切った淡い緑の水を湛えていた。静と動が互いを主張して譲らない、どこか荘厳な雰囲気の漂う滝だった。

 

竜神の滝

   
    その先にある「竜神の滝」は、三重の滝とは対照的に、親しみやすい優美さを感じさせた。竜神の荒々しいイメージとは裏腹に、二つの滝つぼをつなぐ水の流れは穏やかだ。ここでも透き通った緑の水が二つの淵を満たしている。
    それにしてもなぜここが、竜神の滝と名づけられたのだろうか。そう思って深い緑色の滝つぼを見つめていると、ふと引き込まれそうな感覚を覚えた。もしかしたら、滝つぼの底には、本当に水の神が潜んでいるのかもしれない。そんなつかの間の空想も楽しいものだった。

    渓流の岩場に腰掛けて食べるおにぎりの味は、格別だった。見上げる空は、青く澄み切ったままだ。せせらぎの水音が、なぜか食欲をそそる。空気がうまいと食べ物までうまくなる。
    谷が開け、流れが穏やかになった川辺は、思い思いに岩に腰掛け、弁当を広げる行楽客で賑わっていた。おそらくみな、紅葉を期待して来たのだろうが、落胆した様子はない。だれもが秋の日差しを浴びて、新鮮な空気を満喫しながら、渓流で味わう昼食に心から満足しているようだった。これが森林セラピーの効果なのだろう。豊かな自然の懐に抱かれて、心と体が癒されていく。
    おにぎりを頬張りながら、M君が、

「やっぱり渓流で食べる弁当が最高だね。まだ中学生だったころ、親戚に連れられて、よくハイキングに行ったんだけど、川原でバーベキューなんかやってね。周りで羨ましそうに人が見て行くんだ。それ以来だな、山歩きが好きになったのは」

 と、昔を懐かしんだ。当時としては、ずいぶんハイカラなハイキングだったに違いない。

     さて、もうひとがんばり。この先には、「日本の滝百選」に選ばれたという西沢渓谷最大の滝が待っている。同時に、その手前に立ちはだかる急勾配の山道が、渓谷最大の難所でもあった。鎖につかまりながら岩場を一〇分ほど登っただろうか、目の前に優美な滝が姿を現した。その名のとおり、七つの滝つぼと五つの滝が連なる「七つ釜五段の滝」だ。


七つ釜五段の滝

      この滝は、ちょうど「三重の滝」と「竜神の滝」を合わせたような、豪壮さと優美さを兼ね備えていた。五つの滝を合わせた落差はおよそ三〇メートルというから、一つひとつはそれほど大きくはないが、滝つぼの色や形も、滝の高さや水の勢いも一つとして同じものはない。適度な距離と段差を保ちながら流れ下る姿は、全体を一本の滝として見るべき絶妙な調和を生んでいる。どこから眺めても魅了される、じつに印象的な滝だった。

    帰りの山道は、それまでの険しい道から一転して、なだらかな下り坂が緩やかなカーブを描きながら続いていた。道は昔のトロッコの軌道跡に作られている。トロッコは今から五〇年ほど前まで、一帯の木材を搬出するのに使われていたのだという。

    途中、お目当ての展望台に着くと、M君はベンチに腰掛けながら、朝、道の駅で買ってきたワインを開けた。地元甲州産の赤ワインだった。それを見たYさんが、リュックの中から、この日のために用意してくれたフルーツやチーズの盛り合わせを取りだす。私も、おみやげに買ったよもぎ餅をベンチに並べた。
    ワインを紙コップにそそぎ、みんなで乾杯。

「今日はこれが楽しみで、ここまで来たんだよ」

 と、M君がいかにも満足そうな笑みを浮かべた。

「うまいなあ!」

 と言いながら、つまみのチーズに手を伸ばす。
    たしかに、うまい。山の上で飲むワインは、どんな高級レストランで出されるワインよりもうまかった。一本のワインボトルは、見る見るうちに空になっていく。

「前に来た時は、シャンパンだったんだ。ビールはだれでも持ってくるけど、こういう所でワインを飲む人は滅多にいないだろう」

 と、M君がいかにも得意そうに言った。
    その時、後から来た年配の集団が、ものめずらしそうな顔をしながら、がやがやとベンチの横を通り過ぎていった。 
    雲ひとつない水色の空の下には、傾きかけた秋の柔かな日差しを浴びて、うっすらと赤みを帯びた鶏冠山が、ゆるやかな稜線を描いていた。耳を澄ますと、遠くから小鳥のさえずりが聞こえてくる。早くもワインでほのかにほてった頬を、ひとしきり冷たい風が撫でていった。まさに五感で味わう、贅沢な森のひと時だった。

「もう、休憩はしないよ」

    と言って、M君は足を速めた。トロッコ道は、所々で道幅が狭くなった。すぐ足元には、急な崖が迫ってくる。もしここで足を滑らせたら、はるか下を流れる渓流まで、一気に滑り落ちるに違いない。そう思うと、ぞっとした。
    実際に落ちた人もいるらしい。数箇所で、「○○ころばし」と書かれた標識を見つけた。○○には、馬やトロッコと一緒に転がり落ちた人の名前が記されている。単に転落注意と書かれるよりも、リアルで説得力があり、ユーモアたっぷりの標識だった。

    ワインが効いてきたせいか、M君の足はますます速くなった。

「Mころばし」になったら大変だよ、と私が声を掛けると、Yさんが声をあげて笑った。
    すでにM君とは、二〇メートル以上も離れている。なんとか追いつこうと二人で歩を早める。

「三人ころばしになっちゃいそうだね」

 と私が言うと、Yさんがまた笑った。
    すると、何を思ったのか、M君は全力で駆け出したのだった。距離はどんどん離れていく。いったいどうしたというのか。帰りのバスの時間でも気にしているのだろうか。
    そう思った時だった。はるか前方を走っていたM君の姿が、突然消えてしまった。ちょうど緩やかな下り坂が大きく左に曲がっている辺りだった。

    まさか!

 二人は慌てて走り出す。 
   ようやくそこまでたどり着くと、M君が帰り道とは反対方向に、林の中で藪を掻き分けながら、斜面を登っていく姿が見えた。
    Yさんは怪訝そうな顔つきで、その様子を見ている。

「先に行こう、きっとトイレだよ」

 私がそう言うと、Yさんも納得したようだった。
    しばらくして、M君はいかにもすっきりしたという顔で、二人に追いついた。 

「ワインを飲んだせいかな。下山するまで間に合うと思ったんだけど」

 と、照れくさそうに笑った。
    秋の陽は早足で沈んでいく。時刻はまだ三時を過ぎたばかりだが、辺りは暗くなり始めていた。林の中を冷たい風が吹き抜けていく。酔いはすっかり醒めていた。

 帰りのバスの中で、Yさんがスマートフォンのアプリを使って予約してくれた特急電車は、幸運にも横浜までの直通だった。乗り換えなしに、終点まで座って帰ることができるのは、本当にありがたい。
    帰りの電車を待つ間、駅前で見つけた足湯に、三人並んで足を投げだす。歩きどおしだった指の一本一本が、ぬるま湯の中で、大きく背伸びをするかのようだった。
    二人の友には、心から感謝の言葉を贈りたい。 

 町田駅で降りる二人を見送ると、すぐに睡魔が襲ってきた。リクライニングシートにもたれて、うとうとと心地よい揺れに身を任せていると、透き通った緑の滝が脳裏にすーっと蘇ってくる。もしかしたら滝つぼの底に潜んでいたかもれない竜神の姿を、まどろみながらあれこれと想像しているうちに、いつしか私は、緑の淵に吸い込まれるように、深い眠りの底へと沈んでいった。

 


 


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