見出し画像

息子の病と...この10年④

※奇跡のパイを口にしてからも
目に見える症状改善とはなかなかいかず
毎週受診のその度に
黄色い粉薬の量は増えていった。

息子は、高校1年生の3学期を数日通学しただけにとどまり
何とか2年生にはなれたものの
学校に行ける気配などない。

担任の先生から連絡をもらい
私は何度か高校へ足を運んだ。
「数日だけでも出て来れたら...どんなでしょうか、お母さん」

真新しいブレザーとチェックのパンツ
入学式のキラキラした息子の姿を思い出す。
3年間を無事に終え
卒業する事が当たり前だと思っていた私には
先生からの言葉を認識するまでに時間がかかった。

数日だけでも通えたら卒業の望みは
まだあるんですか!
卒業出来るんですか!
想いを堰き止められずに泣き崩れた私の姿に
担任の先生も戸惑ったことだろう。
もうこの時には
息子が高校に通う事は不可能だった。

私自身がその高校に
しがみついていた頃。
息子の1番しんどかった頃だ。

毎日昼休みに息子の様子を見に帰宅するが
一言二言話はしても
明らかに元気だった頃の息子の姿は
そこにはない。

担任の先生から呼び出されたある日
通信の高校という選択はどうかと提案された。

通信高校の存在を知ってはいても
いざ転入となると何も知らない事に気付く。
数種類の通信高校のうち
息子がここという場所にしようと決めていた。

「◯◯高校にしようと思う」
気付けば息子は自分の意思で
私にそう伝えてくれた。
すごいわぁね!伝えられるようになっとる!

そう実感出来るようになったのは
服薬を始めてから4ヶ月が経った頃だった。

食事も少しずつ食べるようになり
何よりよく眠るようになった。
大袈裟ではなく、1日の大半を眠って過ごすようになっていた。


     つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?