見出し画像

息子の病と...この10年③

 朝目覚めたら全部夢...きっとそう、夢。
何度も何度もそう思った。
でも目覚めると、布団を被ったまま食べない眠らない息子の姿がそこにある。紛れもない現実がそこにある。

 娘のお弁当と息子のお弁当...自分の分を詰めて、娘を駅まで送り届ける。
そして私も支度をして職場に向かう。
当時私は、実家に居候する身で...両親に息子の様子を伝え、時々覗いて声をかけてやってほしいと頼んで出勤していた。

 高校1年生だった息子は、しばらく学校に行けていない。もしかすると「今日は行ってみようか。」と言うかもしれない。そう思って昼休み、毎日息子の様子を見に実家に戻っていた。
でも息子の様子は相変わらずで...。
処方されて飲み始めた黄色い薬、全く効いてないわぁね!と、またしても主治医への怒りと苛立ちが湧き上がる。
朝作っておいたお弁当はやはりそのままで...一口も食べられていない。
「りゅうごろ、食べんといけんちゃ。」と声をかけるけれど、息子からの返事はない。
布団が上下するのを見て、息をしている、生きていることだけは確認出来る
なんでこんな風になってしもうたんじゃろ...なんでりゅうごろがこんな目に。

 学校に行くどころか、日常生活すら送れなくなっていた当時の息子に...私はひとつとしてまともな言葉をかける事が出来ていなかった。こうして時を経てようやく気付く。

 娘を駅まで迎えに行って、帰りにいつも2人でりゅうごろの事を話す。
娘は「何じゃったら食べるかね、りゅうごろ。ちょっと考えてみよう。それより母さん、私は母さんの方が心配よ。」そう言いながら私の顔を心配そうにのぞきこむ。
当時の記憶がところどころスッポリ抜け落ちているのは、人間の防衛反応なのだろう。辛い記憶から逃げたい私の防衛反応...なのだと思う。娘が言うには、ゲッソリして全く余裕がない私を見るのが辛かったらしい。

 何の希望も持てず、僅かな光すらその頃の私には見えなかった。正直、息子と共にこの世から消えてしまおうかと...何度も何度も思った。その記憶だけは強く残っている。私なんかより息子の方がこの何百倍も辛く苦しく...生きた心地などしていなかったのに。

 ある日娘が買い置きしてあったエンゼルパイをひとつ持って息子の部屋に行った。
あんな状態の息子の隣でもしゃもしゃ食べるつもりなのかと思っていたら...2階から娘の大きな声が耳に入る。
「食べた!母さん!りゅうごろがパイを食べたよ!」
えっ⁈今なんて⁈
娘が2階から大きな足音を立てながら降りて来る。「母さん、りゅうごろが食べたそ!ひとつ食べたんよ!」
もう一度繰り返されたその言葉に、気付けば声を出して泣いていた。

あんなに当たり前に思っていた【食べる】という行為。それは決して当たり前なんかじゃないという事をその時初めて知った気がする。
りゅうごろが食べたそのパイは...奇跡のパイだと思った。
神様ありがとうございます、と思った。

      つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?