昔から、“しっかりしている子” という代名詞をありがたく頂戴してきた。 “真面目” “大人っぽい” “放っておいても大丈夫” 確かに、そうだ。自分でもそう思う。 前から不思議に思っていたことがある。 ”我を失う”という感覚が、全く分からないのだ。 どうしたら、自我を忘れて、誰かに夢中になったり、何かに時間を超えて没入したりできるのだろう。 いつも、私の内側には2人の自分がいる。 1人は、目の前の相手としゃべっている。 その時、もう1人の私は、その状況を一点の
カメラの目が、こわい。 その目に捉えられると、まるで、銃で顔を狙われているような感覚になる。 「はい、そこに立ってくれますかね。」 艶をたたえた黒色をしていて、時折、紫や緑の光を反射する分厚いレンズ。 飛び切り特別な、愛らしい表情をしてくれ、という無言の圧を送ってくるカメラマン。 その要求を了解済みで、今かいまかと私の笑顔を待ち構える周囲の人たち。 その時、その場にいるみんなからの期待がどっと押し寄せるような気がして、昔からずっと嫌だった。 特に中学、高校の時は