見出し画像

そして、2022年の私

あと数時間で2022年が終わる。

冷静になってみると、だからと言って何があるわけでもない。
いつも通り淡々と時間が過ぎるだけのことで、2023年になった瞬間に何かが大きく変わるわけでもない。

そんな風にうそぶきつつも、やはり、年末というのはどこか気忙しさを感じてしまう。
「今年一年を振り返る」系の話題が、あちらこちらで飛び交い、私自身も、今年一年を振り返ってみたりする。

ところが意外に覚えていない。
結構、写真を撮ったなと思うし、本も読んだなとは思うけれど、去年があまりにも濃密すぎたからか、これと言って印象に残っている事もない。

今年はどんな写真を撮っただろうか、とPCの写真フォルダをのぞいてみると、嘘のように記憶は鮮明に蘇ってくる。

『これと言って印象に残っている事もない』

そう思っていたが、写真から呼び起こされた記憶は、今年どころか、私の人生を通じても、印象深い光景だった。

どうして、それを忘れてしまっていたのだろう。

加齢からくる記憶力の低下か

忘れてしまいたいくらいの苦い思い出だったのか

あるいは

所詮は、その程度の思い出でしかなかったのか

改めて今年撮った写真たちを眺めてみる。

楽しいことも

苦しいことも

悲しいことも

鮮明に思い出す。

写真は人生の栞、あるいは楔なのかもしれない。

そんなことを思ったりもする。

写真を撮るようになって10年以上経つが、今年ほど多くのスナップ写真を撮ったことはない。

実にその数9000枚。
3年前に21000枚を撮ったのが、これまでの最高枚数だけれども、この年はポートレートにはまっていたので、枚数の意味合いが違う。

数を撮ればいいというものではないことは承知しているが、GR3とそれだけの時間を共有できたことは純粋に嬉しいと思う。

淡々と過ぎたと思った2022年。

それでも写真を見ていると、撮り方も、撮るモノも微妙な変化があることに気づく。
特に意識して撮っていたわけではないけれど、撮影者の思いというのは、自ずと写真に現れてしまうのだと思った。

私のことを一番よく知っているのはGR3なのかもしれない。

2022年が終わる。

1月
終わりの始まり
2月
背伸び
3月
最後の夜
4月
散って、散って、そして、舞って
5月
眩暈
6月
そこにあの色はなく
7月
転回点
8月
銀塩披露
9月
街も私も抜殻
10月
東京
11月
GR不在 LUMIX健在
12月
帰還、見知らぬ街

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?