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揺らぎ

近所にちょっとした廃屋がある。
そこまではいかないにしても、築年数の古い家屋もいくつもある。

それらのいくつかがほぼ同時に取り壊しになった。
建て替えであったり、別の建物を建てたりと色々らしい。

私は仕事がある日は家を7時半頃に出る。
帰宅は早くて20時過ぎ。
工事は多分8時から17時か18時頃までだと思うので、私は基本的に工事業者と顔を合わせることはない。

朝出かけるときにはあった建物が、帰宅するとなくなっている。
暗いながらも感じる違和感。
見慣れた景色が消えてゆく。

昨日は土曜だったが工事をしていた。
初めて目の当たりにする解体工事。
黄色いショベルカー?がバリバリと家を削ってゆく。
そのたびに地鳴り。

右に地鳴り。
左に地鳴り。

自宅を中心にあちらこちらで景色が変わってゆく。

轟音というほどではない。
住宅地なので、きっと繊細な作業になっているのだろうと思う。
荒野の一軒家であれば、もしかすると、ものの数時間で更地に出来るのかもしれない。

今、建て替えをしようとしているうちは金持ちの家だ。
間違いなく注文住宅だし、建てるまでには相応の時間はかかったはず。
金のかかっている家はきっと頑強に出来ているだろうから、解体もそれなりに大変なのだろうと思う。

それでも無くなるとき、壊れるときというのは、あっという間だ。
家を建てようと、下見をし、設計をし、家が出来上がり、そこで数十年という時間を過ごし、良いことも悪いことも、それこそ数え切れない思い出がつまりにつまっている空間。

容赦が無いな、と思う。
建物だけじゃない。
どんなものも無くなるときは、ほんとうに唐突に突然に急激に訪れる。
深い信頼や友情、愛情で結びついていた人の絆さえも失われるときは一瞬である。

だから心が揺れ動く。
出来上がるまでに要した時間と、失われるまでに至る時間のギャップが大きければ大きいほど、その揺れはきっと大きい。

たとえ消え去ったとて、それまでに築き上げられた時間までも消えるわけではない。
形あるものはいつか滅びるし、形がないものであっても、いつかはどこかに失われてゆくか、その姿、性質が変わってゆく。

そう思えば、大したことではないのだと思う。
朝が来て夜が来て、春が来て夏が来て秋が来て冬が来るのとさして変わらない。

それでも

何かが失われるとき、壊れてゆくときの、この心の軋みは、いつも心を揺り動かす。

今の私も、やはり揺れている。

気持ちの良いものでは無い。

けれど

揺れるほどの何かがあったのだ。

それは幸せなことなのかもしれない。

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