1年ぶりの日記 あれやこれや

去年noteを始めたときに三日坊主にならないといいな~なんて
書いたけど、ダメでしたね
連休なので何か書けたらいいなと思って更新します


同世代の友人・知人に比べて「死」に触れる機会が多くあったと思う
親戚付き合いが盛んかつ近くに住む親戚が多く、最初のお葬式は中学生の時だった記憶がある
そのあとは同級生・母・祖父母・担当患者さん・同僚・昨年父も逝ってしまった
30代にしては身近に溢れているほうだと思う

親が居なくなったから喪主をして相続手続きして初盆して喪中はがき準備して1年祭の準備して
ふと我に返って思うのは、疲れたな―って気持ちと虚無的な気持ち

人それぞれ悲しみの捉え方や扱い方は違うのだと思う
私は悲しみの箱みたいなものが自分の周りに常に存在していて
意識すると故人との思い出や後悔や未練みたいなものにアクセスできる
意識しない時は何も感じないそんな扱い方をしている

時間が解決するっていうけど、
私の場合はそんなことはなくてずっと悲しい
でも悲しみは箱に入っているから、仕事もできるし談笑もできるしゲームも楽しめるしご飯も食べられるお風呂も入れる友達と遊ぶことだってできる

ひとつ困ることは自分でもコントロールできないタイミングで気分が落ちることだ
故人が行きたがってたところだな~とかこのスーパーでよく買い物していたな~とかとかそんな些細な事で切り替わる
息を吐き終わった後に体の重心が下がる感覚と似たような
灰色でじわじわしたものがお腹の辺りに居座っている

こうなった時は楽しいことをするか寝るか暗めの何かをするか自然を眺める
できるだけ人と関わらないようにする


何が書きたかったのか、、まとまりのない文章だけどよし
また書きます



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