なぜか感動~音楽編~
オギャーと、うぶ声をあげてから今にいたるまで、いろいろな音楽に触れた。
童謡にはじまり、アニメソング、歌謡曲、演歌、クラシック、ジャズ、レゲエ、ハードロック、フォーク、フォルクローレ、シャンソン、バロック、映画音楽、K-POP…今でもそのときの気分にあわせてジャンルをまたいで聴いている。
音楽も「飽き」とは無縁ではない。
「あ、この曲いいなーっ!」と感動しても、何度も聴いているうちに、最初の感動はどこへやら、気づけば何も感じなくなっている自分がいて、「あれれ?おかしいな~あんなに心揺さぶられたのに、どうしたんだろう?」と首をかしげる。
そのなかで、何回聴いても、それほど感動が薄まらない曲もある。
よほど相性が良いのか、今でも、落ち込んでいるときに聴くと力が湧いてくる曲が二つある。
一つは、
『セクシャルバイオレットNO.1』
(昭和54年 作詞/松本隆 作曲/筒美京平)
のイントロ部分である。冒頭、チャンチャン♪、チャーンチャーン♪、と軽快にはじまり、これが3回繰り返されたあたりから、急転直下、え~っ!と驚くほどシブい重低音に変わる。これが胸にビンビン響き、まるで、リング上でぶっ倒され、スリー、ツー、ワン!とレフェリーからカウントされているさなかでさえも、「よぉーしっ!やってやらーっ!」みたいなパワーがふつふつと湧いてくるような感覚になる。
YouTubeは、
「桑名正博ーセクシャルバイオレットNo,1」
が音質が良い。
もう一つは、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の挿入曲、
【青春のテーマ】
(昭和47年 作曲/大野克夫)
である。
この曲は、萩原健一演じる初代のマカロニ刑事の殉職後、颯爽と登場した大型新人、松田優作演じる《ジーパン刑事》のテーマだ。
ジーパン刑事が犯人を追いかけているとき、犯人と格闘しているときに流される。
この曲も冒頭からシビれる曲調で、まだまだ【勧善懲悪が主流だった時代】の真っ直ぐでハツラツたる息吹きを感じさせてくれる。
YouTubeのコメント欄には、
この曲を正義と呼ばずして、何を正義と呼ぶのでしょうか。
との声もあった。
私と同世代の人ならば、あの遠い日、体中に脈打っていた《正義の怒り》が涙するような懐かしさとともに、腹の底からよみがえってくるのを感じるだろう…
YouTubeの
「tp101 太陽にほえろ ジーパン刑事のテーマ」
では、ジーパン刑事の疾走する映像を観ながら【青春のテーマ】を視聴することができる。
以上が、ヘコんでいるときに自分を奮い立たせるための2曲である。
実はもう一つ、土曜の夜限定で聴くメロディーがある。ドラマ『Gメン’75』の挿入曲、
【追想】
(昭和51年 作詞/佐藤純弥 作曲/菊池俊輔)
である。
この【追想】は、土曜の夜に一週間の仕事の疲れを癒すために聴く、言わば、一週間頑張った自分へ贈る、ねぎらいの一曲。
【追想】は、『Gメン’75』を観ていた人であれば、「あ~、これね~!」と思わずつぶやいてしまうはずだ。
『Gメン’75』のオープニング曲やエンディングの【面影】ほど有名ではないが、聴いた人は、「あっ、これが一番好きかも~!」となる場合が少なくない。
この曲には、哀愁がある。ただの哀愁ではなく、【都会の哀愁】とでもいうのだろうか…だがその【都会の哀愁】は、やはりただの【都会の哀愁】ではない。それだけでは何かが足りない気がする。何が足りないのだろう…あっ、そうか、
【昭和の都会の哀愁】
これだ!
やっとシックリきた。
時代は昭和…夜の新宿。ビルの谷間を、黒いコートを羽織る四十がらみの孤独な刑事が一人、くわえタバコで歩いている….
そんな情景が浮かぶ。
YouTubeでは、
「追想 トランペット演奏」
やYouTube、
「【作業用BGM】Gmen75 プロローグBGM パート2」
が良い。《追想》はインストゥルメンタル、トランペットがよく似合う。
この三曲は私の友である。
また、最近、有線で流れていて、何十年ぶりに懐かしい思いで聴き始めたのが竹内まりやの、
【夢の続き】
(昭和62年作詞作曲/竹内まりや編曲/山下達郎)
これは、映画「ハワイアン・ドリーム」のサントラだ。日本がまだバブルの頃のものでバブルのゴージャスな時代の雰囲気が表れた曲で、どちらかというとメロディーが好きだ。
同じ竹内まりやで【駅】は昔からよく聴いていたが、【夢の続き】を聴き始めたのを機に彼女の楽曲を全部聴いてみた。
結果、胸にガーンとくる楽曲に出逢えたのだ!それが、
【純愛ラプソディー】
(平成6年作詞作曲/竹内まりや編曲/山下達郎)
とにかく【詩】が素晴らしい!
竹内まりやの詩は、奇をてらわない、平易で飾らない言葉が多いが、にもかかわらず、彼女にしか出せない《独創的な輝き》があるからスゴい!(エラそうに。。)
この【純愛ラプソディー】は“叶わぬ悲恋”を歌ったものだ。ところが、その曲調はバカンスにでもやってきて昼下がりにハンモックに揺られているかのような、なんともノンキな明るさにあふれている。
そう、そうなのだ!この見事なまでの《コントラスト》こそが、この歌の魅力なのだ!
ノーテンキなまでのポップな明るさがあるからこそ、悲恋の悲しさも深さも、より鮮明なインパクトをもって、聴く人の胸にひしひしとせまってやまないのだ!
まるで陽光があるからこそ、陰影が生じるように…
この歌の出だしは、こうはじまる…
“明るいだけが取り柄でも
私だって命がけの恋に憧れることがある”
この段階で、すでに私の胸は、なぜかザワついた。そして、次の歌詞、
“ドラマティックな出来事は
起こるはずもないくらいに平凡を生きてきた”
ここで、もうダメだった。不覚にも落涙してしまったのだ!年を取ると涙腺がゆるくなるとはこのことか…
特に泣かせるような詩ではない。淡々とした言葉。明るいメロディ。なのに、不思議にも底流に隠されている【悲哀】のようなものが伝わってきて、いや、伝わらないように表現が“抑制”されているからこそ、泣かずにはいられないのだ!
私の中で久々のヒットだ。やはり、竹内まりやは素晴らしい…
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