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自分の作品を褒めてみた

こんにちは、架空書店「鹿書房」店主、伍月鹿です。

先週からおすすめいただいた「ファントム無頼」を夢中になって読んでおりました。
戦闘機という自分にとって馴染みのないものが題材で、最初は用語を追うので精一杯でした。しかし、読んでいくうちにファントムのファンになって、次々と訪れる試練に固唾をのんでしまう魅力的な作品でした。
眉目秀麗、冷静で優秀な栗原のキャラクターが好きです。
最初は影の薄い印象だった西川や高田さんのようなサブキャラが活躍するようになっていく展開も素敵。
主従関係のある二人組が好きなので、キャプテンとナビ、指令と副官、操縦士と副パイという組み合わせの宝庫なのもツボでした。


話は変わって、今日は珍しく自分の文章を自分で褒めてみようと思います。
ここのところ二次創作ばかり書いておりましたが、自分でも納得のいく展開の話が書けました。
わたしの場合文章を書く時は、書きたいことが浮かんで、それを物語の中に組みこんだ上で文章を作っていきます。
しかし、実際に文章にしていく過程で、うまく考えているままに表現できなかったり、中途半端になってしまったりということも多々あります。

これはうまく考えた通りに書けたぞ、と自画自賛できる文章を過去作品から引っ張ってきてみたので、是非お付き合いください。

※二次創作の文章は所謂「腐向け」の内容を含みます。
苦手な方は目次から「一次創作編」に飛んでください
※note掲載にあたり一部キャラクター名を伏せる意味で修正あり

二次創作編


「鼻声のガンコナハは愛を語れない」

こちらはタイトルもお気に入り。
内容そのままのタイトルではあるのですが(登場人物の一人がガンコナハです)
「愛を語る妖精」であるガンコナハをタイトルに持ってくるのに相応しいものが書けた、という自分へのご褒美でもあります。

「僕にもちょうだい」
 突然、そんな声が飛び込んできた。
 さきほどまで無人だったカウンターに、客人が座っている。
 甘めの声を出して出来上がったばかりの紅茶を催促する姿は、天使のように愛くるしい。うっかりすると、寝ぼけた頭が幻惑だと勘違いしそうだ。完璧な美がそこにある。
 薄暗いキッチンに咲き誇る花。
 こちらを永い夢へ誘う夢魔。
 相反する想像をこちらにさせる笑みに見惚れるのも、恐怖するのも、こちらの自由である。
「秋、起きていらしたのですか」
 しかし、同居人が音もなく現れるのは、いつものことである。
 彼のカップを追加すると、秋は不満そうな感情を顔に乗せた。
 大方、こちらを驚かせようとしていたのだろう。彼の悪戯に反応していたら、きりがないことは経験で知っている。
 温めなおしたカップに茶をそそいで、彼に渡す。
 出されたものには文句を言わない人だ。一口飲んだ彼は、肩をすくめて私の無反応を不問にした。

こちらの文章、最初は五行くらいでした。
別のことに気を取られているうちに神出鬼没で人を驚かせるのが好きな「秋」がいつの間にか目の前にいた……という状況です。
突然、ふいに、とっさに、徐に、様々な表現を駆使しても文章でスピード感や驚きを表現するのは難しいですよね。
最初は効果的に「秋」の登場を描けていないまま次の話に進んでいました。
ふと、敢てテンポを遅らせる外見描写を挟むことを思いついて、上記のような段落になりました。
思考に突然入り込む暴力性と、それが主人公にとって驚きに値しないというギャップを、いいテンポ感で描写できたと自負しております。

鼻炎の人って可愛い、というちょっと謎な萌えと出会ってしまい、どうしたらそれを表現できるか模索した一作です。
映像や漫画だと簡単にできる鼻をすする、かむ、くしゃみをするという動作を、どう書いたらいいのか数日悩みました。
あまり作中に擬音を使うタイプではないので、自分らしい清潔な文章で不清潔な表現をするには、それをわかりやすくするのには……と悶々とした結果、満足のいく形で書けたように思います。
端的にいってこちらの文章、自分史上最高傑作だと思います。
三日後くらいには撤回しているかもしれませんが、悩んだ分いいものが書けました。

上記描写、多分視点を別の人にすれば簡単なんですよね。
〇〇が鼻をかんだ、赤くなってる、つらそう。と外から表現するのは視覚と聴覚の動きなのでスラスラ書けますが、自分自身だと匂いや痛み、感触、四肢の動き、全部わかるから余計に難しい。
かといってティッシュで鼻を挟んで、鼻の奥から息を吐きだして……なんて書いてもただの実況になってしまうし、そうすると小説らしいテンポ感が薄れてしまう。
そういうときに「小説らしい」表現をできたのが個人的に気に入っているのですが……、完全なる自己満足です。楽しい。


「俺の好きなほんもの」

これもタイトルがお気に入り。
こちらの話の前に書いた「あなたの、記憶」と対になる話だとわかるように漢字を開いています。
「あなた」と「俺」、「ほんもの」と「記憶」がそれぞれ同一人物のことを匂わせております。
しかし「ほんもの」と「記憶」がイコールではないということを「あなた~」の方の登場人物はわかっています。
わかっていて認めるかどうか、という部分がこの題材のサビの部分です。わたしはわかっていて認めるのに躊躇っている、という葛藤が書きたかったので、それらを表現するためにタイトルに句読点がついています。

 本物とは、違うはずだ。
 愛され方を知っている可愛い子犬は、あんな孤独な超人の覇気は持てまい。

「……あんまり可愛いことすると、いますぐ君を食べちゃうよ」
「それは困ります。いいセックスのためにはいい食事が必要不可欠ですから」
 急にいつもの調子に戻ったハンが、身体を引きはがす。
 さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら、彼の頭にはもう食事のことしかないらしい。
 寝転んでよれた服に、乱れた髪。
 なのにキッチンへ向かう後ろ姿は優雅で、伸びた姿勢が美しい。

「全く、あの子は」
 三度目の溜息は、幸せの余剰分だ。
 落ちたものはきっと誰かが拾うだろう。

溜息を描写する際に「幸せが落ちる・誰かが拾う」と語るのも伍月鹿あるあるでもあります。
幼い頃から「溜息をつくと幸せが逃げるよ」と繰り返し言い聞かされてきてましたが、子供心に、そんなことで逃げる幸せなんていらないよ、と反発していた気持ちの名残です。
溜息をつく、という文章中では便利な心理描写をそのまま使わない、という小さなこだわりです。

「愛され方を知っている可愛い子犬」というのは、そのキャラクターへのわたしなりの総評で、なかなかいい表現ができたと思ってます。
またこちらの話は登場人物が床に落ちているシーンから始まるため、「落ちたものを拾う」という表現で終わらせました。
最初と最後に同じことを語るというこちらも伍月鹿あるあるが綺麗にはまりました。
このあたりの表現は伝説の「二階から春が落ちてきた(重力ピエロより)」に影響されたものですね。


「一起吃/eat together」

「どちらがコーヒーのポットか、わからなかったんだ」
 ふいに、シモンが呟いた。
 彼の視線を追う。
 ごちゃごちゃとした会議室の向こうに並んだ、みっつのポット。青はコーヒー、黄色はスープ。赤はただのお湯で、クミが深夜にがぶ飲みする白湯としても役立っている。
 伝えたつもりだったが、色を言い忘れただろうか。
 首を傾げる私を見て、シモンがそっと、自身の右目に触れた。
「色が、ちょっと」
「そうだったの? ごめんなさい、私、知らなくて」
 色弱に関わる染色体は、男性に出やすいと聞いたことがある。
 天才と言われる脳科学者に、そんな秘密があったとは初耳だ。私は慌てて頭を下げる。
 シモンはなんてことのないように首を振って、些細なことだと口にした。
「身の回りのものは、濃淡で覚えているんだ。でも、初めて見るものは区別が出来ないことも多い」

会話がリアルに書けた気がしてます。
自分の体調不良や上記のような特性を伝えるのって、現実でもとても難しいですよね。
自分の「弱み」を人に伝えると、たいていの人は気遣ってくれると思います。
でも、それが自然な立場からすると、その上でできることもあるので、気遣いすぎてほしいわけではないんですよね。
わたしもそのような場面にもどかしい思いをすることが多いので、自然に表現できて自分の中で嬉しかった部分です。
ちなみに上記作品の中に出てくる「シモン」の右目は原作中に自分で傷つける描写があります。こわい。読み手は知っている共通の記憶を散りばめて楽しむのも二次創作の醍醐味です。


「Accio Bezoar」

「お前は本当に時々」
「なに」
「愛くるしい、な」
 予想もしていなかった言葉に目を開くと、ドラコの高慢な笑みが深まった。
 僕にとっては一番見慣れた彼の表情だ。
 歳を重ねて愛嬌すら感じる笑みに見とれているうちに、以前、友人にも言われた表現だと思い出す。
「……どうせ褒められるなら、ワイルドとかハンサムと言われる方が嬉しいよ。君は言われ慣れているかもしれないけど」
「それは君が僕のことをそう思ってるってことか?」
 すっかり余裕を取り戻したドラコの表情は、愉快げにほどけていた。

これはただただきゅんとする会話が書けました。
二次創作でもあんまり直接的に告白しあわないのが伍月鹿あるあるです。これは好みと得意な文体の話です。
中~長編ではゆっくりと状況や関係性の描写ができるので、こういう睦事も差し込みやすくなります。ここぞ、というときに甘ったるい会話を書くのが好きです。
この二人は互いの顔が好きなんだと個人的には思っています。顔が好きなのが一番最強だと思います。

作中の舞台がイギリスなので、軽く調べながら書いたシリーズです。
コインランドリーで雨宿りをするシーン、イギリスにも日本のような空間が存在するのだろうかと調べたら、「コインランドリー」という名称は和製英語でしたが、ランドリー施設自体はイギリスが発祥とのことでした。完璧じゃん、と思いました。
なので作中は若干わかりにくくなるのを承知で「コインランドリー」とは表現しませんでした。正式名称の「Launderette」も余計わかりにくくなりそうだったので「ランドリー」としたという裏話があります。


一次創作編

「無情の遊」

「わたしは成人してからはじめて食べた」
 田舎出身だと豪語するくせに免許もチャリンコも持っていないガゼルが、ぽつりと告げる。
 お互いに成人したのはつい最近だから、つまり彼と件のケーキはまだ蜜月の関係らしい。
「へー。で、なんでいきなり食べたくなったんだよ」
「……何故だろう」
「急に食べたくなることってあるよね」
 真面目に首を傾げるガゼルと、のんびり答えるディアの間に、急ぐという文字はない。

「角の街」シリーズ番外編です。
登場人物の年齢をはっきりと決めていないのですが、大体21歳くらいのイメージで書いているシリーズです。
このくらいの年齢の頃って妙に自分が「老けた」みたいな考え方をすることがあった気がします。ついこないだまで高校生だったのに、たった数年で若い学生とのギャップを感じたり、できることが増えて大人扱いをされるわりに、まだまだ子供扱いされることも多かったり、というもどかしさのある時期のイメージ。
そんな若い子たちが「成人してから」いままでの時間を長いものと捉えているか、短いと捉えているか、という二人の性格の違いを「密月」というフレーズで出せているように自画自賛。
時間を気にしない三人目のキャラのおおらかさも詰め込んでます。


「つと朝に眠る鬼」

「お前、昨日何時に寝た?」
 唐突に尋ねられ、不明瞭だった視界が戻って来る。
「二時?」
 反射で答えてから、自分の言葉の偽りに気づく。
 そういえば、昨夜はあまり眠れなかったのだ。
 朝方になってようやく眠ったおかげで寝不足ということもないから、すっかり忘れていたことだ。
 しかし、自分では気づかないだけで、体には睡眠負債が蓄積されているのだろう。真実を話せば、友人は「やっぱりな」と得意げに笑った。
「帰るか? ディアにはうまいこと言っとくけど」
「いや。私も彼に会いたい」
「ま、お前の場合飲んだ方が元気になるだろうしな」
「人をアル中みたいに言わないでほしい」
「似たようなもんだろ」
 軽口をたたき合っているうちに、いつの間にか指先は煙草を手放していた。
 普段より飛蚊症が酷いのも寝不足の所為だと思うと、俗世間に馴染めない自己嫌悪も少しは軽くなる。
 やはり、プチグリはいいヤツなのだ。

自分の至らなさに落ち込む主人公を、寝不足の頭で余計なことを考えるなと諭す友人のシーン。
咄嗟に予想外なことを聞かれ、咄嗟に嘘ついてしまうことってあると思います。嘘つきたいわけじゃないんですけど、反射で答えたら嘘になってた、みたいなことがよくあるのはわたしがコミュ障だからですが。
こちらは1つ前と同じシリーズで、長編で「角の街」シリーズの番外編です。
そのため、「会いたい」という直接的な表現を主人公がするのは珍しいシーン。口元が若干ぽやぽやしている所為で疎かになっている表現でもあります。こういうところが可愛いんです彼(自画自賛)


「キラプロ! ~おじさん声優、アイドルはじめました~」

 やがて俺の熱心さに折れた御神さんは、俺が大好きで心地のいい声で、そっと秘め事を明かした。
「初めてクロウを見たとき、心底かっこいいと思った、なあって……」
 御神さんは、俺の神様だった。
 何もなかった俺に情熱をくれた。目標をくれた。生き方を与えてくれた。
 だからこうしていつでも触れられるだけで、俺は心の底から幸せなのだ。
「もう、死んでもいい……」
「もう少し一緒に生きてくれって」
 口癖になってしまった大切な台詞に、御神さんはいちいち向き合って答えてくれる。
 彼は、これが自分の台詞だったと気がついているのだろうか。覚えているのだろうか。まだ聞くことができない大事な記憶は、いつか、とっておきの時に明かすと決めている。

「死んでもいい」が口癖の主人公に、
「一緒に生きてくれ」「死ぬな」「せめていまはやめろ」
といちいち反応する登場人物、という細かな萌えエピソードの一つです。
オタクはすぐ死ぬ死ぬ言いがちですが、何も知らない人に使うと大げさに心配されることありますよね(笑)
まだ腐女子という言葉が大衆で認知されていなかった頃、「自分腐ってるからさ~」と告げたら「あなたは腐ってなんかいない」とまっすぐな目で諭されたことがあります。罪悪感がすごかった。
(つい使ってしまいますが「認知」という言葉もバンギャ用語かもしれませんね)
そういう二人の歳の差を表現する方法の一つですが、この「もう少し一緒に生きてくれって」と年上が年下に言うのが萌えだと思います。BLは歳の差カップルが一番好きです。

以前ツイッターでも呟きましたが、「御神」という名前のキャラクターを「俺の神様」と表現するのは偶然の産物です。
それありきで決めた名前ではなく、なんとなくで決めた名前とピッタリ関係性がハマって、お気に入りの関係になりました。

こちらのシリーズ、自分の中でモデルにさせていただいている声優さんがそれぞれにいらっしゃるので、名前や風貌はそちらから取らせていただいています。
加筆修正版で描写した所属事務所の名前は完全に内輪ネタです。わかる人にはわかるという匂わせ。
ナポレオンを題材にしている「それ不可」シリーズでもそうですが、固有名詞で遊ぶの好きです。プロットよりあとに決めることが多い分、そういう細かいこと決めてるときが一番楽しいんです。


「キラプロ! ~超人気声優に恋は必要ですか?~」

「うち、母親が目が見えない人で」
 そんなことを何気ない調子で言う奴だ。
 中国語の発音を現すピンインをつけるとすれば、ずっと第一声。真っ直ぐで淡々としていて、悪く言えば抑揚がない。
 なのに、聞き取りやすい。
 俺の人生に恋なんて必要ない。
 推しなんていなくても目標は持てるし、他人がいなくても人生は楽しい。俺は一人で充実しているし、完璧だ。
 でももし、俺が恋という気持ちを選ぶなら、この声にしたい。

 犬飼は、そんな声をしている奴だった。

こちらはまだ未公開の話の冒頭です。
中国語云々は変更するかもしれませんが、自分の中でわかりやすくするために自分がわかる表現でとりあえず書いています。
「もし、俺が恋という気持ちを選ぶなら、この声にしたい。」という表現も、まだわたしにしかわからない文章だと思います。
下書き状態の作品は日本語のわかりやすさよりも、とりあえず自分が考えていることを思うが儘に書いていることが多いです。
でも、敢てこういう意味不明な文章を残すことで、自分らしい作品にできる部分もあるのかな、と自分では考えています。
言っていることとしては、「犬飼」の声に恋したいなあ、ということですね。もう少しロマンチックでわかりやすい表現をこれから模索しますが、声フェチのわたしならではのフレーズのようで気に入っているものです。


「野生のコーヒー」

 その中の一人が、隅のテーブルに陣取って、重々しい顔をしている男二人組に気がついたらしい。
 派手な髪に強面という話しかけるのは躊躇うような風貌の店員は、不器用に僕たちに近づいてくると、あたたかなコーヒーを持ってきてくれた。
「よかったらこれ、サービスです……」
 数時間ぶりに人間と会話をしたような、掠れた声。
 でも浮かべられた笑みは優しくて、コーヒーの湯気よりも温かみがあった。
 性的嗜好によっては一目ぼれしてしまいそうな瞬間だ。
 僕たちはまごまごと礼を言って、こんな時間まで居座っていることに恐縮したが、店は空いているからと彼は言った。ごゆっくりどうぞ、とまで言われたら有難く座らせてもらうしかない。

24時間営業で、自動配膳が導入されているファミレスで、夜勤をしている店員さん。これらの条件が揃ったら所謂企業勤めではない風貌の人が浮かびますよね。
作中では語られませんが「野生のコーヒー」の主人公たちはまだ売れていないお笑いコンビかなにかで、彼らは大事な仕事のための上京してきてます。そこに売れていないバンドマンのような店員が優しさを与える、アングラな人たちの交流を書いたシーンです。

「性的嗜好によっては一目ぼれしてしまいそうな瞬間」というのは簡単に表現すると「女だったら惚れてた」となります。
恋愛は男と女にするものという思い込みを大前提に書きたくはない気持ちが籠っています。いい表現ができたと思っております。

話は少しそれますが、昔複数のラジオ局と複数のアーティストがコラボして生まれた楽曲に「昼間からラジオを聞く」という歌詞がありました。
ラジオと聞くと深夜放送を思い浮かべる人にとっては違和感のない表現だと思いますが、当時一日中ラジオを流して過ごしていたわたしにとっては別の価値観のようで新鮮なフレーズだったんですよね。
あとは北海道出身の人と「冬のアスファルトの匂い」というフレーズについて盛り上がったこともあります。
冬にアスファルトが出ている場所はロードヒーティングがきいている場所くらいですから、おそらく関東圏の人にとっては一般的な乾いた匂いというのが我々にはわからない。

そういう大衆にとっての「常識」とズレているからこそ書ける視線、書けるもの、というのは生まれ持った才能の一つとして大事にしたいものです。


「夏のこども」

「ありがとう」
 こうすることで、彼は傷つくかもしれない。
 生涯、最初の失恋として記憶に刻まれてしまうのかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。
「わたしも、ここに来てくれるみんなのことが大好きなんだ」
 少年の手を取る。
 骨とほんの僅かな脂肪しかついていない手は、折れそうなほどに華奢だ。
 すぐにでも大きくなって、わたしの背などあっという間に抜かしてしまうのだろう。そうなる前のエネルギーがここに詰まっていると考えれば、燃えるように火照っているのにも納得がいく。
 きっと彼は、大きくなるだろう。根拠もなく考えて、少年の手をぎゅっと握った。

ショタ萌えを詰め込んだフレーズですね。
ここで少年の表情の変化を書かなかったのは、主人公が少年の顔を見ていないからです。傷つける瞬間をどうしても見ることができなかったずるい大人の主人公は、きっととても優しい笑みを浮かべていたと思います。
主人公の目線で描きながらも、少年の視線でシーンが浮かんだため、このような一方的な書き方をしています。
この作品は昔書いた文章をリメイクしたものですが、確かリメイク前では「最初の失恋」というフレーズは使いませんでした。
書いた当時はそこまで少年へのフォローはせずに、ただひたむきな恋心に感激するようなシーンで終わっていたのです。リメイクでは少年の敵わない恋にもう少し寄り添うことができました。
学校の先生や近所のお姉さんなど、恋と呼べないものでも恋と覚えているものだと知れたのは、書いている本人も大人になったからかもしれません。

また、少年の儚さや尊さも大人になって余計に染みるものです。きっとお姉さんに勇気を出して告白したことなんてなかったかのようにあっという間に大人になって、置いて行ってしまうんですよね……ショタってだからいいんですよね……。


「オレンジの丘に帰る雨」

こちらのシリーズもタイトルが気に入っています。
オレンジバレーという実在する茶園があり、シェードツリーにオレンジの木を使うことで茶にもオレンジのような爽やかな香りが含まれるという素敵なエピソードを元にしております。
作中にオレンジが出てくるわけでもキーアイテムになっているわけでもないけれど、そういうバックグラウンドを連想させることのできるタイトルがそのまま作品の色になったような、ひとりよがりの満足感が強いタイトルです。

「それにしても、葬儀の日に雨だなんて、タイミングが悪いですね。泥を掘るのは大変でしょうね」
 よそ者のアモンは、事も無げに言う。
 いまのファミリーには、外国人も多い。それが余計に敵を作る理由になっていることは承知だが、一度絆を結んだ者を追い出すほど薄情ではない。

 父が死んだときも、雨は降らなかった。
 だからアモンも、葬儀に参加したはずだ。私は彼が、自慢の靴を汚してもシャベルを握ってくれたことを覚えている。

作中、スコールが降るとマフィアが葬式をおこなっているという言い伝えを元にした会話です。
主人公の父親がマフィアらしくなかったという話でもあり、古い言い伝えを無下にするよそ者に救いを感じる話でもあります。
「アモン」は自分の靴を汚すのが嫌い、というエピソードが作品の冒頭に登場します。例の最初と最後に同じことをいう「あるある」がここでも使われていますね。
外国人でボスである主人公にも仲間にも厳しい「アモン」ですが、実はとても仲間思いで優しい、というキャラクターをうまく差し込めた短いながらもお気に入りの部分です。

「アモン」というキャラクターが外国人であることは前半の「オレンジの丘~」の方では詳しく描かなかったのですが、若干不自然にした口調で気づいてくださった方がいて嬉しかった記憶があります。

そういえば異界の人間や悪魔なんかを表現する際の「我々ハ貴様ニ力ヲ授ケヨウ……」みたいな片言表現って、令和にも存在するものですよね……小説読みます企画で何作か出会って、ちょっと感激してしまいました(笑)
個人的には読みにくいのであまり使わない方法です。
二次創作含め舞台が日本ではないときは日本語由来の故事成語を使わない、俗語を使うときは借り物の言葉を使うような表現をする、という自分ルールがあります。


「未来級クリームソーダ」

 レモンのほそい指が画面に触れる。
 私が止めるよりもはやく大人料金が受理されて、おつりが機械から転がり落ちた。
 軽やかな音と共に切符が二枚吐き出される。
「あーあ」
 思わずため息をついた私に、レモンは小首を傾げながら微笑んだ。
「だって私達、もう子供じゃないよ?」
「違うの。何回乗り降りしても同じ値段のお得な切符があるってお母さんが言ってたから」
「それって、何度も乗り降りしないとお得にならないやつだよね?」
 レモンが買った切符は、何の変哲もない普通の切符だ。
 私達の町の名前と日付が印字されていて、改札の機械を通すと穴が空く。この薄い切符が、今日の私達の冒険の証明書となる。
 これまでも何度も使ったことのあるものだ。降りた駅で回収されて、それ以上は使えない。
 母が言ってたのはその日何度も使える切符だ。二人で料金表を見上げて、割引の部分を確認する。
「ほら、普通に買うのと同じくらいだよ。何度も降りることはないから大丈夫」
「そっか。ごめんね」
「ううん。はい、ラムネの分」
 なんてことのないように首を降ったレモンは、一枚を私に渡してくれる。

思い込みが激しく子供っぽさが抜けないラムネと、冷静でおおらかな性格のレモンの対比がいい感じに書けた場所です。
こちらは未公開の作品で、公開中の「私の桃色をあなたの色で染めて」の登場人物を最初に書いたものです。
子供にとって母親が言っていることは絶対なものですが、案外母親も間違っていたり、勘違いしていたり、子供自身が状況をうまく伝えていなくてすれ違ったりするものですよね。
そんな親が絶対ではない、と教えてくれるきっかけは大抵同じ年の友人だったように思います。
自分よりも大人びていて、いろいろ知っていて、駅にも慣れているレモンと、知ったかぶりをしてしまうラムネの都度交代する関係を書いているシリーズを象徴する一文となったように思います。
このあとレモンも小さなミスをします。そういう未完成で、外ではちょっと浮ついてしまう少女たちが書けたら、と思って寝かせている話の一つです。


自分の話って自分はよくわかっていますが、読み手にどこまで伝えることができているのかはなかなか知る機会もなくて難しいものですね。
改めて解説を加えてみて、もっといろいろな表現ができるようになりたいと感じました。お付き合いいただきありがとうございます。

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