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中国史における『夏』

その昔、「大夏」という国がありました。


彼らはトハラとも呼ばれ、現在のアフガニスタン辺りでいい感じに暮らしていました。

あのバクトリア王国を滅ぼした実績を持つスーパー遊牧民です。


しかしその後、大月氏に征服されて歴史の表舞台から姿を消してしまいます。


それから1000年以上も後にタングート人が西域にある国を建てました。

それも「大夏」です。学校では西夏と習いました。

トハラと同じ名前ですね。ややこしい。


このように中国史には「大夏(トハラ)」と「大夏(西夏)」という同じ名前の国が登場するのです。

(もっとも、中国史というより内陸アジア史と呼んだほうが適切な気がしますが…。)


また、殷より昔にあったとされる伝説上の王朝は「夏」といいますし、五胡十六国時代にも匈奴の赫連勃勃という人が「夏」という国を建てています。 


これで『夏』を名前に含む国は4つになりました。

もう何が何だか分かりません。


更にややこしいことに、昔々、「トハラ語」という言語が存在したというのです。

トハラというのですから、当然トハラの人々が使うのかと思いきや、何とそのトハラとは無関係で、しかもあまりにも謎の多い言語だそうです。


世界史の特性上、ときに用語は複数の言語でそれぞれ変わった呼び方をされます。

パルティア(安息)、イブン=ルシュド(アヴェロエス)などなど…。

本当に覚えにくい…。でもそこに地域性が見えるので、それが世界史の面白いポイントでもあるのです。


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