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街歩き #021 | 東京都立川市の旅

東京都立川市

 こんにちは。本日ご紹介する街は2022年11月27日に訪問した「東京都立川市」です。

 有力豪族立川氏が治めていた地であることが地名由来の立川市(諸説あり)。立川市の由緒寺社といえば普済寺と立川諏訪神社。多摩川近くの立河原は山内上杉家と扇谷上杉家が戦いを繰り広げた立河原合戦の場でもあります。秋の紅葉の季節も終わりに近づき"黄葉・紅葉まつり"最終日の国営昭和記念公園をぶらぶらしました。

 今回は立川市南部と立川駅周辺を中心とした「東京都立川市」を歩きます。

立川市&立川観光協会パンフレット・立川散歩

立川市歴史民族資料館

立川市歴史民俗資料館

 西立川駅から徒歩15分。立川市歴史民族資料館は立川市西部の住宅地にある資料館です。

 1985年開館。立川市の歴史・文化・自然を紹介する資料館。見所は普済寺の国宝・六面石幢の原寸大レプリカ展示。仁王像と四天王像が彫られています。小田原北条氏が関東に進出する契機となった立河原合戦の戦死者を供養する銅鉦鼓の展示もあります。

立川市歴史民族資料館・六面石幢(複製)

 < 立河原合戦 >

 1487年から1505年にかけて山内上杉家(上杉顕定)と扇谷上杉家(上杉定正→上杉朝良)の間で行われた長享の乱。1504年の立河原合戦はその山場となる合戦です。

 1486年、扇谷上杉家家宰であった太田道灌の暗殺を契機として始まった長享の乱。山内家・扇谷家・古河公方が敵味方入り乱れての内紛状態となり両家とも衰退。最終的には伊勢宗瑞(北条早雲)の相模進出を許す結果となりました。

 道灌暗殺後、家臣の離反が相次ぎ弱体化した扇谷上杉家。1493年に重臣の大森氏頼・三浦時高や当主の上杉定正が相次いで亡くなり甥の朝良が跡を継ぎます。
1504年、古河公方・足利政氏の援軍により山内上杉家・上杉顕定が扇谷上杉家の居城である河越城への攻撃を開始。朝良は伊勢宗瑞・今川氏親に援軍を求めて防戦。

 睨み合う扇谷上杉・伊勢・今川連合軍と山内上杉・古河公方連合軍が激突したのが当地立河原でした。結果としては扇谷上杉軍の勝利。山内上杉軍は2000人もの戦死者を出し、鉢形城に敗走します。

 立河原合戦では敗北した山内上杉家でしたが、越後守護代・長尾能景の援軍を受け、すぐさま河越城を攻撃。1505年に最終的に扇谷上杉家・上杉朝良は降伏し、長享の乱は終結しました。

立川市歴史民族資料館・立河原合戦パネル

 東京文化財ウィーク期間中ということで資料館内のラウンジで特別公開されていた銅鉦鼓。この銅鉦鼓は立河原合戦の戦死者を供養するために山内上杉家の家臣である毛呂顕季が作ったものです。立河原合戦を実証する貴重な資料で都の有形文化財に指定されています。

立川市歴史民族資料館・銅鉦鼓
立川市歴史民族資料館・銅鉦鼓

普済寺(臨済宗建長寺派)

普済寺・本堂

 立川市歴史民族資料館から徒歩20分。残堀川沿いを歩き小高い丘の上にあるお寺が普済寺です。1353年立川宗恒開基・物外和尚開山。立川氏居城の一角に菩提寺として建立されました。

普済寺・本堂

 立川氏は武蔵七党(横山党・猪俣党・野輿党・村山党・西党・児玉党・丹党)の西党日奉氏の支族で、当地は立川宗恒の居館跡。南北朝時代に屋敷内に寺を建立。1430年頃立川氏は衰退。当地を支配した高幡城主・平重能の帰依を受けることになり寺域拡大しますが、間もなく平氏も衰退。1550年頃立川氏は勢力を挽回しますが、1590年小田原北条氏の滅亡により立川氏も滅亡。兵火により大半の堂宇・寺宝を焼失してしまいました。1691年までに堂宇再建。

普済寺・立川氏館跡
普済寺・立川氏館跡

 1995年に心ない不審者による放火で本堂をはじめとした諸堂や国重文を含む寺宝を焼失。現在の多くの伽藍は約10年の歳月をかけて再建されたものです。歴史ある建造物を放火とは全くその心情を理解することはできません。

普済寺・寺号標
普済寺・巨大な石灯篭
普済寺・閻魔堂
普済寺・楼門
普済寺・鐘楼

 普済寺所蔵の国宝・六面石幢は残念ながら拝観停止中でした。六面石幢は仁王像と四天王像を刻んだ6枚の板石を六角柱状に組み合わせたもの。立川市歴史民族資料館でレプリカを拝見することができます。

普済寺・六面石幢(拝観停止のお知らせ)

 六面石幢は1361年普済寺開山・物外和尚の弟子である性了が建立。六面に彫刻されているのは四天王像(増長天・広目天・多聞天・持国天)と仁王像(吽金剛・阿金剛)です。寺の繁栄と信徒の繁栄を願って建立されました。

立川市歴史民族資料館・六面石幢(複製)

立川諏訪神社

立川諏訪神社・本拝殿

 普済寺から徒歩10分。立川駅からも徒歩10分の住宅街の中にある神社です。

 旧郷社。811年諏訪大神より勧請。1586年武蔵野野火で焼失。1670年本殿再建。1857年拝殿造営。東国きっての名社として多くの人々の信仰を集めた神社です。

 太田南畝は幕府の支配勘定として多摩を視察した際に諏訪神社に参拝。” ひろまれる 人のすめらき ふたとせに すは此の神の やとりたまふか "との歌を詠みました。

立川諏訪神社 社号標
立川諏訪神社 鳥居

 1994年不審者による放火で本拝殿が焼失。現在の社殿は2002年に再建されたものです。近隣の普済寺も1995年に放火により焼失していますが、諏訪神社も同様に放火の被害を受けていたのですね。放火は本当に許し難い行為です。

立川諏訪神社 山門

 境内にある目の神様。隣にアマビエ像も建てられていますね。参道では骨董市が開かれていました。

立川諏訪神社 目の神様

昭和天皇記念館

昭和天皇記念館

 立川諏訪神社から徒歩20分。昭和天皇記念館は国立昭和記念公園の中にあります。

 2005年開館。昭和天皇と香淳皇后にゆかりの資料を展示した記念館。昭和天皇87年の御生涯を展示。実際に使用された御椅子や御料車のニッサンプリンスロイヤル、生物学研究室の再現などの展示コーナーがあります。

昭和天皇記念館
昭和天皇記念館

国営昭和記念公園

昭和記念公園・日本庭園

 立川駅から徒歩15分。東京ドーム35個分という広大な公園が国立昭和記念公園です。

 1983年開園。昭和天皇在位50年記念事業の一環として立川基地跡に開設された公園です。訪問した11月27日は"黄葉・紅葉まつり"の最終日。いちょうは終わりかけ。カエデはちょうど盛りでした。見事な紅葉を見ることができました。

国営昭和記念公園・黄葉紅葉まつり

 広大な昭和記念公園。徒歩で散策することもできますが、レンタサイクルの利用をお薦めします。園内には各ポイントを結ぶサイクリングロードが整備されています。入口ゲートで園内の地図とみどころMAPを入手。開花状況により当日のオススメスポットがまとめられた素晴らしい資料です。

 < レイクサイドレストラン周辺 >

 最初に向かったポイントが水鳥の池を望むレイクサイドレストラン周辺。メタセコイアが見頃を迎えていました。

国営昭和記念公園・水鳥の池

 落葉針葉樹の一つであるメタセコイア。花言葉は”平和”です。色づいた褐色が秋を感じさせますね。

国営昭和記念公園・メタセコイア
国営昭和記念公園・メタセコイア

 < かたらいのイチョウ並木 >

 自転車で昭島口ゲートまで移動。そこから徒歩で昭和記念公園の名所"かたらいのイチョウ並木"へ。残念ながら黄色く色づいたイチョウの葉はほとんど落葉してしまってますね。

昭和記念公園・かたらいのイチョウ並木
昭和記念公園・かたらいのイチョウ並木

 奥の方に進むとぎりぎり落葉前のイチョウと黄色い絨毯が見られるスポットが残っていました。イチョウの花言葉は”荘厳”と”長寿”です。

昭和記念公園・かたらいのイチョウ並木

 < うんどう広場北側 >

 "かたらいのイチョウ並木"の先にある"うんどう広場北側"へ。この辺りは紅色に色づいたサザンカが美しいですね。落葉した紅色絨毯がなかなか味わい深い。

昭和記念公園・うんどう広場北側
昭和記念公園・うんどう広場北側 サザンカ
昭和記念公園・うんどう広場北側 サザンカ

 < 渓流広場周辺 >

 園内全体紅葉一色ですが、渓流広場周辺の紅葉もいいですね。アートなオブジェも施されていて、秋の散策にもってこいの場所です。

昭和記念公園・渓流広場周辺 カエデ
昭和記念公園・渓流広場周辺 カエデ
昭和記念公園・渓流広場周辺 カエデ
昭和記念公園・渓流広場周辺
昭和記念公園・渓流広場周辺
昭和記念公園・渓流広場周辺

 < 日本庭園 >

 昭和口ゲートからぐるっと南側を反時計回りに回って日本庭園へ。日本庭園入口周辺の赤と黄色が混在したカエデが美しい。

昭和記念公園・日本庭園
昭和記念公園・日本庭園

 日本庭園入口に”こうよう散歩”の幟。まさにこの日の散歩のテーマにぴったりの幟です。

昭和記念公園・日本庭園

 国営昭和記念公園日本庭園は池泉回遊式庭園。大名庭園さながらの風景を楽しむことができます。紅葉は若干日焼けが始まっていましたが、それでもまだまだ美しい紅葉を楽しむことができました。

昭和記念公園・日本庭園
昭和記念公園・日本庭園
昭和記念公園・日本庭園
昭和記念公園・日本庭園
昭和記念公園・日本庭園

 < ふれあい広場周辺 >

 同じ紅葉でも見る場所によって少しづつ色合いが異なっていますね。ふれあい広場の紅葉は黄色味が多い紅葉です。

国営昭和記念公園・ふれあい広場
国営昭和記念公園・ふれあい広場
国営昭和記念公園・ふれあい広場
国営昭和記念公園・ふれあい広場

 < カナール周辺 >

 国営昭和記念公園・カナール周辺はイチョウ並木で有名ですが、すでに落葉してますね。12月を前にして既に冬支度です。

国営昭和記念公園・カナール
国営昭和記念公園・カナール
国営昭和記念公園・カナール

 初めて訪れた国営昭和記念公園。年内最後の紅葉を十分に満喫しました。

 < レンタサイクルのすすめ >

 東京ドーム35個分という広大な国営昭和記念公園。歩いて回ることもできますがレンタサイクルをお薦めします。実際にレンタサイクルを利用して、留意点というか利用のアドバイスは以下の通りです。

 ① 入口で配布されている地図とみどころMAPは必ず入手
 ② みどころMAPで今が盛りの見どころポイントを確認
 → 事前に行き先を決める(園内は広いのでココ重要!)

国営昭和記念公園・地図&みどころMAP

 ③ サイクルセンターで レンタサイクルを借りる
 → 料金は3時間で600円(30分ごとに100円)です。

国営昭和記念公園・立川口サイクリングセンター

 ④ ★最重要ポイント★ 日本庭園は第1~3サークル方面へ
 → 昭島口方面は行き止まりです!
 → サイクリングロードがぐるっと一周しているわけではありません。
 ⑤ 各スポットの近くに駐輪場があるのでそこから行きたい場所へ

国営昭和記念公園・第2サークル
国営昭和記念公園・看板
国営昭和記念公園・看板

小さな旅の終わりに

国営昭和記念公園

 立河原合戦は扇谷vs山内上杉家の戦い。今川・伊勢(北条早雲)を味方につけた扇谷が立河原合戦には勝利しますが最終的には山内に降伏。両上杉氏は泥沼の戦いで没落していき、小田原北条氏が台頭する結果となりました。

立川市歴史民族博物館・銅鉦鼓

 普済寺開基の立河宗恒は立川氏の祖。立川氏は小田原北条氏滅亡まで存続します。普済寺も立川諏訪神社も平成に入って不審者の放火による焼失を経験しています。寺社への放火により歴史ある建造物や貴重な文化財が焼失することは耐え難い。放火者の心情は全く理解することができません。

普済寺・本堂

 立川諏訪神社で犬連れの人を発見。ルールは守って欲しいな。寺社でよく見かける犬に関する注意書きの看板ですが、境内への犬連れ禁止で言われる理由は大きく2つ。①信仰上の理由(穢れの概念)と②糞尿始末の問題です。

 ①に関しては、そもそも境内で犬を飼っている寺社も結構見かけますし、ワンちゃん向けのペット御守を扱っているところも普通にありますが、信仰上の理由というのもどうなんでしょうね。②の糞尿問題はホントにちゃんとしてほしいなと思います。理由はともあれ、犬連れ禁止のポリシーを明記されている場合はそれをしっかりと守っていただきたいなと思っています。ちなみに私は愛犬家ですよ。

立川諏訪神社・看板

 今回、紅葉散歩で国営昭和記念公園に初めて訪れましたが、なかなかお薦めの公園です。かつては米軍立川基地だったので敷地は広大。イチョウ並木が有名ですがカエデもなかなか美しかったですね。

国営昭和記念公園

 国営昭和記念公園のゆめひろば。ドッグイベントが開催されていてワンちゃん大集合。乳母車に乗った"柴~ズ"を記念撮影していたので私も思わずパチリ。くれぐれも私は愛犬家です。

国営昭和記念公園・柴犬勢揃い

 Ed Sheeranの ” Shivers " 。国営昭和記念公園で”柴~ズ"を見かけたのでこの曲です。Shiversとはゾクゾク震えるという意味ですが、何に震えているのかはMVを見れば言わずもがなですね。

 "Ooh, I love it when you do it like that(君のそんな仕草が好きなんだ)And when you're close up, give me thе shivers(君が近づいてくると震えてしまう)Oh, baby, you wanna dance 'til the sunlight cracks(朝日が登るまで踊り続けたいんだね)”と歌います。MVもなかなか凝った作りです。

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